⑭父との時間 セドリックとの出会い
グレイスはアメリーと弟が買い物の練習をしている間、自室で学院の課題をこなしていた。父が学院に交渉して持ってきてくれたものだ。
昨日グレイスが現実逃避と気分転換を兼ねて、自室でサミュエルと走り回って遊んでいたら、珍しいことに父が部屋を訪れた。
「グレイス、学院はしばらくの間、休みなさい。登院するのは、マイケルとの件が落ち着いてからでいいだろう。無理して行くことはない」
それだけ伝えたかった、とすぐ去ろうとした父を、通りがかったセバスチャンが部屋の中に強引に押し込んだ。
そこで、一緒に遊んでくれると期待したサミュエルに誘われたロベルトが、なんと人形遊びに加わってくれたのだ。
「くましゃんは、どこへゆくの?」
「ぼくは、ちょっとジャムを買いに。ローリー紅茶店まで行くんだよ」
「さりーたんは?」
「あたくしは、新しいドレスを仕立てましたのよ? おーほっほっほっほ」
グレイスはあの父が、クマさん役とサリーちゃん役をやってくれることに驚きを隠せなかった。
しかも、即興でやっているのに、けっこう上手い。
「お父様は、お人形の遊びに慣れていらっしゃるのね」
娘からの感嘆の響きを感じ取り、ロベルトは照れくさそうに笑う。
「孤児院に通っていた時期があってね。男の子には追いかけっこや戦闘ごっこをねだられることが多かったが、女の子には人形遊びやお姫様ごっこをさせられたんだよ。グレイスと同じくらいの年頃の話だがな」
「私もいきました! ドレイクが連れて行ってくれて。わざとやんちゃな男の子のグループに混ぜられたような気がします。いっぱい走りまわって泥んこになって。どんくさいってバカにするから私も負けじとおいかけて。髪を引っ張られて、怒って追いかけて。クタクタになって眠ってしまったんです。気づいたら周りに一緒に遊んだその子たちがいて、『疲れて眠っているから、起こすなよ』って他の子に言ってくれていました。みんな素朴で優しい子たちでした」
「へえ。グレイスも行っていたんだな」
ロベルトは目を細める。
「あそこにはいったことあるか? ええと……カフェ・ロージー!」
「あります! あそこのパンケーキが美味しくって! ウエンディのお気に入りなの」
知った名前が出たことが嬉しくて、思わず興奮して手を叩いてしまった。
グレイスがごめんなさいと言いかけると、ロベルトがふっと優しく笑う。
「なんであやまるんだ?」
「だって大きい声を出してしまいましたし」
グレイスはもごもごと言いよどむ。令嬢としてはふさわしくない行動だった。
「俺はお前といろいろな話ができて嬉しいよ。俺はこの家がなくなるかもしれない危機と、父上の死が同時期に訪れたから、若いうちから「当主です」って偉そうな顔をしていなければいけなかったんだ。貴族の世界は弱さを見せてはいけないから。でも、俺にも夢があったんだよなぁ」
「どんな夢だったのですか?」
ロベルトは頬を緩める。
「子どもが生まれたら、その子に合った名前を付けて、たくさん遊ぶんだ。一年に一度はみんなで旅行して、仲良く過ごす。――実際できたのは、名前をつけたことだけだったな。ごめんな」
「お父様がわたしの名前をつけてくださったの?」
「そうだよ。お前は生まれた時から顔立ちが整っていてさ。たくさん笑う女の子だった。将来は絶対美人になると思ったんだ。花のように咲き誇ってほしいと、グレイスと名付けたんだよ」
グレイスは初めて知った父の想いに、胸がいっぱいになった。
「ありがとう、お父様」
グレイスの笑顔を見て、ロベルトは優しく微笑んだ。
「今度俺と一緒にカフェ・ロージーに行ってくれるか? 実は、娘とデートするのも夢なんだ」
ロベルトはグレイスを窺うように見た。
「はい! 喜んで」
二人でクスクス笑っていると、そこにサミュエルが突っ込んできた。彼はしばらくドレイクと「カウボーイごっこ」をして遊んでいたのだ。
「とうさま、ねえさま、どこいくの?」
「うん。今度カフェにいこうねって言っていたのよ」
「サムも!」
「じゃあ、みんなで行くか」
「やったあ!」
ロベルトはグレイスに向かって、まずは三人でだな、とささやいた。
あれから父とは少しずつだが、会話ができるようになってきている。
父は、仕事のスケジュールを調整して、朝食を一緒にとるようになった。その際に、今日は午後から市場に出かけることは伝えてある。
サミュエルが初めての体験を前に、期待に胸を躍らせている様子を、父は楽しそうに見ていた。
(ミラとグウェンにお土産を買ってこようかな。あと、お父様にも)
数日前にマイケル裸事件があったとは思えないほど、グレイスの心は凪いでいた。
♢ ♢ ♢
サミュエルとアメリーとグレイスで昼食をとったあと、裕福な庶民風の服に着替えてエントランスに向かう。サミュエルは、用意してもらったポシェット型のお財布がよほど気に入ったようで、時折開いて、中の銅貨を見ている。
銅貨はアメリーが三十枚ほどいれておいたそうだ。
三歳のサミュエルにはまだ重いのではないかと心配し、ドレイクがポシェットを持とうかと訊いているが、サミュエルはさっきから「めっ!」「サムがもつ」と言い張っている。
御者が馬車をホール前にまわしてくれたちょうどその時。
一人の見知らぬ男性がエントランスに降り立った。
男性は背が高く、瞳は涼し気な蒼。白いシャツの上に薄灰色のジャケットをはおり、濃藍のトラウザーズを合わせた品のいい着こなしである。日差しを受けた白金髪がキラキラと輝いている。
「わあ! おうじしゃまがきた」
隣で目を丸くしたサミュエルが叫んだ。まさに同じことを思っていたグレイスもサミュエルの言葉に無意識でうなずいた。
「遅かったじゃない。 約束の時間を忘れたかと思ってよ」
「叔母上との約束を忘れられるわけがありませんよ。それに時間通りです」
「口の減らない子だこと! さあ、紹介するわ。今日、ドレイクとともに市場見学の護衛を務めてくれる、セドリックよ」
すると男性は片ひざを折り、サミュエルと目線を合わせた。
「はじめまして。ぼくはセドリック。きみの名前を教えてくれる?」
「サミュウエルでしゅ。サムってよんでね。おうじしゃま!」
「わかった。サムくんね、よろしく」
「よーしくー!」
拗音がまだうまく発音できないことを察して、彼はすぐ合わせてくれたようだ。
立ち上がってグレイスの方を向いたので、カーテシーで挨拶をする。
「姉のグレイスです。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ」
二人はにっこり微笑みあう。
そこで唐突にサミュエルがグレイスに向かって両手を広げた。
「だっこ」の合図である。抱き上げると、嬉しそうにくっついてくる。
「あらあら、サムくん。甘えたさん?」
アメリーにほっぺたをツンツンしながらからかわれると。
「そんなことはないよ。おかいものをする、ぱわあをねえさまにもらってるの」とすまして答えるサミュエルであった。
周りから笑いが起き、和やかな雰囲気で市場へ向かうことになった。
特にサ行がうまく言えないサミュエルですが、「ねえさま」と「とうさま」はうまく発音できます。使用頻度の高さと相手への親近感ゆえ、です。




