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黄昏のガンダルヴァ  作者: 猫弾正
第3章 Z_275年 牛を買い付ける話

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03_56E 居留地と行商人

 マギーちゃんは、ポレシャ居留地に暮らしている善良な行商人の娘である。渡り人(オーキー)の出と見られているが、働き者で頭も悪くなく、不足がちな物資をちょくちょくと調達してくるので、居留地の人々からも一定の信頼を向けられている。


 マギーちゃんの方も、ポレシャの人々に馴染み、また居留地自体にも好感を抱いていた。曠野では珍しく善政を行っていると評価しているし、契約においても早々、破ることはないと信用していた。だからと言って、ポレシャ市を全面的に信頼するかどうかは、また別の話である。人々と友誼を持ち、親交を結んでいながらも、マギーは居留地を無条件に信頼してはいない。


 参議や住人たちの人格を疑っているわけではない。むしろ誠実な人々が多いと見做しているが、しかし、政治家とは共同体と公共に対して忠実であればあるほど、個人を切り捨てる時は躊躇うまいと言うのが、マギーの持論であった。或いは田舎町なので、個人的な情義が優先することもあり得るし、異なる思考パターンが最適解である可能性もあるが、人は誰しも己の思考や常識から中々に自由になれないものだ。


 そして今回の牛の輸送。マギーが推測した居留地の利害は、良く考えられていた。志願者たち――――主に窮した元牧者や野心的な行商人たちが、自力で資金を都合して牛を輸送してくるなら良し。仮に失敗しても、元牧者と言う武装を使い慣れた失業者が減るのも良し。居留地はどう転んでも損はしない。生き残った元牧者が金を失い、希望を失っても決断したのは己であり、居留地を逆恨みする可能性も低かった。そして食料や薪の配給で、取りあえずは生きていけるから、自棄になるとしても破滅的な行動には早々、走らない。


 かなりよく計算されていると、マギーは評価している。特に「食い扶持の保証」がある点は絶妙に思える。完全に突き放すのではなく、最低限の生存を担保することで、逆恨みや破滅的な行動を防ぐ仕組みになっている。


 人は希望を失ったときに最も危険になる。だが、食料の配給があることで、「次の機会」を待つ余地が生まれる。これは巧妙に心理的バランスを計算している。もし完全に放置すれば、失敗者たちは暴徒化するか、反抗勢力となる可能性が高まる。逆に手厚く保護しすぎれば、挑戦そのものを躊躇させ、居留地の活力を奪う。


 仕組みの裏には、支配者層の計算高さが見える。「失敗者を生かすが、優遇はしない」という待遇を取ることで、秩序を維持しつつ、挑戦する者を増やすインセンティブを残している。非常に合理的で、長期的な視点を持った政策に思えた。一個人の視点から見ても構造が理解できているからこそ、マギーは単に居留地に従属するのではなく独自の未来を模索している。



 なので、マギーちゃんは結論から先に申し上げてみた。

「最初から、羊を買ってきましょう」

「牛で稼がないと、元手が出来ません」呆気にとられた様子で、牧者娘のジーナ・クレイが反論するが「それが罠です」日がほぼ暮れた空き地で、火の前に座りながらマギーは首を横に振るう。

「……罠?」牧者娘は、首を傾げた。

「居留地の思惑に乗る必要はありません」細かくは告げないが、難しい仕事を押し付けられることはないとマギーは告げる。


「買取には、雄牛も買ってこないといけないけれど大抵、気が荒い」地図の上に指を滑らせながら、マギーは牧者娘に鋭い視線を向けて言葉を続けた。

「しかも、北か、南に大回りをしないといけない。丘陵地を大きく迂回するなら四日か、五日は掛かります。かなり困難ですよ」言ってからジーナ・クレイの方に身を乗り出して、現状、最も成功率が高いと思える計画を告げる。

「元手は出します。自腹の羊を十頭かそこら揃えたら、羊毛で支払ってください」


 羊毛は牧羊において特に重要な資源であった。一頭の羊から年間に採れる羊毛は2~3キログラムで、これが都市部へと運ばれることで、辺土の牧場や小規模な牧者衆に富をもたらしていた。曠野においては、牧草地や綿畑の面積が限られていたため、綿織物の生産が困難で、羊毛は貴重な繊維資源として重宝されている。羊毛は織物や衣服の材料として幅広く利用され、交易品としての価値も高かったため、牧者や農民にとって安定した収入源となっている。


 羊毛の七~八割を羊飼いに渡す農村もあるし、牧者たちが二割で契約している都市もあった。契約内容は一律ではなく、居留地と牧者衆の力関係や、牧草地の広さや水源地の数。それに羊の数や羊飼いたちの技能によっても左右される。豊かな牧草地を抱える都市は、やはり有利な条件を押し付けることができ、逆に放牧地の確保が難しい小さな農村では、遠出して羊を世話する者の負担も大きくなり、牧者たちの要求が通りやすい傾向にあった。



 羊飼いたちがポレシャの委託を受ける場合、羊毛の三分の二は居留地へ。残り三分の一とチーズ、増えた家畜の一部を対価として受け取れ、それとは別に薪と塩、食料、衣服、弾薬を支給されている。強力な居留地の保護を受けるのは、牧者にとっては悪い話ではなかった。防壁まで逃げれば保護を受けられるし、領域内の牧草地を大手を振って利用できる。食料の一部を居留地から供給できるし、犬・弾薬の補給で防衛力強化も出来る一方で、居留地の側は安定して羊毛やチーズなどを供給できるからだ。


 ポレシャからズール市までは、西の丘陵を横断すれば徒歩一日。ただし、牛にしろ羊にしろ、家畜を伴うのであれば丘陵地帯を迂回して南北のいずれかに大きく迂回する経路の方が無難ではあった。そして、北回りの経路に関していえば、マギーは多少の知識と経験を心得ていた。とは言え、必ずしも安全とは言い切れないのも、黄昏の世の旅人たちにとっての避けがたい事実であった。


「……他の牧者に安く売って貰えれば、面倒ごとも避けられるんだけど」牧者娘のジーナ・クレイが力なく呟くと、マギーは冷ややかな笑みを浮かべた。

「どうなのだろう……懸念が二つある」と、指を二本立てたマギーが言葉を紡いだ。

「まず市が所有する羊は、現在までで百匹。子羊を産むとしてもそれは市の所有物。君に廻してくれるだろうか?」マギーの指摘に牧者の娘ジーナは少し考えてから頷いた。

「二つ目に、羊を飼ってる農家を廻って、買ったとしよう。居留地も毎年、少しずつ、自由農民たちから羊を買っている。牧草地の利用権を委託してくれる市と競合するのはいい考えだろうか?」この指摘は想定していなかったので、ジーナ・クレイは考え込んだ。

「まあ、二つ目は、立ち回り方次第とは思うが、三つ目に……」マギーが言うと「三つ目?」ジーナ・クレイが突っ込んだが「思いついたんだよ」と無視された。


「三つ目に牧者たちが羊を増やしたら、身内か、親しい仲間から復帰させたいと考えているのではないかという懸念。この間、牧者衆の仕事ぶりを見てきたが、年少の見習いが多かった。君を含めた他の牧者の復帰が、歓迎されない恐れがある」

 苦い表情になった牧者の娘に対して、マギーはさらに言葉を続けた。

「四つ目。羊の不足しがちな今のポレシャで、大安売りをする家畜市よりも安く買えるとお考えかな?」話してるうちに懸念が増えるマギーだが、ジーナ・クレイは天を仰いだ。

「……分かった。私が考え足らずだった。もう、いい」納得したと言うよりも、不快な事実を指摘され過ぎ、もう聞きたくないとうんざりしたようにジーナ・クレイが呟いた。



 俯いたジーナ・クレイの不貞腐れた態度に、マギーは鋭い視線を向けた。

「ねえ、君。居留地には、既に羊毛を扱う商人や行商人が幾人かいるんだ。みんな、市民や正規居住者の店持ち。富裕な農民。そうでもなくても有力な行商の先達たちだ」

 ジーナ・クレイは沈黙しているが、マギーは言葉を続けた。

「わたしは、そして君も、羊毛の市場に参入しようとしている。都市が供給不足だから、深刻ではないとしても商売仇には違いない。リスクその1だ」マギーは無表情で淡々と事実を指摘する。

「……古参商人からすると、競争相手が増えるわけだね」と段ボールの天幕の影に隠れるようにしながら、ニナとトリスがこそこそと話している。

 ジーナ・クレイは、鼻を啜りつつも、なんとか涙を拳で拭った。

「そしてリスクその2。私はあなたを自由都市の家畜市まで連れて行き、そして帰りも護衛すると告げている」

 マギーは射抜くような視線を牧者の娘に告げながら、少し厳しい声音で宣告した。「リスクを取ろうとしているのにプランに不満があるなら、相応の対案を出すか、他のスポンサーでパートナーを探してください」少し感情的になりやすいジーナ・クレイに対しては、厳しい言い方かもしれないが、マギーにとっても金と命が掛かっている。そして、まだ突き放した訳ではなく、牧者の娘に対して自覚を促しているつもりだった。


 しかし、ジーナ・クレイは、牧者時代の伝手で出資者スポンサーや護衛を集めようとしたが上手くいっていない。何人かの羊毛を扱う商人や行商人に会うも、なしのつぶてだった。「……ごめんなさい」萎縮した様子のジーナ・クレイの謝罪を受け、マギーの表情に一瞬、苛立ちが滲んだ。行商人マギーは、別にご機嫌取りや謝罪を求めている訳ではなく、覚悟や具体的な計画を求めていた為、牧者の娘の感情的な反応には失望せざるを得なかった。



 段ボールの天幕に寝ころんで一部始終を眺めていたニナが「……マギー。クレイさんは、まだ若いよ」取り成すように、のんびりとした口調で口を挟んできた。

「君よりも年長だよ」とマギーの言葉に「他人に求める基準が高いのは、才人の悪い癖だね」ニナは薄く微笑んだ。少女の瞳は、相棒を推し量ってるかのように冷静で、マギーに僅かに畏れを感じさせると同時に、幾分かの冷静さも取り戻させた。

(……ニナには、切り捨てられたくないな)相棒の冷静さは、おのれを映す鏡として、マギーの頭と肝まで冷やしてくれた。マギーとニナは、二人で互いに心理的な調和を取り合っている側面もある。稀有な相棒だとマギーは思ってる。


 ニナに窘められたマギーは、丸太椅子から立ち上がった。空き地を数回、往復するように歩き回って思考力と洞察力を取り戻そうとする。保安官のキャスやスタンフィールド氏、それに雑貨屋の爺さん。此のところ、好んで似たような思考や好意を持つ大人ばかりと付き合っていた弊害か。どうにも未熟な相手に対するこらえ性や洞察力が損なわれていたようだ。環境に適応しきった生き物は単純で強いが、生き残れるのは状況に合わせて多様な局面に対応できる生き物だ。

(オーを思い出せ。未熟な私をよく導いてくれた。心地よく物分かりいい相手とばかり付き合っていては、視野も狭くなる)亡き師匠メンターの記憶を引っ張り出して、頷いてからジーナ・クレイの対面へと戻ってきた。



 緊張した様子のジーナ・クレイを見て、ゆっくりとうなずくと、マギーは落ち着いた口調で話しかける。

「現役の牧者連中は、あなたに対して羊を売ってはくれないでしょう。競争相手が増えるのを歓迎する筈がない。出来れば、独占したい筈です」

「そんな筈は……いや、そこまでは」ジーナは自身のなさそうな口調で口籠った。

「確かめたいなら、売ってくれるか聞いてみなさい。でも、それは今ではない」マギーは考えながら、言葉を続けた。

「わたしが彼らなら、そうする事も選択肢の一つにします。もしかしたら、私が警戒し過ぎたり、邪推し過ぎてるかも知れない。それならそれでいい。ただし、聞くのは、羊を連れ帰ってからにしてください」淡々と話しながら、牧者の娘に対して思惑を説明する。

「買い付けの前に洩らせば、妨害が入るかも知れない。実際には其処までしないかも知れないが、リスクが増大します。競争相手に、これから復帰のために活動しますなんて告げるなら、私は降ります」マギーは、己の組んだ手元に視線を下ろして、数秒見つめてから、ジーナ・クレイに対して視線を戻した。鋭くはなかったが、強い眼差しで「あなたは覚悟が出来てますか?」牧者の娘に問いかけた。



 牧者の娘は、マギーの問いかけにしばらく黙っていた。瞳には迷いと不安が浮かび、頭の中で様々な思惑が交錯しているのが明らかだった。マギーに指摘されたように、ジーナ・クレイの計画は穴が多く、少なからぬリスクが含まれていたが、しかし、一方で成功すれば、羊飼いに復帰できるだけの報酬をもたらす事もほぼ確実だった。


 ジーナ・クレイは何かを言いかけて躊躇し、唇を閉じて考え込んでいる。当初はあれほど乗り気だったのに、買い付け計画が現実に上手く行きそうになった途端、躊躇い、恐れに捉われてしまったかのようだ。世の中には、目の前に好機が訪れたのに尻込みしてしまう種類の人間がいる。或いは、今まで、あまりにも不運や失敗を味わってきた為に、新たな可能性を受け入れたり、挑戦する心の強さを失っているのかも知れない。


 マギーは焦らず、そして急かさずに、じっとジーナ・クレイを見つめていた。どんな答えを出そうと、尊重するのだ。牧者の娘は、深く息を吸い込み、少しずつ胸のうちで何かを整理し始めてるようにも見えた。視線を地面に落として彷徨わせていたが、やがて小さく、二度、三度とうなずくと真っすぐにマギーを見つめた。

「分かった。やろう。此の侭、死んだみたいにただ日々を過ごすよりは、もう一度、羊たちと一緒に……」牧者の娘の声は少し詰まり、震えを孕んでいたが、もう弱々しさはなかった。




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