■第26話 「境界」の向こう側と、最後の朝
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
それでは、本編をお楽しみください!
二月の末。東京大学、本郷キャンパス。
赤門をくぐる受験生たちの波に押されながら、俺は一歩一歩、石畳を踏みしめていた。空は突き抜けるように青いけれど、風は容赦なく冷たくて、緊張でこわばった頬を叩いてくる。
ふと横を歩く涼子を見ると、彼女はマフラーに顔を埋めて、真っ白な息を吐き出しながら空を見つめていた。
「……陽太。3年前の春、あんたがラノベの読みすぎで『出題者と対話する』なんて言い出した時、正直バカだなって思ってたよ」
「俺だってそうだよ。ただの格好つけだったのに、神田先生に捕まって、気づけば3年も経っちゃったんだな」
俺たちは、どちらからともなく小さく笑った。
高校1年生の頃、ただキース・ラインというラノベの主人公に憧れて、その仕草を真似して問題文を読んでいただけの「真似事」。当時は「俺には特別な回路が見える」なんて、本気で自分を騙そうとしていた。でも、その幼稚な動機を、神田先生は笑わずに拾い上げてくれた。そして、3年という月日をかけて、それは俺たちを支える本物の「考える力」に変わっていた。
試験会場の教室に入ると、そこには独特の「重さ」があった。
日本中から集まった、自分より何倍も頭が良さそうに見える奴らが放つ、張り詰めた空気。以前の俺なら、その雰囲気に気圧されて、解答用紙を前に震えていただろう。
だが今の俺は、カバンから一本の、指に馴染んだシャーペンを取り出し、静かに机に置いた。
(神田先生が言っていた通りだ……)
昨日、最後に見送ってくれた先生の言葉が、耳の奥で繰り返される。
『お前たちが3年間、泥臭く自分の頭を使い、他人のために論理を組み立ててきた経験こそが、本番で迷った時の唯一の地図になる』
そうだ。俺たちはただ机に齧りついてきたんじゃない。
1年生の補習で、「なんでこうなるの?」という後輩たちの質問に答えるために、自分のわかったつもりの知識を全部壊して、一から組み立て直してきた。独りよがりの解釈じゃなくて、誰が読んでも納得できる「正解」を探し続けてきた。その責任感と、積み上げてきた時間が、今、俺の背中を支えている。
『試験開始』
冷たい合図と共に、一斉に問題用紙をめくる音が教室に響いた。
俺はゆっくりと、最初の問題に目を落とす。
「……うわ、きっついな、これ」
思わず、小さく呟きそうになった。
そこに並んでいるのは、最高峰の大学が仕掛けてきた、意地の悪い、でも驚くほど綺麗なパズルだ。
複雑な条件、読み飛ばしそうな小さな前提、そして受験生を迷わせるための巧妙な言い回し。
でも、不思議と怖くはなかった。
今の俺の目には、作問者の先生がどこで受験生を引っ掛けようとしているのか、その「継ぎ目」がはっきりと見える。1年生に教えていた時、みんながつまずいたあの「勘違いしやすいポイント」が、そっくりそのまま問題の中に隠されていた。
「……よし、やってやるか。先生」
俺は心の中で、目の前の問題を作った見知らぬ先生に向かって呼びかけた。
迷いはない。文章の一つひとつを丁寧に拾い上げ、その裏にある意図を自分の言葉に直して、揺るぎない理屈で解答用紙を埋めていく。
隣の席の受験生が、激しく消しゴムを動かしている。
でも、俺のペンは止まらない。
3年間の月日。
憧れから始まり、神田先生に叩き直され、涼子と一緒に悩み、後輩たちを導いてきた、あの長い、長い時間が、今、一滴のインクになって紙の上に形を作っていく。
俺は今、すごく自由だ。
憧れていたラノベの主人公みたいに格好良くはないかもしれないけれど。
自分の頭で考え、自分の意志で答えを選び取っている。その感覚が、たまらなく誇らしかった。
午前の試験が終わる鐘が鳴った。
俺は最後の一文字を書き終え、静かに空を見上げた。
窓の外には、冬の光に照らされたキャンパスが、驚くほど鮮やかに広がっていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
少しでも「面白かった!」「スカッとした!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、
ページ下部にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、毎日の執筆の爆発的なエネルギーになります!
ブックマークへのご登録も、ぜひよろしくお願いいたします!
それでは、次回もどうぞお楽しみに!




