①婚約者マイケル
少しでも楽しんでいただけますように!
「よし、なんとかうまくできた」
グレイスはトルライド伯爵家の厨房で、焼きあがったクッキーを袋に詰めながらほっと息をついた。
明日は婚約者のマイケルが来訪する予定がある。グレイスはまだ一日前だというのにそわそわと落ち着かなかった。マイケルはマルダー子爵家の次男で幼なじみだ。
グレイスの母とマイケルの父が昔からの知り合いだったおかげで、小さい時から交流があり、グレイス十歳、マイケル十三歳の時に婚約が成立した。
婚約者のマイケルは「淑やかであれ」と厳しく育てられたせいで、抑圧されうつむきがちだった彼女の手を引いて優しく笑いかけてくれた。
ある時は「たまには息抜きも大事だよ」と自分の愛馬に乗せてこっそり街のカフェに連れて行ってくれた。また折に触れて「君の銀髪に似合うから」と今令嬢たちが夢中になっているかわいらしいアクセサリーを贈ってくれる。
親同士の決めた政略結婚の相手ではあったが、グレイスはマイケルに恋心を抱いていた。
「あとはプレゼントを受け取りに行くだけだわ」
侍女が用意してくれたワンピースを身に着け、髪をきれいにセットしてもらう。
「お嬢様。お申し付けくだされば私共が受け取りに参りますのに……」
そう言いながら、侍女のグエンが仕上げに髪留めをつけてくれる。
「ううん。マイケルへのプレゼントだから自分で行きたいの」
ほほをピンク色に染めながら恥ずかしそうに。嬉しそうに言うグレイスを侍女たちはほほえまし気にみつめていた。
♢ ♢ ♢
「じゃあ、お嬢。行きますか」
専属護衛のドレイクがグレイスをエスコートし、馬車に乗せてくれる。
ドレイクは学院を卒業してすぐ、自ら希望して危険な辺境デオリダールに赴いた勇敢な騎士である。
デオリダールは定期的に魔獣が出没する厳しい土地柄であり、各国と国境を接しているからこその難しさもある。グレイスが小さいころには、他国からの侵略をその確かな戦略と騎士としての腕っぷしの強さ、辺境の結束力で防いでくれていたらしい。
グレイスは、五年前にドレイクと初めて会ったとき、彼が身を置いていた場所の過酷さとその過酷さの中で数年間過ごしてきたことを微塵も感じさせない、彼自身の明るさに驚いたものだ。
ドレイクは王都郊外に居を構える、騎士の名門サンビアス伯爵家の出だという。
「なぜわざわざ危険な辺境に?」
命を落とすリスクが高い土地。そこに行かなくとも鍛錬できる環境があったのではないかと言外に含ませて問えば、彼はきりっと顔を引き締めてこう言った。
「自分はわりと恵まれた身の上だったので、精神的に鍛えたいと考えたのです!」
グレイスが素晴らしい騎士様なのだなと感心したのもつかの間。
「彼女にフラれた直後だったんでダメージが大きくて。戦いに没頭できるのがちょうど良かったんだ」
彼はかがんで彼女の耳元でそう囁いた。
貴族の付き合いとは、愛想笑いを浮かべ、互いに値踏みをしながら世辞を言いあうのが通例と思っていたグレイスは、目を大きく見開いた後、耐えきれずにふき出した。
あの時からずっと、ドレイクはグレイスのお気に入りである。
ドレイクは、普段はあくまでも仕える側の騎士としてグレイスに接するが、人目のないところでは気安い会話ができる関係でいてくれる。そのことがグレイスは嬉しかった。
「いやあ、しかし。お嬢も彼氏にサプライズを考える年ごろになりましたかあ」
前はこんなに小さかったのに、と言いながら、彼は自分の腰のあたりに手をあててトントンとたたいて見せる。
「十歳ごろの私はもっと大きかったもの。もう! ドレイクはいっつもからかうんだから」
グレイスはお目当ての店に向かって歩きつつ、彼の軽口に対抗する。
「プレゼントはお嬢が、カタログをめくりながら長い時間かけて選んだのです。マイケル坊ちゃんもきっと気に入ってくれますよ」
「そうだといいけれど……」
良いと思って選んだものだとしても、とたんに自信がなくなってくる。
――「あなたって本当に気が利かないわね」
――「美しい姿勢を保つことすらできないの」
――「試験で二位? 全然ダメね」
お母様から過去に投げつけられた言葉の数々がよみがえってくる。
いやな感情に支配されそうになり、グレイスは慌てて首を振って断ち切った。
(これだからウエンディに「もっと自信をもちなさい」って怒られるのよね)
グレイスは親友の顔を心に思い浮かべて深呼吸をし、心を落ち着ける。そして表情をきりりとしたものに変え、まっすぐ前を向いた。
お店から品物を受け取った帰り道。せっかくだから少し寄り道をしていこうと二人で屋台をひやかし、りんご飴を買う。甘酸っぱさを楽しみながら道を曲がったところで。
斜め前の建物に入っていく男女の姿が見えた。
女性の顔はよく見えなかったが男性の方は――――「マイケル?」
遠目でよく見えなかったけれど髪の色や体つきが、よく似ているようだった。
グレイスのつぶやきに、ドレイクも彼女の視線を辿ってその人物を確認する。が、件の人物が入っていった建物を見て、一瞬表情を険しくした。
「お嬢、もう遅くなってきたから帰りましょう」
グレイスは彼の助言に従って馬車までエスコートしてもらう。先ほど見た光景は印象的であったが、お土産のりんご飴を笑顔で食べるだろう弟の顔を想像するうちに、すっかり忘れてしまっていた。




