②夜中に目が覚めると
翌日マイケルは予定通りの時刻に来訪した。
「グレイス! 久しぶりだね。相変わらず僕のお姫様は綺麗だな」
そう言いながら彼は恭しく花束を差し出す。
グレイスの好きなガーベラのブーケだった。
「ありがとう! 好きなお花だわ!」
「もう少し君と僕の家が近かったら、しょっちゅう来ちゃうんだけど」
マイケルはさわやかな笑みを浮かべて流れるようにエスコートしてくれる。
「最近はどうだい? 相変わらず親友さんと仲良くしているの?」
マイケルがいう“親友”とは同じクラスのパトリシアのことだ。彼女との友人歴はウエンディほどではないが、クラスでもよく一緒にいるし仲の良い自覚があった。
(そういえば、マイケルといるときにはパトリシアの話をよくしているかも)
そう思いつつ、グレイスはマイケルが気にかけてくれることが嬉しくて、うきうきと口を開く。
「昨日学校で実習があってね。森に薬草つみに行ったの。虫がたくさん出るからパトリシアが怖がっちゃって。クラスの男子が頼られて、はりきっていたわ」
マイケルはよく学院での話を聞きたがる。そして決まり文句のように言うのだ。
「いいなあ。僕も同い歳なら良かった。そうしたらもっと、楽しかったのにな」
「うふふ。また言ってる」
ぼくは本心を言っているだけだよ、とわざと拗ねたように言うマイケルに笑みを返す。
他愛のない話をし、二時間ほどで彼は帰っていった。
「マイケル様がいらした日はお嬢様が元気になるので、私どもも嬉しいのです」
侍女のミラが目を細める。
「うん。マイケルは私の気持ちをいつも満たしてくれるの」
グレイスは花がほころぶように笑った。
夜中にドンと何かが部屋のドアにぶつかる音がして、グレイスは目を覚ました。
「カトリーナ様、お静かにしてくださいませ。お子様たちはもう寝ていらっしゃるのです」
家令の抑えた声が、扉を隔てた廊下から聞こえてくる。
「うるさいわねぇ。セバスチャン、私は出たくもない夜会に行ってきたのよ。それが“夫人”としての役割だって、あなたたちもよく言っているじゃないの。貴族同士の駆け引きなんてウンザリ。いいお酒でも飲まなければやってられないわ」
時々聞こえるろれつの回らぬしゃべり方に、母が相当酔っていることを察する。
母であるカトリーナは着飾ることが好きなようで夜な夜な華やかなところへ蝶のように飛び回る。帰宅するのも深夜が多く、そのお世話のために起きていなければいけない使用人のみんなには申し訳なく思っている。一方で母と顔を合わせなくていいことにほっとしている自分もいる。
というのは、グレイスは弟が生まれるまで、カトリーナから厳しい教育を受けていたからである。
物心ついたころからカーテーシーの仕方はもちろん、いすの座り方、淑女としての笑い方、ダンスに刺繍。指導項目は多岐にわたった。
六歳から家庭教師をつけられたが、母親も同席の上あれこれ口を出すので皆長くはもたず。やりづらさに辞める教師が続出したらしい。
中には母であるカトリーナの指導が厳しすぎて子どもの情操教育の妨げになっていると意見してきた|猛者もいたようだが、即刻クビを宣告されたとのこと。
そのうち母は鞭を持ち出し、グレイスが要求されたレベルに達しないときは罰として打つようになった。
食事の際には、カトラリーの音がならない様に細心の注意を払わなければならない。
叱責をおそれて、食事も楽しいものではなくなった。
そのうちにグレイスは痛い、悲しい、苦しいといった感情がぼんやりと薄れていくようになり、同時に楽しい、嬉しいと感動することもなくなっていった。
グレイスはこうして表情をなくしていき、十一歳の時点ですでに“小さな淑女”“完璧なレディ”と呼ばれるようになっていった。
そんな生活から解放されたきっかけは、マイケルやドレイクと過ごす時間ができたこと。そして年ごろの少女らしい情緒を取り戻せたのは、弟サミュエルの存在が大きかった。
サミュエルは三年前に生まれた、たった一人の大好きで大事な弟である。
彼が生まれたころから母の外出は目に見えて増え、グレイスに目を向けることもなくなった。
グレイスは自分のベッドで穏やかな寝息をたてるサミュエルの髪を優しくすく。
弟が夜泣きをするようになったのは、ちょうど一年前のこと。原因はわからなかったが、苦し気に泣きじゃくる弟をグレイスは迷わず自分のベッドに連れてきた。
幸いなことに、一緒に眠るようになってから、弟は目に見えて落ち着いていった。
「サミュエルはぐっすりね。あんなに大きな音が聞こえても起きないなんて、大物かも」
自分に身を寄せるようにして幸せそうに眠る弟のほほを撫で、グレイスも眠りについた。




