⑥ロベルトの決意
グレイスは、初めて知った父の想いに唖然とした。
仕事人間で家にはほとんどいない父。嫌われているのだろうと交流をもつことすらあきらめていた。母に関してはヒステリックに叫び、目を吊り上げて自分を叱責する姿しか思い出せない。
その母は政略といえど、自ら望んで嫁いできたという。
父の事情は分かった。
心を通わせた相手を失った直後に押しかけてきた妻が、母のような女性だったから落胆は大きかったのだろう。
極めつけは使用人たちだ。
多くの使用人は誠心誠意仕えてくれているが、どうやらそうではない者もいるらしい。グレイスには意図して自分の悪評を父の耳に入れていた不穏分子に心当たりがあった。
おそらくそれは、母の取り巻きだろう。
グレイスは唇をかみしめる。
自分も当主教育は途中まで受けている。社交界にデビューする年齢になり、様々なタイプの貴族とも関わってきたことで、父の苦悩を少しは理解できるつもりだ。
だが、グレイスにとっては飲み下せないことばかりだ。
「お父様のおっしゃっていることは分かります。お話しくださったことで長年の誤解もとけました。でも、私は今、戸惑っているのです」
マイケルの浮気現場を目撃したばかりなのだ。サミュエルに力を分けてもらい、落ち込んだ自分の心をなんとか叱咤して父に話をしに来たけれど、そこで知らされた使用人による不正と突き付けられた悪意は弱った心には衝撃的だった。
そこに父の告白まで加わってグレイスの気持ちはもうパンク寸前である。
「誤解が解けて良かったと思うべきなのに。事実が知れたことに喜ぶべきなのに。小さなころの私が叫ぶんです。私はなぜ鞭でたたかれなければいけなかったの、と。辛いことがあっても隠して微笑んでいなければいけないのって。うまくできたってどうせ褒めてなんかもらえないのに。誰も私なんか愛していないくせに。口先だけで可愛いなんて言わないでって!」
涙がぼろぼろとあふれ出て止まらない。気持ちを抑えることができない。
まとまらない言葉と感情が膨れ上がって、もう限界だった。
立ち上がって走り去ろうとしたとき。
父に抱きしめられた。
グレイスは一瞬何が起きたかわからず、体をこわばらせた。
親に抱きしめられたのは、これが初めてだったのだ。
「お前はたくさん我慢してきたんだな。わからずやの父ですまない。グレイス、お前は誰よりも頑張り屋だ」
父は娘を遠慮気に抱きしめてきたのに、けっして離そうとはしなかった。
グレイスは父の腕の中でわんわんと泣いた。
ロベルトはしばらく娘を抱きしめたまま、背中を優しくさすっていたが、グレイスが落ち着いてきたのを見てとって、話しかける。
「マイケルくんとの件は私に任せなさい。お前の意に反することは絶対にしない」
グレイスは間もなく泣きつかれて眠ってしまった。
ロベルトはグレイスを抱えて部屋まで連れていく。
ベッドに寝かせようとしたところで、サミュエルが目をこすりながら起き上がる。
「ねえさま、ねんね?」
父親と姉を交互に見比べて、彼はふにゃりと笑い、姉のほほにその小さな手を添えた。
「そうだよ。ねえさまは、眠っているから起こさないようにな。サミュエルも、おやすみ」
「はぁい。おやすみなさい、とうさま」
グレイスにぴっとりとくっつき、すやすやと眠る息子の姿を見て、ロベルトは微笑む。
カトリーナはグレイスに執着し四六時中側にいたが、サミュエルに対しては放置しているような印象を受ける。
そのことをロベルトは気にかけており、政務の合間のわずかな時間を、息子と過ごすことがあった。だからサミュエルも「父」としてロベルトを認識しているのだ。
しかし、グレイスは……。
ロベルトはこれまでを思い返していた。
ロベルトは、傾きかけていたトルライド家の事業を建て直すことに必死で、グレイスの幼少期についてよく知らない。育っていく過程で娘は心を閉ざし、自分とのかかわりを避けるようになった。ロベルトとて、グレイスにかつてのカトリーナを重ね複雑な想いを抱いていた。
「もっと言葉を交わせていれば……あとの祭りだな。これからは間違わないようにしなければ」
ロベルトは口元に笑みを浮かべながら、眠る二人を優しくそっと撫でた。
執務室に戻り、執事のセバスチャンと侍女頭のマチルダ、そしてグレイスの護衛騎士ドレイクを呼ぶ。ロベルトが帰宅したとき、ドレイクから「報告したいことがある」とセバスチャンを通し言付けがあったのだ。
了承の返事をした後、急ぎの仕事を仕上げるために執務室に籠ってから半刻、そろそろドレイクと話をしようと思っていたところに、グレイスが訪れた。
「グレイスからマイケルとの婚約解消の申し出があった。娘の意に沿うてやりたい。改めて皆が知っていることを教えてほしい。最近起こったことでも、普段の様子でも、気づいたことはなんでもいい」
ドレイクは今日あった出来事を主に余すことなく話した。
それを聞いたロベルトの怒りは増していく。
「お嬢は、ショックのあまり気を失いました。俺は奴の態度が許しがたく。一発ぶんなぐってしまいました。もはや婚約は「解消」ではなく、「破棄」できる案件かと思います!」
「そこまでひどいカスでございましたか」
「お嬢様、なんとおいたわしいこと!」
セバスチャンはペンを持っていたことを忘れて思わず拳を握りしめ、バキリと折り。
マチルダはハンカチを引っ張りすぎて破いてしまった。
「グレイスは、家同士に波風が立たぬよう「婚約解消」と言ったのだろうが、これは確かに「婚約破棄」の案件だ。ドレイク、よくやってくれた! お前が殴ったことを先方は問題にはできないと思うが、万が一の場合を考えてこちらから手をまわしておこう。グレイスの婚約破棄については、相手と揉めようが渋られようが徹底的に戦う」
主の意向へ賛同の意を、三人は頷きであらわした。
その後、空が白んでくるまで四人の話し合いは続いた。
お読みいただきありがとうございます。次回から少しずつ物語が動きを見せていく予定です。こりずに覗いていただければ、嬉しい……。




