⑤父との雪解け
「入りなさい」
「失礼します」
執務室に足を踏み入れるのは約二年ぶりで、少し緊張してしまう。入室すると、父からソファに座るよう促される。手にしていた書類を引き出しにしまうと、父のロベルトも席についた。
「それで、話とは?」
自分と同じ銀の髪とアメジストの瞳と対峙する。父と会話するのは、学院に入学する際の書類にサインしてもらったとき以来だ。弟が生まれるまでは、話をした記憶すらない。
容姿は確実に父の血を継いでいるというのに家族の実感がないなんて皮肉なものだと、内心でため息をつく。
「お父様もお忙しいでしょうから、単刀直入に申し上げます。――マイケルと婚約解消したいのです」
「お前はマイケルのことを好いていたのではないのか?」
父はこちらの真意をはかるように鋭い視線を向けてくる。グレイスはそれに一瞬ひるみそうになったが、自分の気持ちを誤魔化すことはできない、と父をまっすぐ見つめて口を開いた。
「もう気持ちがなくなりました。家同士の関係を考えると婚約の解消は難しいのでしょうか」
貴族同士の婚姻を、家の事情抜きで語ることはできない。相手が不誠実だと知りながらも、家同士の事情から泣く泣く嫁いでいく女性もいると聞いたことがあった。
だから父にそう問うてみたのだが。
意外にも父ロベルトは、グレイスの希望を真っ向から否定せずに、婚約の経緯を訊いてきた。
「マイケルとの婚約についてはお前がせがんだと聞いている。だから、知り合いの伝手をたどってなんとか婚約にこぎつけた、と」
「私が望んだ婚約であることは事実ですが、最初に私たちを引き合わせたのは、お母様です。お母様とマイケルのご父君であるマルダー子爵は元々友人です」
父の言うことは、グレイスにとって初耳であった。
ロベルトは眉間に皺を寄せて考えるようなそぶりを見せる。
「マイケルとよく出かけていたのでは?」
「小さい頃はそれなりに行き来がありましたが、婚約してからはそんなには……月に一度会えればいいほうでした」
「社交界へは?」
「エスコートしていただいたのは、デビューの時と、その後三度ほど。なんだかんだと理由をつけて約束が流れたこともたくさんありました」
ロベルトはどんどん険しい表情になっていく。
「グレイス、申し訳ないがお前のクローゼットを見せてもらえないだろうか」
先ほどまでの言葉の硬さが緩んだことに驚きつつ、グレイスは戸惑いながらも父の求めに応じた。
二人でグレイスの衣裳部屋へむかい、ともにクローゼットの中身を確認する。
十分後、執務室に再び戻ってきたロベルトは、グレイスをソファに座らせ、自分は机の引き出しからいくつかの書類を探して出す。
そしてグレイスの前にそれらを広げて見せた。
「これは去年、お前のドレスや宝石類の代金として支払ったものだ」
そこには、購入されたもののリストとその価格が記されていた。支払った代金の合計金額は小さなタウンハウスが一軒購入できそうなくらい高額である。
驚いて顔を上げると、ロベルトと目が合った。グレイスの驚愕の表情を見てとったロベルトは、大きくため息を吐いた。
「見せてもらったクローゼットの中身と、お前の先ほどからの様子で、俺は確信したよ。お前のものとして購入されたドレスも、お前の発言だとされていたことも、ほとんどが嘘だということを」
その後の父との会話を通して、父が一部の使用人から出鱈目な情報を吹き込まれていたことを知る。
「グレイスが高価なものをやたらに欲しがって購入する」「使用人に我がままをいってしょっちゅう困らせている」その他、聞くに堪えないようなことも。
さらに、マイケルとの婚約の件も調査が終わっていないことを理由に、父が二人の婚約の成立に「待った」をかけたらしいのだが、当事者であるグレイスの強い希望があったと母カトリーナからの主張があり、ロベルトがしぶしぶ折れたという。
話し終えたロベルトはグレイスに向かって静かに頭を下げた。
「グレイス、すまなかった。いくら仕事が忙しいとはいえ、与えられた情報を精査することもなく、ずっとお前を誤解していた。お前のこともサミュエルのことも、可愛いと思っている。でも、それを伝えてもこなかった。お前たちの不遇は私の無関心が生んでしまったこと。――本当に申し訳ない」
冷徹だと思っていた父からの謝罪はグレイスの心に大きな衝撃を与えた。
何より、子どものことに興味がないように見えていた父が「可愛いと思っていた」と言ったことが信じられない。
「お父様には嫌われていると思っていました。だから会いに来てくれないのだと」
娘の言葉に、ロベルトははじかれたように顔をあげた。動揺を隠せず、口を開けたり開いたりしていたが、やがて自分のことを少しずつ語り始めた。
ロベルトには学生時代から仲の良い婚約者がいたこと。その人と無理やり別れさせられたこと。
苦手だと思っていたカトリーナになぜか好かれており、彼女の実家の財力と権力によって婚約が成立してしまったこと。
結婚して以降、当主夫人の役割を担わないカトリーナと喧嘩が絶えず、仕事に追われている
うちに結果的に子どもたちとも疎遠になってしまっていたこと。
「そして、人伝に聞くお前の話から、グレイスもカトリーナと同じだと思い込んでしまっていたんだ」




