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黄昏のガンダルヴァ  作者: 猫弾正
第3章 Z_275年 牛を買い付ける話

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03_56C 背の高い女

「何かあれば、すぐにでも働きます。何でもいいんです」牧者の娘ジーナの喉から洩れた哀れっぽい懇々とした言葉に、雑貨店の老店主は無表情のまま、しばらく見つめてきたが、やがてふと視線を逸らすと、店の奥に置かれた品物を指さした。

「そうだな。あそこの棚の整理をしてくれ。掃除もな、汚れてるし」

 老爺でもできるだろう簡単な仕事を割り振られたジーナ・クレイは安堵して頷いた。

「分かりました」そう告げて棚に向かうと、すぐに手を動かし始める。

 雑貨屋の老店主は無表情でジーナ・クレイの背を眺めながら「……スポンサーは見つからなかったようだな」と低く呟いた。

「……探してみたけど」ジーナは短く返答した。


「なんの話かね?」副保安官が低く囁いて「例の牛の輸送だと」行商人ペトラーのマギーが応えた。

 「ああ。例の……」さぞ同情したように頷いた親切そうな副保安官を、その隣のマギーが目を細めて観察しているのに、ジーナは気づいた。

 マギーは、下層地区や廃市街で稼いでいると評判ながら、同時に、保安官助手として恐れられてもいる背の高い女だった。誰からも一目置かれている。賞金稼ぎだったとか、高名な冒険商人の弟子だったとか噂される謎めいた過去の持ち主ながら、ジーナのように軽んじられてはいない。


 特定の誰かをじっと見つめるでもなく、ジーナを眺め、時折、視線を移しては副保安官と雑貨屋の老店主――治安関係者と市の参事の目の奥にあるものを窺うように、静かな表情でマギーは観察していた。本当に噂通り、如何にも頭が切れそうな挙動のマギーを横目でチラと見て、ジーナは何故か惨めさを感じた。それからマギーは、若干の嫌悪と同情が入り混じった視線でジーナを一瞥し、少しだけ気の毒そうにため息を吐いてから、雑貨屋を後にしたのだった。


 客たちが立ち去った店内で、ジーナは水に濡れた雑巾で戸棚を磨いた。埃を被っている古びた木の表面に、あまり力を入れないように、しかし、丁寧に拭いていく。指先に伝わるざらつきに雑巾も手も汚れていく。何度も雑巾を絞り、清潔な面を使って磨くうち、戸棚に次第に光を取り戻す。ジーナは、孤独な反復作業が嫌いではない。


 上手くいかない何もかもを、作業していると少しだけ忘れることも出来た。


 牛を運ぶ仕事に資金や仲間を集めようと、牧者時代に世話になった参議の伝手で有力者たちに当たってみた。牧者株を――居留地で牧者の仕事を受けられる資格まで、抵当に入れてもいいとジーナは思い詰めていた。どのみち、此の侭ではじり貧だった。そうして何人かの商人や有力市民に出会ったが、反応はいずれも芳しくない。他にも同じ発想を、いち早く決断した同業者が幾人もいたからだ。


 律儀な性格、と老参議は、紹介状に記してくれた。律義者とは、古来から気の利かぬ頑固者の別の言い方でもあった。


 自力で仕切るのを諦めて、仲間やスポンサーを探してみたがこちらも芳しくない。ジーナは見栄えが良くないし、弁も立つ方ではない。雀斑が多く、髪はぼさぼさで痩せている。隈のある目つきがよくない。明らかな醜女ではないにしろ、対応した男性ががっかりしたり、いい加減な態度となるのを何度も体験してきた。


 親切な男性や女性が相手でも、結果は変わらなかった。ジーナの境遇に同情して、暖かい食事やお茶を振舞ってくれたりはするけれど、うんとは頷かない。報酬は少なくても良い。羊を増やして見せると訴えるも、裕福な市民層は出資に関してシビアで、適当なことは言わずにはっきりと断ってきた。世界は厳しい。ジーナに対してだけではなく、誰に対しても。





 ※※※※





 雑貨屋で僅かな賃金を貰ってアパートに戻って僅かに二日後。まるで畑の果実が実るのを待ってたかのように、ジーナ・クレイは強盗に襲われた。

 三人組の男女。ナイフを突きつけられて物陰に引きずり込まれると、財布をまさぐられて紙幣を奪われ、ついでとばかりに服を引き裂かれそうになる。

「待って、抵抗は……しないから。傷つけないで」ジーナは宥めるように必死に言った。ナイフが突き付けられるのも、最初は身体が強張ったものだ。何度も経験すれば多少は慣れるが、それでも多少は身体が強張っている。

「早く脱げ……スベタが」強盗の一人が命じる荒んだ声にジーナは反射的に背を縮めた。

「さっさとしな。人が来る」女強盗が言い、もう一人の強盗が、苛立った様子で声を荒げる。「誰かが来る前に終わらせろ!」


 ポレシャの土地柄なのか。廃墟でも廃墟なりに、お人よしやら善人やらが結構いるもので、余り白昼堂々と凶行に及べば、見咎めて介入してくる事はある。善良と自認する人間たちにとっては、悪人が気ままに振舞う方が生き辛いのだ。それなりに武装を揃えていて、返り討ちに遭った犯罪者などが『わたしは強盗です』と書かれた看板を掛けて、やや離れた街路の樹木や街灯から吊るされる事も珍しくはない。屍者や獣を間近に呼び寄せないよう、大抵、死体は縄張りから少し離れた場所に吊るされているが、吊るされてる死体の有様で、略奪者の縄張りなのか、善良な人々が暮らしているのか、部族や人狩りの警告なのか、一目瞭然だが、当然に偽装もあって知らない土地では鵜呑みにするのも危険ではあった。


 一帯には自警団も屯っており、アパートの番人などが時折、槍とクロスボウを持って周囲を見回りしている。見回りは複数人で、狭い縄張りとは言え、兎も角も徒党を形成してるだけあって仲間も多かった。

「まぁ、待てよ。此処が気になってたんだよなぁ」言いながら、強盗が脱いだジーナの上着を取り上げると、牧童の娘の心臓が嫌な風に高鳴った。強盗が上着を探り、ニヤリと嫌らしい笑いを浮かべて、頑丈な上着を切り始める。


「ああああ!やめ!止めてぇ!」ジーナは焦った。強盗が金を隠してある裏地を切り始めたからだ。だが、もう一人の男がジーナの腕を抑え込んでくる。

「そういうことかよ!どうだ?!」ジーナを押さえつけてる強盗がはしゃぎながら仲間に向かって尋ねた。

「はは!当たりだ!貯め込んでやがった!浅知恵が俺に通用するとでも思ったかよ!」

 わああ!ジーナが叫んで「うるせえ!」とこん棒が頭に振り下ろされた。

 それでも腕をバタバタさせて、ジーナは暴れた。「止めて!暮らせなくなる!」叫んだが、蹴りを食らった。崩れ落ちたところに、次いで肩口、腕と容赦なく乱打が降り注いだ。

「もういい、ぶっ殺しちまおう」冷や水をぶっかけられたかのように牧者の娘の全身が冷えた。失敗した。金は奪われても、生きていれば取り返しがつくのに。刃物を持った強盗がジーナに近づくたび、彼女は足元を見つめる。心の中で、何か考えようとするも、足がすくんで動けない。何もかもが遅く、重かった。体が固まって、涙さえ流れなかった。ジーナは経験の浅い牧者だった。羊飼いの時分、数度、野良犬や狼に襲撃を受けたが、その頃には頼りになる年長者や先達に囲まれていた。それでも一対一なら、強盗と戦うことも出来たかもしれないが、不意を突かれた上に三人が相手では、出来る事など殆んどなかった。


 ジーナの心臓が早鐘のように打つ。周囲の空気が一層冷たくなったように感じた。

(……ここで終わるんだろうか?)死にたくない。涙が零れた。

 廃墟の中で人の気配がわずかに感じられることが、逆に恐怖を増す。もしかしたら、誰かが助けに来てくれないだろうか?愚連隊まがいの自警団でも、ただの通りすがりでもいい。此の侭、殺されるのは嫌だった。


 鈍い強烈な音が響いた。肉の潰れるような音。叫び声。顔に生暖かい何かが降りかかった。

「やあ」背の高い女のシルエットが逆光で路地の入口に佇んでいた。強盗たちは、一名が不気味に痙攣している。背の高い女は、ブーツを持ち上げてその頭を容赦なく蹴り砕いた。


「最近、小地区の治安が悪化していて……」ぼやくように言いながら、手にしていた強盗を放り投げる。近くに転がっている強盗の顔面は、こめかみが砕かれて、眼球が飛び出していた。どうすれば、こんな風になるのだ。鉄製のサックを拳から外しながら、女が近づいてきた。

「目に余る悪党は、間引きしておけとか。保安官が。漠然としすぎて……」見覚えのある女だった。町外れ地区で一、二を争う商人。忘れる筈もない。雑貨屋で出会い、嫌悪と蔑みの目を向けてきた。


 強盗の手に握られた札束。ジーナ・クレイの労働の成果を背の高い女が拾い上げた。

 あ、おかね、血にまみれた札束。自警団に救われたのであれば、礼金と寄付を強要される。強盗よりはマシ程度の礼金を支払わされる。せめて半分は、残してほしいな。ぼうっとそう思っていたら、何気なくジーナへと投げ渡してきた。

「他に盗られたものは?」何事も無さそうに背の高い女が尋ねてくる。

「……有りません」目の前の女にとっては、大金ではないのだな、とジーナはぼんやりと思った。



「歩けますか?」問われたジーナは「大丈夫」と言ったが、足がふらついた。背の高い女は、ひょいとジーナの腕を掴んだ。万力のように力が強かった。何処へ向かうのか、ジーナを引っ張るように少し通りを歩くと、通りに面した建物へと入った。

 廃屋かと思えば、テーブルが置いてあって大型のクロスボウを構えた髭の男。

 引きずり込まれた?強盗よりも、もっと悪い人買いかと疑惑に背筋が冷たくなるも「お茶を二杯」 飄々とした態度の儘、背の高い女はコインを放ってジーナに告げた。

「ここのお茶は、小地区にしてはマシだと弟子が勧めてくれました」


「飲んで」促されて口に含んだ。渋みに微かな甘さが混ざった温いお茶は、大して旨いとも思えなかったが、その癖、身体に染み込むように吸い込まれて、飲み干した直後にブワッとジーナの全身から汗が吹き出してきた。

 背の高い女は、まだ口を付けず、外の景色を眺めていた。あれほどの喧嘩。いや、三人を相手に一方的な殺戮を行っておきながら、余裕綽々と言った態度で肘をついて鼻歌などを歌っている。

「いいですね……貴方は」ジーナの口から呟きが漏れた。

「……はい?」背の高い女がジーナを眺めながら、首を傾げた。なんとも思ってない相手へと向ける冷たい、感情の籠ってない目だった。

「美人で強く、賢い。お金も持っている……貴方からすれば、わたしは、さぞ惨めに見えたでしょう。貧しく、愚かで戦えないほど弱い」言ってて情けなさに涙が出てきた。よりによって、己を蔑んでいる相手に助けられた。そのことが酷くジーナの心を傷つけていた。

「でも、他にどうすればよかったんですか!」震える声でジーナは告げた。八つ当たりとしか思われないだろう。惨めだった。


「……まずは、顔を拭きなさい」背の高い女は、ハンカチを差し出してきた。ジーナが固まっていると、さらにハンカチをずいっと差し出してくる。受け取って顔を拭いてると「口を付けていません。こちらも」もう一杯のお茶を差し出された。


「……御免なさい」気持ちを落ち着かせたジーナが謝罪すると「かまいません。あんなに褒められたのは初めてです」冗談のつもりだろうか。背の高い女が真顔で淡々と喋った。

「弱い人間は得てして、善良な人に当たり散らします。報復をされないと思っているのでしょうか?勿論、私は善良なつもりなので報復はしないと思いますよ」と背の高い女が鋭い視線でジーナを見据えた。無論、警告だろう。緊張に喉を鳴らしたジーナを見てから、色々と切り裂かれて酷い様の上着に目をやると、背の高い女は首を振った。「服をなんとかしないといけませんね。ついてきてください」一方的に告げると、立ち上がった。



 背の高い女に連れられて徒歩十五分。町外れ地区に足を踏み入れる。廃墟と酷似した荒れた風景でありながら、どこか穏やかな空気が漂っていた。かつての賑わいを感じさせる町並みの名残は、時の流れに殆んど崩れ落ちていたが、見渡せばには泥や土で作られた小屋が点在し、空き地には天幕が掛けられている。形を残した廃屋や路地の一角には、布や木材、紙で即席の屋根や壁、天幕が形作られていて黄昏の世に暮らす人々の生活の匂いが息づいていた。


 ラジオの音楽が流れている廃屋は、自家製エールが飲める酒場のようだ。物哀しげなバラードが穏やかな空気に溶け込んでいくようで、しんみりした空気が漂っていた。路傍では、椅子や瓦礫に腰かけてお茶や珈琲を飲みながら、一休みしている労働者たちの姿があった。幾人かは、通りかかった知人たちとのんびりと世間話を交わしている。


 路上や空き地では、子供たちが遊んでいる姿が目に入る。廃墟では考えられない光景だが、一応の防備が整えられた町外れ地区では、怪物がいきなり現れることは滅多にない。小道には洗濯物が紐に干され、春風に揺れてぱたぱたと音を立てている。


 廃墟や曠野との境界線には、木製のバリケードが張り巡らされており、見張り塔がひっそりと佇んでいた。詰め所の壁には、古びた火縄銃やクロスボウ、鉄パイプの槍、手斧が無造作に置かれている。傷だらけの革鎧や厚手の服を着込んだ自警団員たちは見るからに歴戦の面持ちで、動作も静かな自信に満ちており、実際、屍者や変異獣の一匹や二匹であれば、手早く処分してるに違いない。町外れ地区は、決して華やかではないが、心地よく穏やかな生活を送れる場所のようだ。


 住む場所を間違えたかな、とジーナは思った。廃墟よりも町外れの方が色々と捗ったかも知れない。


 裏通りへと抜けて、ひと気の少ない一帯へと踏み込むと、瓦礫や石を積んだ小さな壁が囲んでいる空き地へとたどり着いた。角材の骨組みとシート、そして段ボールで壁や屋根の造られた小さな小屋が立っている。


 空き地へと足を踏み入れたジーナは、小屋をじっと眺めてみた。壁は段ボールで作られ、屋根の上にはシートが張られている。ほんの少しの木の骨組みが見えるが、羊飼いたちの天幕よりも粗末な住居だった。

「私の家です」と背の高い女が言うと、ジーナはちょっと驚いて目を見開きながら、「もっと立派な家に住んでるかと思いました」と言ってしまった。

 小屋と言っても、一応は二、三人が座ってくつろげる程度の大きさので、座り込んだ背の高い女が奥で荷物を漁っていた。

 着古しのシャツをジーナに向かって投げつけると、「上着を貸してください」言った。裁縫用具を取り出すと、ジーナの破れた上着を手に取って黙々と繕い始める。


 意外と器用な手つきに黙って眺めていたが、背の高い女は、ジーナには目もくれずに、チクチクと上着を修繕し続けている。一言も発しない。いい加減、沈黙に耐えかねた時「針子になりたかったんです。今も針仕事をよくしています」背の高い女が言った。

「意外です」ジーナが言うと「よく言われます」と返ってきた。


 思惑を測りかねたジーナだが、兎も角も、話の切り口としても謝罪と礼をすることにする。

「……さっきはすみませんでした。せっかく、助けてもらったのに」

「雑貨屋ですね」事も無げに背の高い女が告げて、肯いた。

「わたしがあなたを嫌な目で見たのも事実です」さすがにジーナが閉口すると、一旦繕う手を止めて、背の高い女が覗き込んできた。

「貴方を見た時、凄く嫌な気分になりました。惨めで、汚らしかったから」

 失礼過ぎる。呆気に取られてるジーナを冷たい、感情のない蛇のような目でじっと見つめて、背の高い女が言葉を続けてきた。

「嫌悪を抱いたのは、自分が転落する可能性をあなたの中に見たからです」

 肩を竦めて、背の高い女が淡々と告げた。

「誰もが貧困を恐れています。こんな時代であれば、尚更。謝罪はしませんが、あなたを誤解させてしまいました」


 ひどく傲慢な物言いだったが、ジーナは腹を立てなかった。表面上の同情や哀れみを掛ける者はいても、強盗に襲われた時に実際に助けてくれるものは早々、いなかったからだ。再び座り込んだ背の高い女が、上着を裏返しながら告げてきた。「……上着は、少し時間が掛かりそうです。牧者だった頃は、どんな生活をしていたか聞かせてくれませんか?」



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