⑪ロベルトの回想
時間がちょっと前後します。グレイスからの婚約解消の申し出→その直後にあったセバスチャンたちとの作戦会議(愚痴大会)、の後。くらいのお話。
セバスチャンたちとの作戦会議の後、ロベルトは執務室のソファにもたれていた。
体は疲れているのに、憤りをおさめることができず、頭は働き続けている。
娘が初めて吐露した感情に、彼は動揺していた。
「『誰にも愛されていない』なんて哀しいことを思わせていたなんて、俺は父親失格だな」
言葉にして、また落ち込む。
そもそもカトリーナと結婚したことを受け入れられなかったことが、娘への無関心につながってしまったかもしれない。そのことをロベルトは後悔していた。
かつてロベルトには将来を誓い合った婚約者がいた。
社交界デビューのダンスもその女性と踊ったし、学院時代も一緒の授業をとっていた。帰り道に街のカフェに寄っては、自分はあまり得意でもない甘味を食べた。
おいしそうに食べる彼女の笑顔を見ることができれば、それで満足だった。
彼女の誕生日には、店に足を運び何時間も悩んでプレゼントを買ったものだ。
もちろん男友達とも学びに遊びに、と交友を深めたが、彼女のことは自分なりに誠実に接し、大切にしてきたつもりだった。
自分で言うのもなんだが、何でも器用にこなし、成績もそれなりに優秀で、容姿も人気があった方だと思う。
だが、勉強ができたのは予習を欠かさずにしていたおかげであり、剣や体術に優れていたのは、領地に鉱山や森林地帯があったためだ。鉱山で働く者は、荒くれものや労働奉仕を強制された罪人が多く、森は危険に満ちている。
父の代理として領地をめぐり、時に獣や荒くれものを相手にしなければいけなかったため、自分の身を守らなければ、と必要にかられて身につけたものだった。
なのに「お前はできるからいいよな」「恵まれているよな」と妬まれるのが、なんだかとても億劫だったことを覚えている。
そんなロベルトの気持ちに寄り添ってくれたのが、婚約者の彼女だった。
「ロベルト様は努力の人ですよ」
「私からみれば、あなたは十分不器用です。甘いものも好きじゃないくせに食べたりして。でもそういうところがいいんですけどね」
「忙しいからってまた食事を抜いたでしょう?」
彼女はロベルトの頑張りをみとめ、ロベルトが苦手なことを彼自身が欠点だと感じなくていいようにふるまってくれた。そして、体調を心配して時折差し入れをしてくれた。
彼女の作る料理は素朴で、ほっとする味だった。
親同士が決めた政略結婚の相手ではあったが、ロベルトは彼女を愛し始めており、彼女との将来を思い描いていた。
だが、学院を卒業した翌年、その未来はあっけなく潰えた。
ある事故により、トルライド家の事業が大きく傾き、破産寸前まで追いつめられたのだ。
そこに援助を申し出てきたのが、ロイファット侯爵家である。
カトリーナの実家であり、財力も政治力も備えた格上の貴族家だ。
トルライド家に多額の借金があることを知った婚約者の実家からは、婚約解消の申し入れがあった。そして婚約解消から幾日も立たぬうちに、プライドの高い父から初めて頭を下げられた。
ロイファット家との婚約を願われたのだ。
もう選択肢はなかった。
ロベルトは人生で初めて、絶望というものを知った。
新しく婚約者になったカトリーナは、ロベルトの理解を超える女だった。
彼女の家からの援助で当面の危機は脱したとはいえ、事業を再び軌道にのせるにはそれなりの時間がかかる。
体調を崩した父に代わり東奔西走する彼に、カトリーナは「カフェに連れていけ」だの「観劇に行きたい」だの要望ばかりをおしつけてきたのだ。
彼女の相手をするのに辟易し、家業の建てなおしを理由に婚約期間を延ばそうとしたら、向こうの家が慌てて追加の支援を申し出てきた。
これで事業のほうはなんとかなる。
ひとまずの安心と、これで完全にロイファットから逃げられなくなったという諦念。
二十一歳のとき、一つ年下のカトリーナと結婚した。
嫁いで間もなくグレイスを身ごもった彼女は、ワガママを発揮し始めた。
紅茶の温度が好みではない。
髪の結いかたが気に入らない。
気が利かない。
若い使用人などは妻に声をかけられるだけで委縮し、過度の緊張が失敗を引き起こす。さらに、失敗を叱咤されることを恐れて小さなミスを繰り返す。そんな負のループが起こっていたようだった。
ロベルトのもとにも使用人たちからの陳情が寄せられるようになり、妻の事は専属の侍女に任せることになった。
カトリーナはそれから、人手不足を理由に自分の意向を忖度する使用人ばかりを追加で雇い入れ、そばに置き始めた。
意外なことにカトリーナはグレイスを可愛がっており、娘が覚えたことやできるようになったことを知らせに、毎日のように執務室に訪れた。
ロベルトも自分に似た娘のことは可愛いと思えたので、顔を見に行き、抱き上げて庭に出て遊ぶこともあった。
あの頃のグレイスは、表情がころころ変わるおしゃまな女の子だった。
そのうちロベルトは新規の事業を立ち上げることになり、再び寝る間もないほどに忙しくなった。カトリーナが来てから増え続ける出費とつりあうような収入を得るためにも、彼は仕事にまい進した。
そうこうするうちに数年が過ぎていた。
気付いた時には、娘は笑わなくなっていた。
使用人に事情をきいても「お嬢様は、淑女教育に励んでおられます」とか「カトリーナ様がよく気にかけておられますから、大丈夫かと」という答えが返ってくるだけ。
古参の使用人は遠ざけられており、事情がわからないという。
カトリーナに話をきこうとしても、ヒステリックに叫ぶばかり。
そうこうしているうちにマイケルとの婚約話が持ち上がり。
ロベルトはマイケルと実家の子爵家について調査を依頼した。だが、その結果が届かぬうちにカトリーナが婚約を強行させたのである。
さすがに夫婦で大ゲンカになったが、妻は「グレイスの希望だ」として譲らなかった。
だから、ロベルトはグレイスを呼んで話を聞いた。
婚約者としてマイケルの名前が挙がっているが、お前はそれでいいのか、と。グレイスは頬を染めて「はい」と答えた。
笑わなくなった娘が久しぶりに見せた表情には、たしかにマイケルへの好意があった。そのためロベルトは改めて相手の家に「諾」の返事をしたのである。
その後、縁あって知人から紹介してもらった騎士のドレイクが、期待以上の働きをしてくれた。
彼は正義感が強く、面倒見が良い。職務に忠実な上、気さくな人柄で親しみやすさがある。
グレイスの専属護衛にしたところ、家人にも分け隔てなく親切で、侍女たちともフレンドリーに接している。そしてグレイスの友人たちともそれとなく話をする中で、さまざまな情報をひろってくるのだ。
彼の話の中でもっとも衝撃的だったのは、グレイスがカトリーナから虐待を受けていた事実だった。私はすぐ様、カトリーナとグレイスの部屋を離し、グレイスの侍女を古参の者に変えた。
それでいくらかは改善されたと思っていたのだが……。
今回の請求書の件をふまえれば、古参の中にも不穏分子はいたことになる。
侍女頭のマチルダに、子どもたち周辺の使用人の見直しと選定の必要があることを話した。当主夫人の役割を果たしていないカトリーナに代わって、目付け役の夫人に相談して決めるよう指示を出しておいた。
家令のセバスチャンには、密偵を雇い、マイケルとカトリーナの周辺をさぐることと、マイケルとの婚約の経緯をあらためて洗い出すように指示した。
マイケルの不貞に関する証拠集めは万全にしておかなければならない。
ロベルトは細く長いため息を吐く。
今さら言っても詮無きことではあるが、カトリーナとの結婚を受けざるをえなかった自分に腹がたってくる。彼女は高貴な生まれで嫁ぎ先はよりどりみどりだったはずなのに、なぜ当家を選んだのか。そもそもなぜうちの事業があのタイミングで傾いたのか。
何度考えても釈然としない。鉱山の爆発事故について、ロベルトはずっと考え続けている。
「鉱山のガスだまりによる爆発が原因で死傷者が多く出た」
父上は当時、そう言っていた。だが、ロベルトはそのときに違和感を覚えた。
爆発が起きる少し前、ロベルトは件の鉱山を視察に行った。その際に、ガス抜きは正常に行われていたのを覚えていたからだ。管理員による巡回も定期的に行われていて、設備の劣化等も確認されていなかったはずなのだ。
事故直後、役人にその事実を訴え出たが、ガスがまだ鉱山の中に残っている可能性があるとして、入鉱しての調査の許可が下りなかった。そのため断念せざるを得ず、原因の特定がうやむやになってしまっていたのだ。
それからは、父とともに関係者への補償や謝罪などに追われる日々が続いた。
過労が積み重なり、心労も加わって。ある日父は倒れた。そして体調が回復することなく、そのまま身罷った。
その後ロベルトは、損失を埋めるため、必死に新規事業に邁進することになる。そして建て直しにかかりきりになっているうちに、今日まできてしまっていた。
あの時感じた違和感の正体をつきとめる術もひまもないままに。
――――もしあれが事故でないのだとしたら。
ふっと心に湧いてきた疑惑。その疑惑の先に浮かんだのは、自らの妻であるカトリーナだ。
「まさか……」
ロベルトは口元に手をあててしばらく考え込んだのち、旧友に手紙をしたため始めた。




