03_57A 北方狭路
マギー一行は、ポレシャから北回り行路で自由都市を目指した。マギーとニナは、大型の背嚢を背負い、牧者のジーナ・クレイは、肩掛け鞄と杖を持ち、後込め式ライフルを背負っている。あんま、当てにせんでくださいとは本人の言だ。
始めて歩く街道も旅程に一部、含まれているので、十日ほどの時間的余裕を見込み、途中で補給できる農村や旅籠などを計算に入れても、食料と水にはかなりの余裕を持たせた。その分だけ予算は多く掛かり、利益も減るが、マギーは気にしなかった。
マギーたちの武装は、木製の軽クロスボウとバットに手斧である。あまり大したことが無いのをジーナ・クレイは不思議そうに眺めていたが、牧者たちと違って居留地から弾薬が配給される訳ではない。庶民にも入手しやすい黒色火薬と円弾で妥協するとしても、マスケット銃ではまず盗賊団には歯が立たない。
マスケット銃やライフルマスケットの類は、トリガーを引いてから発射までのタイミングが遅延する。不発も恐い。頑丈な壁やバリケードなどを盾に遮蔽を取ったり、建物に立てこもっての戦闘には恐ろしい威力を発揮しうるマスケット銃だが、野外で屍者や変異獣を相手取るなら、バットや手斧、手槍の方がまだ役に立つのだ。
追い剥ぎや部族であれば現有の武装でも対処できるし、大手の略奪者や盗賊団はおおよそ縄張りが決まっている。
より危険な無法者やならず者寄りの放浪者、少人数の略奪者や盗賊に関しては……遭遇したら、その時はその時だった。金で片が付くかもしれないし、戦闘になるかも知れない。鋭い目や用心深さで可能な限り危険を避けようとしても、冒険商人の稼業には常に不確実性が付き纏ってくる。どんなに腕利きで慎重な冒険商人や旅商人であろうとも或る日、突然に消息を絶つのは珍しくもない終わり方の一つだ。
マギーも常に覚悟はしている。この場合の覚悟とは、死の直前まで冷静に戦い、足掻いてみせる為の心構えだ。最悪を想定するのは、劣勢の状況でも戦ったり、思考し続ける為の胆力を鍛える訓練でもある。老衰で眠るように亡くなるのだと決めていても、命を懸けないといけない瞬間が度々、訪れるのが冒険者たちの辛いところだ。
※※※※
旅程からして、予定通りには進まない。北回りの行路でポレシャからズールまで。旅慣れた者たちの足で四日から五日の予定が、まずは丘陵地帯を左手に北上し―――それだけで既に三日を費やし、なおも道半ばである。
言い訳させてもらうなら、曠野東部は山岳と丘陵地帯が連なる非常に入り組んだ地形が広がっていた。都市勢力やレイダーの王らが勢力を伸ばせない理由でもあるが、同時に地図上の見かけの距離と実際に歩かなければならない距離の乖離も大きく、羊たちの安全に通れそうな道を探したり、橋が壊れてないかなどを実際、確かめる為に度々、足を止めての踏査にもかなりの時間を要していた。
砦めいた旅籠や一見、廃墟に見える宿泊所、野営地、ポレシャ市と契約している農場、信頼できる農村や農家、或いは開拓者の小屋など。それらの場所が略奪者や盗賊に乗っ取られていないか、または、怪物や無法者によって壊滅していないかを、マギーは毎回、遠目から双眼鏡で偵察するにも時間をかけた。と言っても、さほど念入りに行う訳ではなく、旅人が多く出入りしていれば大丈夫だろう、程度の確認であった。乗っ取りはそれほど頻繁に起こるものではなく、集中力も、時間も無限のリソースではない。それでも罠に踏み込んでしまう旅人に致命的な罠なので、余裕がある際、マギーは常にこの偵察を行っていた。勿論、危険は他にもあって、その場その場で臨機応変に対処しなければならない。取りあえずは費用対効果の良さそうな対策をしつつ、勘や被害の大きいリスクにやや入念に警戒を行い、三人は旅を続けていた。
ポレシャの北部では、疎らな灌木が生えた林を縫うように途切れ途切れの細道が南北へと続いていた。 人にも余り会わない代わり、屍者や変異獣も見かけない。少なくとも、そう多くは。時々、遠目に巨大蟻を見かけたり、木立の彼方から、狼や野犬の遠吠えが聞こえてくるだけだ。単独で、ちょっと可愛い吠え声なので、或いは、コヨーテかも知れないが。今にも見失いそうな田舎道を慎重に辿りながら、緩やかな起伏を奥へ奥へと歩を進めるうちに突然、木々が途切れた。目の前に広がった空き地には、まるで隠し里のように木製防壁に守られた村が佇んでいる。古い地図には確かに記されているものの、旅人によっては見つけられずに、滅びたと断言する粗忽がいるほどに辺鄙な場所の自治村へと辿り着いた。
村に入ってすぐ、旅人たちの宿泊するだろう宿屋へと足を運んだ。他所との交流が少ない土地では、余りで歩かない方が正解の場合が多い。とは言え、意外と旅人の姿を見かけるところを見ると、北の細道を抜け道として利用している者たちも少なからずいるのだろう。
大部屋に並んだ寝台の奥でマギーは地図に情報を書き込んでいる。ニナは旅のスケッチを描きながら、日記のように文章を書き込んでいる。「危険な曠野にひっそりと浮かぶ、孤立した村で私たちは……」何やら呟いているが、ポレシャに帰ったら親しい友人たちに見せるのだろう。ジーナ・クレイは、鼻歌などを歌っている。羊飼いの歌だ。大分、打ち解けた感じで、明日の準備などを行っている。
宿屋では、ラジオから物哀しい別れを歌った恋歌が流れていた。少なくとも電池なりは手に入り、外からのニュースもラジオが頼りのひとつとは言え、手に入っている。ラジオや旅人との交流。見張りは警戒してきたものの、獲物として伺う視線を殆んど向けてこない。辺鄙であっても、こうした土地は完全に『外れて』いる事は少ないので、マギーはようやく肩の力を抜いた。柱の陰から、旅装の少女が此方を覗き込んでいる。気づいたニナが手を振りかけると驚いた様子で走り去っていった。
食事に肉は無いが、卵とチーズは買えるようだ。やや割高だが、ポレシャの労働者通貨でも支払えるらしく夕食を注文しておいた。手持ちの保存食は、出来るだけ温存する。離れた寝台では、農村で働いていると思しき、流れの作男たちが疲れた表情で寝転んでいた。特に若い少年少女には、日々を生きるのに精いっぱいと言うように泥のように眠っている者らもいて、一つの寝台や床に二人、三人と身を寄せ合っているのは、少しでも金を節約するためだろう。小さな集落や農村の労働は、大型居留地に比べると賃金も安く、村の通貨であったり、薪や食べ物、布などの現物支給も多かった。
近隣からやってきた炭焼きや行商人、廃墟民や鉱夫などが火の傍のテーブルや積まれた土嚢の傍らに集まって、安いエールを飲みながら、ぼそぼそと小声で喋っていた。「最近、マクジーを見かけないな」「知らんのか、ポレシャの警備隊に」「連中の牧草地に山羊を連れていったのが見つかって……」「気の毒に、爺さん。ついに一人身に」「牧草地を使ってる訳でもないのに」「ポレシャめ」「しっ、声が大きい」
マギーは薄く目を見開いて薄暗い屋内に雑然と広がる寝台の列を眺めていた。時々、酌婦と布で仕切られた寝台へと消えていく客もいれば、小さな商売を行うものらもいて、寝てる合間の屍者への転化を恐れてか。武装を手放さずにそれぞれの集団ごとに小さく纏まっているのは、黄昏の世に珍しくもない宿屋の風景だった。
※※※※
木製の防壁に囲まれた宿屋の中庭には、宿代を安く済ませようとする旅人たちの天幕が張られていた。
カウボーイハットの厳つい男が油や道具を使ってライフルを手入れしている。対面では、老行商が足を伸ばしながら、分厚い地図帳にペンで何やらを書き込んでいた。
老人の傍らでは、小型調理器具に小さな炎が揺れて、フライパンの料理を熱していた。宿屋から飛び出してきた旅人の少女が、天幕に屯してる二人に話しかけた。
「お師さん、お師さん。あいつら、意外と足遅いですね」
老行商が煩そうに少女を眺めるが、弟子は頓着せずにぺらぺらとしゃべり続ける。「ポレシャで行商人と言ったら、『狐』と『蛇』に『影』って言われてるくらいなのに、こんな鈍足で商売できるのかしらん」
「お前は、本当に馬鹿だなァ」老行商が呆れたように呟き、厳つい男が、思わず、と言った風にくつくつと笑った。
「わあ、なんですか。二人して馬鹿にして」少女が頬を含まらせるが、老行商は問いかける。
「あいつら、何時も早朝に出発して、早めに宿をとってる。理由が分かるか?」
「……早寝早起きが得意?」少女が首を傾げる。
組み立て終わったライフルで壁に向かって狙いを定めながら「旅人たちにとって一番、起きて欲しくない事態が、日没直前にたどり着いた宿泊地が、屍者やら部族やらの襲撃で壊滅していることだ」厳つい男が囁いた。
「熟練の旅人なら、当てにしていた宿の空振りは、何度か経験しているものだが、日没ぎりぎりは特に不味い。夜の闇の中、下手すれば二~三時間を徒歩で引き返すことになる」老行商が焚火の炎を付けながら、淡々と呟いた。
厳つい男がカウボーイハットを深く被りながら「だから、連中は、夜明けから程ない早朝に出発し、日没まで余裕のある時間的距離で宿を取っては、翌日の準備を整えてから就寝しているのさ」そう言葉を継いだ。
「文明地の街道筋、人の少ない曠野、その境界。土地によって旅のやり方は変わる。お前も憶えておけよ。よく知っている街道筋や、複数の宿泊地が点在している土地以外では、無理をしないのが旅の鉄則だ」厳つい男の言葉に感心したように口を半開きにしていた少女だが「で、密偵ごっこは結構だが、驢馬の世話は終わったのか?」老行商に鋭い目を向けられると、慌てて「今、やってきます!カンテラ借ります!」と厩舎に向かって駆けだしていった。
少女の背中を見守っていた厳つい男が「あんたがあんな小娘を弟子に取るなんてな。変わったものだ」しみじみとした様子で言った。
「勝手についてきた押しかけ弟子さ」焚火に枝を放り込みながら、老行商が鼻を鳴らした。「略奪者に襲われた村で途方に暮れてやがった。気まぐれでパンを投げてやったら、愛想笑いを浮かべて付いてきやがる」口振りと裏腹に少女を眺める老行商は、瞳を細めていた。
「で、この後も後を尾けるのかね?」厳つい男は、やや面倒くさそうに呟いた。
「知ってると思うが、『蛇』は裏の顔を持っている。密輸業者や穴倉の武器商人とも通じている。正直、近寄りたくはない人種だ」厳つい男の憂鬱そうな口ぶりに「だからだ」老行商は、軽く肩をすくめた。
「奴は元々、ズールの出だ。ポレシャに場を移してきたがね。まあ、気持ちは分からんでもないが兎も角、自由都市はホームグラウンドだ。サドラン氏族にだって、繋ぎを付けられるだろう」
「普通にサドラン氏族を探すのでは駄目なのかね?」厳つい男が言うと、「……難しいな」老行商は少し考え込むような素振りを見せた。
「サドラン氏族の販売を任された家畜商から買うのと、氏族から直接買うのでは、2割ほども違う」厳つい男が天を仰いだ。それから気が進まない様子で頷いた。「いいさ。兎も角も、あんたに全部任せると言ったんだ。だが、裏稼業の人間に探りを入れるんだ。充分過ぎるほどに用心しないといかんぜ?」
※※※※
サドラン牛の輸送任務に関する布告は、ポレシャ居留地の市民街区から中層地区、下層地区へとじりじりと伝わった。近隣一帯の集落や農村でも噂は広がったが、自由農民や小金を持った渡り人などにとっては、鶏や山羊、豚の売買などが事業や投資の対象であって、通常の牛よりさらに高価なサドラン牛などには、あまり興味を示さなかった。廃墟や小地区にも抜け目ないものらはいたが、廃墟生活者や浮浪者は、大鼠や豚の養殖であったり、或いは小動物を捕まえる罠に熱心であって、牛と言う世話のやり方も輸送の仕方も知らない高価な家畜に手を出そうとは考えなかった。
一方で下層地区や中町の行商人に近隣の旅商人、古参居住者の間では、今回の冒険的な投資が一定の関心を集めていた。比較的安定した生活を送りつつも、富裕層に届かない中産階級は、生活にゆとりを持っている一方で、暮らしをより向上させたいと言う野心を抱く傾向があり、実際に投資計画に参加する者も少なからずいた。
ただし、サドラン牛は、極めて高価な家畜であった。サドラン種の雄牛と牝牛を番いに揃えるのであれば、都市クレジットで最低五千。恐らく八千は必要となる。渡り人や自由労働者の日当が居留地の通貨にして18から25。一日の食費が3~6。日雇い仕事も毎日、有りつける訳ではなく、居留地で流通している食糧チケットや労働用通貨から、居留地の正規通貨へと両替し、さらに都市の通貨へと両替する過程で3~4割は目減りする。
殆んどの労働者や棒手振商人、露天商などにとっては途方もない大金に思えて尻込みする者も多かったが、しかし、実際のところ、絶対に手が届かない金額とも言い切れない。庶民が工具や医薬品を調達したり、或いは、弾薬と火薬などを購入する際に安く抑えるため、共同購入の形を取るのは無難な仕組みで、サドラン牛の購入に当たっても、小金を貯めている商人や定職持ちが五人、十人と集まって金を出し合い、共同出資の形を取れば、一万程度の都市通貨を集めるのは、さほどに困難ではなかった。共同購入は、中世の時代から貿易船を仕立てたり、隊商を編成するにも、よく使われたありふれた仕組みで無論、出資者たちにとっても数年分の蓄えは馬鹿にならない金額であったが、失ったところで破滅する訳でもなく、連れ帰る事さえ出来れば、五割増しで居留地が買い上げてくれる為に所有権で揉める心配もない。上手くいけば、元手が三割、四割増しで返ってくる事も見込めて、野心的な働き者たちにとっては、分が良い賭けに思えたに違いない。
ポレシャ市の郊外には、幾つかの農村が点在していた。いずれも井戸やら湧き水のような小さな水源を中心とした小村落で、水路の近くに畑を作り上げ、泥や土の小屋に木製のあばら家が佇むばかりの小さな村々だが税金も掛からず、労役もない自由農民の生活は、貧しいが気楽なもので、文明崩壊の世には、理想的な暮らしのひとつだと村人たちは考えている。
巨大蟻の出没が増えたり、狐やコヨーテが鶏を狙うのが悩みの種だが、村人たちは素朴、かつ、先史文明の残した叡智と器具で手抜きできる範囲は可能な限りの手抜きをしつつ、それなりに快適に暮らしていた。
エマ・デイヴィスは、元牧者であった。小さな身体に襤褸雑巾みたいな帽子を被って、襤褸毛布みたいな衣服を着込んでいる。農村近くの廃墟の中にあばら家を構えて暮らしていた。廃墟の邸宅は、壁や天井に穴が開いているが少しは過ごしやすいし、怪物にも襲われにくい。邸宅の中心にある部屋に土と泥で小屋を作って、そこで暮らしている。 二階には木製の梯子で登れるようにして、いざと言う時は逃げられるように工夫もしていた。村人とも付かず、離れずの暮らしをしており、廃墟生活者とも村人とも言い難い身分の娘と見做されている。濡れた土地に麦を撒いたらよく育ったので、そのまま畑にした。山羊と鶏を飼って犬もいる。動物が好きで、日がな一日、世話をすると言いつつ、一緒に遊んで暮らしている。
今までなんとなく生きてきて、なんか上手くいってきた。今も牧者株を保持してるが、別に復職する気もなく、役所に売りに行くのが面倒くさかっただけである。羊に埋もれて眠るのは好きだったが、今の暮らしも悪くはない。特にものを深く考えないが、気が進まないことはやらない。嘘を付かれたり、物を盗まれたことはあるが深刻な被害は受けたことがない。その時は腹を立てるが、時間経過で忘れてしまい、特に学習する事もない。だからと言って、無闇に人を信じる事もない。人間は嫌いではないが、好きでもない。エマは欲張らない。欲しいものは特にない。本なんかは拾ってきて、部屋に貯め込んでる。何でも読む。詩集も、小説も、数学も、歴史書も。エマは神を信じているが、特に宗教は信じてない。
村人たちは、余り干渉してこない。エマは、そのうち死ぬまでは、ここで暮らそうと考えていた。最近になって、近くの廃墟に難民たちが住み着いて新しい村を作ったそうだが、エマは付き合いも持たなかった。
時々、村で物々交換したり、ポレシャ市で買い物したりするので、サドラン牛の買い付け任務についても、小耳には挟んでいる。でかいかな?可愛いだろうか。牛がやってきたら、撫でてみたいとか、匂いを嗅ぎたいとか、世話はどうするのだろうとか、そんなことをつらつらと思い耽りながら、山羊のチーズを売って、安い雑穀やらエールと替えて家へと戻る日々であった。
サドラン牛がやってきたら、飼ってる農民の畑で見せてもらおう、くらいしか考えてなかったのエマ・デイヴィスだが、ある日、いきなり、見知らぬ少女が必死の形相で住処の扉を叩いていた。
「エマさん!エマ・デイヴィスさん!開けてください!」なんか、厄介ごとの匂いがする。人見知りのエマが毛布を被って無視を決め込んでると、少女は叫んだ。
「お願いします!開けてください!ダニエルさんの紹介状を持ってます!」元の牧者集団の長の名を出されては、流石にエマも無視はできなかった。
仕方なしに扉を開けると、渡り人っぽい少女は、ずかずかとエマの家に乗り込んできた。室内を見回し、何者かがドアを開けたはずなのに誰もいない事に戸惑った様子を見せている少女の背後、エマは幻影のように音もなく喉元にナイフを突きつけた。
「りょ、両手を上げて、左手でゆっくりと紹介状を取り出して……ゆっくりとね」エマの囁きに顔色を蒼白にした少女がゆっくりと、紹介状を取り出す。紹介状の文章を一瞥したエマは、眉を顰めて溜息を洩らした。誰かがエマの名を騙って牛買いの資金を集めた挙句、姿を晦ましたらしい。
六月上旬
9195都市クレジット




