03_57B 牧者の事情
いつの世にも冤罪や濡れ衣と言うものが、絶えて消える事はない。土地によって多寡があり、言い分を聞いてもらえるか否かの差はあれども、濡れ衣を着せられたものが不安を覚えるのは、何時の時代、どの場所でも変わらない。
悪魔の証明は常に難しく、エマ・デイヴィスも、長老の呼び出しに対して、苛立ちと同時に不安も拭えなかった。いっそ無視してやろうかとも腹立ちまぎれに考えたが、長老は引退してからも一帯の牧者や畜産・食肉業者の間に信頼も厚く、隠然たる影響力を保っている。喧嘩を売るようなやり方は不味い。無視が下策なのは、人付き合いが下手なエマにも流石に理解できた。いっそ、ポレシャから離れるか、とも考えるが、悪くもないのに逃げるのは嫌だった。エマ・デイヴィスは、好き嫌いを行動原理の中心に据えている。
まず、長老の呼び出しを無視するのは賢くはないとして、属する集団を信頼できるか考えてみる。今まで幾つか牧者衆を渡り歩いてきたエマだが、今の牧者衆の長は一応、信頼できる範疇にあった。少なくとも一度は皆の前で弁解する機会が与えられるだろうし(エマのような引っ込み思案の人間からすれば、弁明するように求められるとも言うが)独断と偏見で決めつけたりせず、被疑者の弁明にも耳は傾けるだろう。勿論、人間である以上、限界はあるが、少なくとも他人の話は聞くし、賢者や切れ者と呼べるほどではないにしろ、性格も頭もけして悪くはない。
長老より力関係で優位にある市参議だの有力市民だのが働きかけなければ、の話ではあるけれども。詐欺の被害者にそれらがいて、容疑者を縛り首にしろ、と怒り狂ってる場合、法も道理も吹っ飛んで、手頃に身元不明な流れ者やら牧者などが吊るされるのも、曠野では別に珍しい話でもないのだ。
気は進まなかったが、長の呼び出しであれば、無視する訳にはいくまい、とエマ・デイヴィスは結論した。人の世に生きるのであれば、時には妥協も必要であろう。現在の暮らしは気に入っている。ポレシャ一帯から出て行くつもりなら話は別にしても、また似たような環境を手に入れるには相当に苦労を重ねなければなるまいし、懇願するような少女の眼差しも少々、気になった。逃げるにしても、状況を見定めてからも遅くあるまいと考えたのだ。そうしてエマ・デイヴィスは、襤褸布の頭巾と襤褸布の衣服を纏った怪人みたいな姿のまま、伝令の少女と一緒に居留地の下層地区へと走ったのだった。
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事情はよく分からないものの、形としては少女に根負けしたエマ・デイヴィスは、共に下層地区へと向かった。町外れ地区のバリケードの外に、元の牧者仲間たちがよく屯している大きめの廃倉庫があった。文明崩壊前は、荷を積んだトラックが往来していたのだろう。今は、コンクリートの地面も大きくひび割れ、屋根の一部は破れ、窓も割れている。それでも内部は思いのほか広く、集会場としても十分な広さがあった。荒れた木の棚や古びた椅子、かつて使われていた作業台が散乱しているものの、壁の穴も木板で修繕され、雨の吹きこまない位置に天幕が張られていた。
床には、薄汚れた布団や毛布が無造作に敷かれ、小さな焚き火が煙を上げていた。焚き火の周りには、空き缶や皿が散らばり、片隅の棚には、古びた水筒や瓶が並べられ、誰かが持ち寄ったような酢漬けやら干し肉やらの食料品が乱雑に置かれている。吊るした縄には乾いた草や薬草が吊るされており、生活の拠点としてよく機能していることが伝わってきた。
野外生活に耐えられぬ女子供や老人に、或いは牧者の恋人なども必ずしも牧者の職に就いてるとは限らない。普段は居留地で働きながら、家族や恋人の帰りを待つ身内も多く、 そうした人々が牧者衆たちの拠点である廃倉庫の周囲を取り囲むように顔を見せていた。物陰から面白そうに指さして囁き合ってる渡り人やら自由労働者、浮浪者の類は、恐らく野次馬に違いない。
外側にいた青年の一人が、エマと少女を見つけると手を大きく振った。傍に駆けつけた少女が息を切らしながら「お兄ちゃん。この人がエマ。エマ・デイヴィスさん」そう紹介すると、青年は鋭い視線でまじまじと見つめてから、不機嫌そうに舌打ちした。
「ふん、こんなことだろうと思ったぜ」吐き捨てるように言ってから首を振って、エマに謝罪する。
「失礼。あんたに腹を立てたんではないんだ。兎も角、来てください。長老さんも待ってます」エマが戸惑いつつも、騒めいている身内衆やら渡り人やらの隙間をすり抜けて人の輪を抜ければ、廃倉庫の朽ちた入り口に十数人の見慣れぬ男女の集団が押しかけて、激高した口調で何やらを叫んでいる。
歩み寄れば、空気はひどく張りつめていた。
廃倉庫の入り口には自警団員の他、民兵や保安官補まで壁のように頑張っていた。保安官なんて、下っ端でも、地区の外にはそう出張ってくるものでもない。人の壁の背後では、守られるように牧者たちが、しかし、此方も武器を手にして押しかけた一団とにらみ合っていた。
「この詐欺師どもめが!」「金を返せ!」「騙しやがって!」殺気だった男女の一団が必死に叫んでいた。こん棒や薪ざっぽうを手に、血走った目で騒いでいる彼ら彼女らは、多分に地区の名簿登録者ではあるまい。薄汚れた風体からは、渡り人や自由労働者にしても、生活が苦しげな様子が見て取れる。だが、廃墟生活者にしては洗濯や服を洗濯したり、繕った痕跡が見て取れる。多分、小地区の住人あたりだろうと、エマは見当をつける。自警団相手に揉めたり、粗末な武器を携えて怒鳴っているのは恐いもの知らずか、失うものがないか。或いは、その両方だろうと思えた。
危険な曠野を流離う牧者たちは、意外でもなんでもなく、荒事に慣れている。牧草地を巡っての村人や遊牧民、他の牧者衆との諍いも起これば、任された羊を狙う家畜泥棒にならず者や無法者。何処にでも湧いてくる巨大蟻や屍者への対処は勿論、家畜を狙う俊敏な狼や野犬、コヨーテの撃退に巨大サソリや粘液獣、変異蜘蛛と襲ってくる怪物や動物だけでも事欠かない。無抵抗主義とはほど遠い価値観の持ち主ばかりだ。
武力衝突が起きれば、間違いなく血の雨が降るだろう。それも一方的な虐殺になる。倉庫の窓の後ろに、後込め式ライフルを構えた牧者たちが身を潜めている。暴徒たち自身がそれに気づいているかどうかは別としても、自警団や民兵たちは、むしろ、牧者たちに襲い掛かりそうな暴徒の一団を守っているのだ。だが、緊張も限界に近付いているようだ。
「エマ・デイヴィスを出せ!さもなきゃ、このぼろい建物を焼いてやるぜ!」松明を振りかざして若い暴徒の一人が怒鳴った。
「正気か、お前たち!下がらんか!」若い保安官補が怒鳴りつける。緊迫の度合いが増す中、民兵が指示を仰ぐように下士官に視線を向けるが、まだだと首を横に振るう。
「ポレシャには関係ねえ!」暴徒たちは切羽詰まったように自警団員と一部もみ合っている。流石に、居留地民兵に手を出すのは躊躇っているのか。
「牧者たちは、労働者として名簿に登録している!」保安官補が怒鳴ると「なら、ポレシャが責任を取ってくれるんか!金返せ!責任取らせろ!」
叫ぶ声に怒りと混乱は感じるが、エマとしては戸惑うしかない。腕組みした保安官補に、数人の自警団員と民兵。それに引退した長老とその他、牧者たちが顔を揃えている。必死な形相の少女と青年に連れられて入ってきたエマを見ると、年嵩の牧者が手招きするので、戸惑いつつも歩み寄った目の前で「あんたらに金を預けたんだ!今さらになってしらばっくれるなんてひどいじゃないか!」中年男が必死の形相で叫んでいる。
「そんな金なんか知らん!金があるように見えるか!?」牧者が怒鳴り返してる。
「だから、エマ・デイヴィスってやつだよ!その女に金を預けたんだ!」
「???」目の前で怒鳴り続ける一団を眺めながら、エマは佇んでいた。生来の冷淡さと無関心めいた表情を保ちながら、牧者の長なり、保安官補なりが事情を説明してくれるのを待つが、しかし、事情も知らずにいきなり集団に襲われていたら殺される事もあるかも知れない。
「エマ・デイヴィスを出せって言ってるんだよ!」叫んでいる男に対して「彼に見覚えはあるかね?」牧者の長が問いかけてきたので、エマは首を横に振るう。
「ホーソンさん。エマ・デイヴィスは此処にいますよ」牧者の一人が宥めるように言った。「だから、お探しのエマ・デイヴィスです」よく分からない叫び声を上げているホーソンと呼ばれた男に、距離を保ちながら根気強く話しかけている。
「誰が?!」ホーソンは、目の前にいるエマを認識しないかのように見廻した。
「彼女がエマ・デイヴィスです」三度目、小柄なエマが紹介された。ホーソンの視線が、ようやくエマの上に止まった。
「牧者のエマ・デイヴィス?」問いかけてくるホーソンに対して「これ」エマは牧者免許証を取り出した。粗末な写真を張り付けたプリント加工のID。
『Shepherd ID D1129 Emma Davis』
ホーソンは失礼にもひったくり、穴が開くほどにエマの顔と身分証明書を見比べてくる。人の顔から短時間でこれほど汗が吹き出るのを、エマは初めて目にした。
「役所の登録簿も、彼女の顔写真で載っている」民兵に混じっていた男が、帳簿を捲って突きつけた。武装していたから見分けがつかなかったが、役人かも知れない。
中年男は、真っ青になった。
「じゃ、じゃあ。あのエマ・デイヴィスは?」掠れるような声で尋ねてくるが、文句を言われても知らない。
「知らんよ。あんた、金を預ける時に身元を確かめなかったのか。いや、酒場で知り合ったんだっけな」牧者の頭目格の一人が首を振るう。
「そんな胡散臭い相手によく大金を……」「しっ」周囲の群衆から含み笑いや嘲笑が漏れた。騒動を心配している者もいるが、野次馬根性で面白がる者も少なくない。わざわざ揉め事を見物に来るような者は、えてして意地悪い性質を持ち合わせているものだ。
周囲の誰かが事情を説明するのを待っていたエマ・デイヴィスだが、おおよその当たりはついた。詐欺の被害者となった流民たちが、金を騙し取られ、怒りと混乱の中で暴徒化したのだろう。しかし、ポレシャの保安官と民兵は、押し寄せた暴徒から牧者たちを庇ってくれたようだ。牧者は名簿登録されており、制度上は保護対象であるため、保安官が守るのは義務だが、建前と現実は必ずしも一致しない。土地ごとに警官の質や熱心さには大きな差があって、面倒ごとを避ける者や、暴徒を恐れて関わりたがらない治安関係者も少なくない。
よく分からないが、多分、殺される事はないだろうとエマが牧者に紛れて、事態を観察していると、蒼白の表情で呻きながら崩れ落ちた中年男の背後、暴徒の一人の若者が突如、喚いた。
「いんちきだ!保安官もぐるになって、俺たちを嵌めたんだ!」
言ってはいけない言葉というものがある。ポレシャは比較的、言論の自由に対して鷹揚な気風の土地だが、市民と正規居住者以外―――特に義務を果たしていない非名簿登録者が根拠もなく体制を誹謗中傷するのは許される言葉ではなかった。ポレシャも敵対する部族や居留地に脅かされており、『言葉』は武器であった。密偵が流す流言飛語は社会を壊す力を持ちうるし、謂れのない誹謗中傷は時と場合によっては弾圧される。
不満が爆発する気持ちは分からないでもない。牧者と役人が結託していると言うのも、他所の居留地ではあり得るかも知れない。しかし、ポレシャ市は、自由都市や略奪者の王と言った強力な勢力と対峙している。或いは、居留地乗っ取りや寄生を目論む他所の居留地や商会、不良徒党やカルト、極左結社なども暗躍していて常に侵略に晒されているのだ。絶え間ない侵略や圧力に晒される危うい土地で、迂闊な青年は、流言飛語する意味合いを全く理解していなかった。
辺りの騒めきが一瞬で静まり返った。牧者や居住者たちが弁えている言論の自由と流言の一線を、流民の青年は軽々と飛び越えた。民兵たちの瞳が緊張と危険な色を宿している。何時でも発砲できるように銃の持ち方が変わっていた。一変した空気を感じたのか。肉食獣と出会った草食動物のように身を竦めながら、暴徒たちは戸惑いつつ、視線を忙しなく左右へと彷徨わせていた。軽口を叩いていた野次馬は後難を恐れて足早に立ち去り始め、自警団や牧者たちも緊張した様子で沈黙を守っている。
「おい!貴様!そう、貴様だ!」先刻まで穏便に対応していた保安官補が、顔色を変えて怒鳴りつける。民兵が案山子のようになった暴徒を押しのけながら、若者に迫って両腕を掴み、保安官補の目の前へと連れ出した。
「名はなんだ!なんと言った!もう一度、言ってみろ!」
「お、俺は……」若者は急変した雰囲気に竦み、震えあがっている。
「たかだか数百かそこらの金を得るために、居留地が嵌めたとそういったのか!」保安官補は容赦しない。「こいつの名前はなんだ!」目が吊り上がっている保安官補の容赦ない怒鳴り声に晒され、他の暴徒たちも顔色を悪くしている。
「物の分かってない若造め!連行しろ!」保安官補の命令に、暴徒――――いや、今は冷や水を掛けられたように冷静に立ち返った流民たちの間から、小さく悲鳴が洩れた。「調書と指紋を取ったら釈放してやる。ただし、この先、ポレシャに踏み込むことは許さん。地区で見かけたら、縛り首にしてやるぞ!」保安官補が指を突き付けながら宣告すると、いい年をした青年がついに泣き崩れた。




