第12章-44 別れ
そんなフヨウに、ハシドイが声をかける。
「姫さま……」
「ええ、そうね」
フヨウはアカネの手を離すと、再び優雅に一礼した。
「御前、失礼いたします」
「旅の安寧を祈ります」
「ありがとうございます」
にこりと笑うと、フヨウは踵を返して馬車に向かう。
御者が馬車の扉を開けて待っていた。ハシドイが手を差し伸べる。フヨウはその手を取ろうとして、ふと止めた。
ゆっくりと首を巡らせて、名残惜しそうに牧場を見渡した。その瞳には惜別の色が浮かんでいる。
再び訪れることのない場所、二度と見ることはない風景。
それらをその瞳に焼き付けるかのように、フヨウは刹那の間、瞬きすらしなかった。
それから前を見て、ハシドイの手を取った。ライモンのチーズはすでに中にしまわれていたのだろう、すでにハシドイの手にはなかった。
彼の手に支えられて、フヨウは馬車に乗り込み、座席に落ち着いた。
御者が扉を閉めて、前に回る。それと同時に他の騎士がハシドイに馬を渡し、彼はそれに素早くまたがった。
フヨウが馬車にあいた小さな窓から顔を見せ、微笑んだ。
「出発!」
ハシドイが鋭く一向に声をかける。御者が手綱を繰り、馬車を進めた。騎士たちは馬車を取り囲むようにして進んで行く。その中でも、ハシドイは馬車のすぐそばにいた。
遠くなっていく馬車の中で、フヨウが軽く頭を下げたように見えた。ライモンはそれに応えるように手を上げて、小さく振った。
一行は牧場を出ていき、その姿は小さくなっていく。そしてすぐに見えなくなってしまった。
「行っちまったな……」
ひとりごちるように、ライモンはつぶやいた。アカネが同意するように静かにうなずく。
「可愛らしいお嬢さんだったわね」
アカネはそう感想を漏らした。
「真面目が過ぎるんですよ、あの姫さまは」
答えたのは、シラフジだった。ふん、と鼻で息をすると続ける。
「それにしても珍しいこともあったもの。あの姫さまがここに来たいとわがままをおっしゃるとは。陛下もよくぞお許しになられたもの」
そう言って、シラフジはくすくすと笑い始めた。アカネがたしなめるようにその袖を引く。
「シラフジ」
「まあ、陛下はフヨウさまにお甘いですからねえ。ここには次期さまも次代さまもいらっしゃるから、安心して寄越されたのでしょうけど。まあ、もっとわがままを言ってもいいと思いますよ、姫さまは」
長く王宮に勤めているシラフジには、そんなふうに見えるのだろう。
ライモンにしても、女性というにはまだ早い、少女と長く行動を共にし、会話をするのは初めての経験だった。むろん、エニシダとは話はするが、こんなふうに話したことはなかった。




