■第2話 ゴールを知らずに走る奴は、ただの迷子だ
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「……ねえ、ちょっと陽太。さっきから何やってるの?」
予備校の授業中。プリントの解説を熱心に語る講師の声をBGMにしながら、隣の席の涼子が小声で咎めてきた。
「見りゃ分かるだろ。内職(自分の勉強)だ」
「見りゃ分かるから怒ってるの! 今、先生が黒板に書いてる長文読解のテクニック、ちゃんとノートに写しなさいよ。ここ、次のテストに出るかもしれないんだから」
「出ないよ。というか、出たところで今の俺たちには解けない」
俺はシャープペンシルを止めず、涼子の方を見向きもせずに答えた。
机の上に広げているのは、授業で配られたプリントではなく、本屋で買ってきたばかりの『志望校の過去問(赤本)』と、中学レベルからやり直す基礎の英単語帳だ。
「いいか、涼子。あの先生が今熱弁しているのは、早慶みたいなトップクラスの大学で、十年に一度出るか出ないかの『超マニアックな例外ルールの文法』だ。そんなものをドヤ顔で教えられても、基礎の単語すらまともに覚えていない俺たちにとっては、ただのノイズ……ゴミ情報でしかない」
「ゴ、ゴミって……先生に向かってなんてことを!」
「事実だろ。足し算も怪しい奴に、微分積分を教えてるようなもんだ。あんな解説を必死にノートに写しても、時間の無駄だ」
俺は過去問のページをパラパラと捲り、涼子に見せた。
「俺は昨日、自分の志望校の過去五年分の英語の問題を全部眺めてみた。もちろん英語なんて読めないから、パラパラ見ただけだけどな。でも、ひとつだけ分かったことがある。……俺たちの受ける大学の問題は、マニアックな文法なんて聞いてこない。ただ『基礎的な単語』と『普通の長文』が読めれば、絶対に合格点が取れる作りになってるんだ」
「……」
「ゴール(過去問)で要求されてるのが『基礎』なのに、なんで俺たちが予備校の授業に合わせて『応用』で頭を悩ませなきゃいけないんだ? ゴールの場所も知らずに、ただ『走れ』って言われて走り続ける奴は、努力家じゃない。ただの迷子だ」
それは、昨夜読んだラノベの中で、キースラインが『敵の罠の仕様も知らずに突撃するな』と仲間を叱りつけたシーンを、俺なりに現実の受験に翻訳したものだった。
涼子は絶句していた。
いつもなら「また変な屁理屈こねてサボろうとしてる!」と怒るはずの彼女が、反論の言葉を見つけられずに黙り込んでいる。俺の言っていることが、痛いほど図星だったからだ。
「……だから俺は、この予備校の授業の半分を『捨てる』ことにした。俺に必要な基礎知識だけを拾って、先生がマニアックな自慢話を始めたら、その時間はひたすら自分の単語帳を回す」
俺はスマートフォンのタイマーアプリをセットした。
画面には『25分』の文字。
「人間の集中力なんて、どうせ長くは続かない。25分間だけ全力で単語を覚えて、5分間は完全にペンを置いて休む。これを繰り返す方が、ダラダラと2時間授業を聞き流すよりよっぽどマシだ。……じゃあな、俺は集中する」
タイマーをスタートさせ、俺は単語帳の暗記という『自分だけの作業』に没頭し始めた。
***
それから数週間。俺の「ラノベかぶれの勉強法」は、さらにエスカレートしていった。
予備校から出される膨大な宿題は、俺が「今の自分には不要」と判断した瞬間、容赦なくゴミ箱行きにした。
その代わり、自分が間違えた基礎問題だけをノートにまとめ、カレンダーに「3日後」「1週間後」「2週間後」と復習する日を機械的に書き込んだ。人間はどうせ忘れる生き物だ。ならば、「忘れる直前に思い出す」という作業をスケジュールに組み込めばいい。気合で覚えようとするからパンクするのだ。
睡眠時間は絶対に削らない。夜の十二時には必ずベッドに入り、八時間寝た。
予備校の自習室では、周りが血走った目で何時間も机に向かっている中、俺だけが25分に一度、堂々とペンを置いて伸びをし、チョコを食べて休んだ。
「……陽太。あんた、最近本当にサボりすぎじゃない?」
ある日の帰り道。夜の駅へと続く道で、涼子が疲れ切った声で言った。
彼女の目の下のクマは、以前よりもさらに濃くなっている。俺が隣で堂々とサボって(休んで)いるのを見て、生真面目な彼女は「私が陽太の分も頑張らなきゃ」とでも思ったのか、さらに睡眠を削って予備校の課題に齧り付いていた。
「サボってない。スケジュール通りにこなしてるだけだ」
「嘘ばっかり。今日だって、自習室でしょっちゅうボーッとしてたじゃない。……ねえ、もうすぐ夏休み前の大事な模試があるのよ? 先生も言ってたでしょ、ここで結果を出さないと志望校は厳しいって」
「ああ、模試か。あれはただの『テストプレイ』だろ」
「テスト……プレイ?」
涼子が怪訝な顔をする。
「今の自分の実力で、どこまで通用するか。どこでミスをするのかを測るためのものだ。いい判定が出ようが悪い判定が出ようが、どうでもいい。本番で合格点をもぎ取るための、ただのデータ集めだ」
「……あんた、本当にどうかしてるわ。そんな甘い考えで、周りのみんなに勝てるわけないじゃない」
涼子は吐き捨てるように言い、俺から少しだけ距離を置いた。
その横顔には、幼馴染が急におかしくなってしまったことへの苛立ちと、自分だけが苦しい思いをして空回りしているような、強烈な焦りが滲んでいた。
(……涼子のやり方は、間違ってる。だけど、今の俺が何を言っても、あいつは聞く耳を持たないだろうな)
結果を出すしかない。
このふざけた、でも最高に合理的な俺の勉強法が、根性論で徹夜している連中よりも「正しい」ということを証明する。
数日後に迫った模試。
俺は、静かな闘志を燃やしながら、カバンの中の単語帳を握りしめた。
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