第4話 悪い気はしない
日曜日の昼下がり、姉の婚約者の神谷健斗の家に向かう。
姉は実家で暮らしていたが、これからは引っ越すまで、神谷さんの家に住むそうだ。
お姉ちゃんもこれからは《神谷》になるのか……。
ピンポーン。
インターホンを押した。
少し待つとドアが開いた。
「いらっしゃい」
神谷さんが出迎えてくれた。
「こんにちは」
「紗英の友達もう来てるよ」
「お邪魔します」
リビングには、姉の紗英、姉の友達の男女が楽しそうに笑いながらしゃべっている。
「あ、来た! 妹の紗奈。友達の俊と梨花。梨花は知ってるよね」
「うん。お久しぶりです」
姉に手土産を渡す。
「買ってこなくていいって言ったのにー、ありがと」
姉は買ってきたお菓子の袋を持ってキッチンに行った。
私は慣れてない人だと、借りてきた猫だ。
俊さんが、手招きする。
「こっち座んなよ」
ん? なんかちょっと馴れ馴れしい人……。
姉がお菓子を器に入れて持ってきた。
「俊……紗奈、振られたばっかだから、手を出さないでよー」
「ばっ! お姉ちゃん! 何言ってんの?!」
なんで喋っちゃうの……。
「次よ! 次!」
梨花さんがお菓子とジュースを私の前に置いた。
あれ?
「ていうか、梨花さんの旦那さんじゃないの? 俊さんて……」
「違う違う!」
梨花さんが速攻否定した。
「旦那様は、三上裕一郎だよ!」
「そうなんだ」
「ボクも今フリーだよ♡」
「ちょっと! 妹ナンパしないで!」
なんかあからさますぎて、照れるというより……。
――この空気についていけない。なんか疲れる。
俊さんの視線を感じる。
私はジンジャーエールを飲んだ。
「ライン交換しない?」
俊さんと目が合う。
「……うん、いいよ」
スマホを取り出して、登録し合った。
可愛いスタンプで、『よろしく』と挨拶する。
「紗奈ちゃん、スタンプ可愛い」
すると俊さんが少し身を寄せて、耳元で「紗奈ちゃんも可愛い」と言った。
顔が熱くなる。思わずジンジャーエールに口をつけた。
姉と梨花さんは話に夢中で、気づいてない。
「今度デートしない?」
直球きた……。
姉がこっちを見た。
「あー! そこ、口説いてない?」
「ただいまあ」
「あ、健斗帰ってきた。買い物頼んでたのよ。すき焼き食べてってね。時間あるよね?」
「うちは、そろそろ帰らないと」と、梨花さん。
「俺は、明日休みだからオッケー」
俊さんはソファーの背もたれに寄りかかった。
「美容院だからね、俊は。今日は休みなの?」
テーブルの上を片付けながら姉が聞いた。
「今日のために休んだ」
「あら」
「嘘。シフト変わってあげたから、代わりに休みもらったんだ」
「なるほど」
「紗奈も休んじゃったら?」
そう言って、姉がクスッと笑う。
「そんなわけいかないでしょ!」と私。
「まあ、帰りは俺が送るよ」と俊さん。
「ちょっと! 送り狼にならないでよ?」
梨花さんが突っ込む。
「わーかったよ」と俊さん。
「じゃあ、私、そろそろ帰るね。次に会うの、結婚式だね」
梨花が足を伸ばしながら、席を立つ。
「なんか寂しいわ」
姉も梨花の隣に立って、名残惜しそうにする。
「何言ってんの。まだ会えるし、これから幸せの絶頂になるんじゃないの」
姉と梨花がハグした。
梨花が帰った後、キッチンで健斗さんと姉が夕食の準備をしている。
リビングに、私と俊さんだけになった。
気まずい空気が流れる。
あの仕事だと喋れるんだけどな……。
「俊さんて、姉とは古いんだっけ?」
「いや、紗英が三年くらい前からずっと通ってくれてて、だんだん仲良くなったんだ。さっきの梨花も俺を指名してくれる」
「そうなんだ」
私は美容院だと、いつも喋らないな。店員さんがわかってくれて話しかけてこない。
俊がソファーに座り直して距離を詰めてきた。
「ほんと、紗奈ちゃんて可愛いよね。紗英より」
私は俊さんの顔を見た。すると、私をじっと見つめていた。
「俺、紗奈ちゃんに一目惚れしたかもしれない」
視線を外してテーブルの上のグラスを見た。
顔が赤くなっているかもしれない。固くなってしばらく黙った。
「紗英と健斗さん、お似合いだよなあ」
俊はソファーの背もたれにもたれる。すると、そのまま横にスライドしてきた。
えっ?
私の肩に左腕を回して、右手は私の顎へ。俊さんの顔が近づく。
ちょっ!
「やめてください。私軽くないんで」
私は精一杯の抵抗をする。彼の胸を押したけど力で負ける。
あー……。と、その時。
「出来たわよー」
俊さんは、秒で私から飛び退いた。
「うち、卓上コンロないからこのまま食べてね」
「おいしそ!」
俊さんが箸を取る。
「……」
婚約者の前で、姉の顔を潰したくないので黙っていた。
……すき焼きの味はしなかった。
「紗奈、食欲ないの?」
「うん……」
まだ、鼓動が早い。
「心配だな……。紗奈は俺が守る!」
俊さんが拳を握る。
(あんたのせいじゃん……。本気なの? それとも、遊び?)
「あんたに任せると、余計心配」
姉がピシャリと言った。
「追い出すわけじゃないけど、体調悪いなら早めに帰って休んだ方がいい」
健斗さんが優しく微笑む。
結局、食べ終わると、俊さんに駅まで送ってもらうことになった。外は薄暗くなっていた。
一人で帰れる。と言いかけたが、理由を聞かれるし、心配かけたくないので言葉を飲みこんだ。
駅までは、歩いて十五分くらい。なんかあったら姉に電話しよう……。
「さっきはごめん。紗奈ちゃん」
「いえ……」
びっくりしたけど!
「ちょっとお酒入って行きすぎちゃった。まじでごめん」
俊さんは頭を下げて謝った。
「いいです……もう……」
また歩き出す。
「紗奈ちゃんて、彼氏作らないの?」
「彼氏は……フラれるのが嫌だから……」
言い方間違えた……。
「こんな可愛い子、振るやつ信じらんねーな!」
「その代わり、私、レンタル彼女で働いてるの。……姉には内緒で」
よし、これを言えば、たいていの男は引く。そう思った。
夜風が少し冷たかった。
信号待ちでお互い沈黙する。
周りを見ると、なぜかカップルが多いように感じた。
「へえ……。だから男慣れしてるんだ?」
「慣れてないけど?」
「だってさっきのこと、紗英に話さなかったでしょ?」
「あれは……」
言いかけてやめる。
「俺、期待してもいいのかな?」
まっすぐ私を見つめる。さっきと違って、真剣な表情でドキッとする。
「俊さんて彼女いるでしょ?」
「いない、ほんとにいないよ。今は」
「俺の隣空けとくから、考えといてよ……そうだな、結婚式。紗英の結婚式のあとで返事聞かせて」
うーん……。まあ、あとで断ればいいか。
「うん。わかった」
「やっぱ、紗英と違って可愛いな」
そう言って俊さんが手を繋いできた。
……正直。悪い気はしない。なんで?
俊さんは、顔は悪くない。だから?
「俊、でいいよ。呼び方」
俊……か。手の温かみが伝わってくる。私は手の力を入れずにいた。
嫌いじゃないけど、入り込んでくる人。危うくキスされるところだった……。
どうせ、誰と付き合ったって傷つくだけなんだから。
駅前の喧騒に包まれた雰囲気と私の中の静けさが違いすぎて、周りの景色が入ってこない。
「怒った?」
彼が、顔を覗き込んでいる。
「あ、ううん」
「ずっと黙ってるから、怒ってるのかと思った」
意外とこっちのこと気にしてると思って、少し笑う。
「良かった」
そう言って彼が笑って、握る力を強くした。
――なんか落ち着いてきた。
「俊……って、いつもこんなふうに口説くんでしょ? わかるよ。手が早いもの」
これがいつもの私。
「なんか誤解されてるな。ほんと電気走ったんだよ。一目見た時から」
「またそういうこと言う」
「ね、明日夜会えない?」
んー……。
「あ、レンタル彼女の日とか?」
「違うよ」
「でも、絶対次会ったら手出すでしょ!」
「さっきはほんとごめん。努力します!」
なんの努力だよ……。
「まあ、次は結婚式で会いましょ。私あっちの路線だから」
手を振り解いた。
「うん。じゃあ、待ってる!」
彼が手を振る。
つい、手を振りかえしてしまう。
一直線男だなあ……。
信じてもいいんだろうか……。いや、ダメだ!!
今日会ったばかりなんだよ?
明日からまた仕事なんだから、一旦忘れよう。
ホームで電車を待っていると、夜風が気持ちいい。
俊は、表情がコロコロ変わる人だ。
会社の井上さんとは真逆だなあ。また明日顔合わせるかもしれない。
――私って何を望んでいるんだろう。
自分のやりたいことがわからなくなった気がする。
昔、本気で好きだったシンデレラストーリー。
いつか私だけの王子様が現れると思っていた。
人生そんな甘くないし……。
シンデレラみたいに置いてきた靴、拾ってきてくれる人が現れるんだろうか……。




