④浮気の現場
弟サミュエルが登場します。マイケルの浮気回です。
その日の放課後、グレイスはマルダー子爵家の前に降り立った。
せっかく街まで取りに行ったプレゼントを、会った時に渡しそびれてしまっていたからである。用事があるといって、マイケルがバタバタと帰っていったものだから、うっかりしていた。
「いきなり来て、嫌じゃないかしら」
「愛する彼女からの“来ちゃった作戦”を厭う男なんているのか。俺はそんな奴あったことがない。だから大丈夫!」
いつものように、ドレイクが軽口をたたいて緊張をほぐしてくれる。
門番はグレイスの顔を見ると笑顔で通してくれたが、執事テルベルトの対応は違った。
「こちらでお待ちくださいませ」
そう言って、グレイスたちを応接室に通した後、テルベルトはいっこうに戻ってこなかった。
「俺、ちょっと見てきます」
しびれを切らしたドレイクが、マイケルの部屋の方へ足早に向かう。
まもなく言い争うような声が聞こえて。
さすがに不安になったグレイスが廊下に出ると、ドレイクが先に進もうとするのをテルベルトが必死に止めているのが見えた。そのテルベルトの後方には、警備の騎士がおろおろと視線をさまよわせている。
「なぜ私の邪魔をする。先ほどから無意味に長く待たされている。これではあまりにも当家の令嬢に対して礼を欠いているとは思わんのか!」
「もう少々お待ちくださいませ。お支度中にございます」
「それには応じることはできぬ。すでに三十分以上待っているのだ。これ以上邪魔立てするならば、力づくでまかり通る!」
「ひいっ」
ドレイクからは抑えきれぬ怒気が伝わってくる。扉前警備についている騎士も、ドレイクの気迫に気圧され使い物にならない。
テルベルトはドレイクの出自と騎士としての力量をよく知っていた。
それゆえ、もはやこれまでか、と諦め顔で道をゆずれば、ドレイクはマイケルの部屋へと迷いなく進んでいく。
そして扉の前に立った時。
中から漏れ出る音を耳にしたドレイクは憤怒の表情を浮かべた。
張り詰めた空気に異状を感じたグレイスが、小走りでドレイクの側に駆け寄ると。
「お嬢は見ない方が良い」
短く、低く止められた。
彼は扉をにらみつけたまま動かない。
聞こえてくるのは、男女の睦みあう声だった。
震える指先をギュッと握りしめながら、グレイスは覚悟を決めて口を開く。
「いいえ。私も見るわ」
白くなるほど握りしめた拳を観れば、その発言がつよがりなのは明らかだった。
一瞬苦しげに唇をゆがませたドレイクは、目の前の扉を大きく開け放った。
目に飛び込んできたのは、裸で抱き合う男女の姿。
驚きに目を見開いたマイケルとにやりと口角をあげるパトリシア。二人の態度は真逆であった。
「貴様らは、何をしているのだ!」
ドレイクの怒鳴り声がマルダーの屋敷に響き渡った。
♢ ♢ ♢
気が付くとグレイスはトルライドの屋敷に戻ってきていた。あの場で気を失ってしまったため、その後のことが思い出せない。
扉の前で「現実をきちんと見なければ」と意気込んだはいいが、好きな人の生々しい場面を直視するのは、やはりショックが大きかったらしい。
食堂でのウエンディとのやりとりを思い出し、「やっぱり浮気していたのね」とつぶやきを落とす。
マイケルから約束をドタキャンされることはあった。
その後に彼が過剰なくらい機嫌をとってくることもあった。
エスコートに妙になれたところがあった。
会えないことを口では嘆くが、その割にいつもさっさと帰っていく。
振り返ってみれば腑に落ちることばかり。
「私が何も見ようとしなかっただけよね」
だって楽しかったから。
幼いころ二人でした追いかけっこ。
花畑の中できれいに作れた花冠を交換したこと。
ケーキの分けっこ。こっそり抜け出して馬に乗ったこと。
あの時間は、グレイスにとって宝物だった。
あの時間があったから母の厳しい鞭にも耐えられた。
「女の人と仲良くしていることも、本当は知っていた」
知らない大人の女性と、腕を組んで歩いていたのを見たことがある。
彼が話題にした歌劇を、一緒に観に行ったのは、私じゃない。
「でも、信じたくなかったの」
涙があふれて落ち、服にシミをつくっていく。顔を両手で覆っても、涙は指の隙間から溢れ、こぼれていってしまう。
同級生から嫌味を言われても。母から鞭うたれても。時間が経てば何も感じなくなれるのに。
グレイスは声をあげて泣いた。
「ねえさま?」
どれくらい泣いていたのだろう。気づくと近くに弟のサミュエルがいて、グレイスの顔を覗き込んでいた。
「ないてる? イタイイタイ?」
彼はグレイスのお腹の辺りに抱き着いてきて、心配そうにじっとグレイスを見つめる。
グレイスは何と言おうか、少し迷いつつ口を開く。
「……お腹がね。少し痛いの」
するとサミュエルは、グレイスのお腹を優しく撫でてくる。そしてお腹に手を当ててから、何かを空中に吹き飛ばす仕草をした。
「イタイむし、め! プイプ~イ、エイ!」
それを何度か繰り返しているうちにだんだん楽しくなってきたようで、彼は笑いながらグレイスのお腹に口をつけて囁いたり、叫んだり。
「あー」
「げんきになりましゅたかあ」
ある時は高い声を発しながら祈祷師の様に、ある時はお医者さんの診断のように。
グレイスのお腹をそっと撫で続けた。
それがくすぐったくて、可愛らしくて。ついにグレイスは笑いだしてしまった。
すると、「ねえさま、げんきになった!」とサミュエルは嬉しそうに笑う。
「サミュエルのおかげで治ったみたい」
グレイスは弟を見つめながら、「ありがとう」とお礼を伝えた。
「姉様ね、明日学校がお休みなの。だから明日は一緒に遊びましょう?」
「やったあ! ねえさま、いっしょ!」
喜ぶ弟の頭をクシャリと撫でて、「だからもう寝ましょう」とベットまで手をつないで移動する。
横になってふにゃりと笑うサミュエルの胸をトントンすると、彼は間もなく寝息を立て始めた。
グレイスはしばらく弟の寝顔を眺めていた。
深夜に近い時間帯。グレイスはそっと部屋を出る。向かうは父の執務室。
ドアをノックすると、誰何する低い声がした。
「お父様、グレイスです。お話があって参りました」




