〈8〉転生令嬢とチョコレート
本日、二話目のアップです。
「安いのは北の復興地に工場立てて作らせてんだけど。この――高級品だけは隣国からの輸入品。ほら、ここにさ、カライ王室の紋章が入ってるだろ」
ルッツに指摘されて化粧箱を確認したら、オシャレな蓋の横のところに、森林に星の紋章と一緒に「カライ王室ご用達」の文字が確認できた。
「工場で作らせた普及品が売れても、普通に売上が計上されて、普通に税収として国庫に入ってくるだけだろ。――けど、こっちは違う。王室が隣国の商会と提携してんだけど、これが売れるたびに、使用料――ロイヤリティっていったかな、とにかく王室に直接カネが落ちてくる。しかも、元手はゼロ。――上手いこと考えるよな、エディオールも」
――ライセンスビジネスだ。
普及品は消費国に工場を建設して作らせる。高級品は自国でノウハウを囲い込んだまま、たんまりと付加価値を盛って輸出する。――どうやら、レイチェルが『ざまぁ』後の移住計画を立てている隣国には、かなりの知恵者がいるらしい。
「おれさ、これでカブトムシ作ってって言ってみたんだけどさ」
「え」
「そこまでの細工は無理だってさ。エディオールの菓子職人に秒で否定された」
「……正解ですわ。だって、チョコレートで精密なカブトムシなんか作ったら、本物と見分けが付きませんもの。間違えて食べてしまったら……い、いえ、ルッツさま、貴族学園に進学しましたのに、まだまだ子どもっぽいことを考えますのね」
手に取って頬張ろうとしたら、ギクシャクと手足を動かし始めるカブトムシを想像してしまった。レイチェルの顔色から血の気が引く。
「大丈夫だって。ほかではちゃんと将来有望な次期公爵演じてるから」
「演じるって……」
「なんかさー、おれ、おまえの気持ちわかってきたっていうか。これまで次男坊っていっておれのこと見向きもしなかった連中が、兄貴が死んだ途端、公爵公爵って持ち上げるようになってさー、すんげー変わり身早いの。本当、人間不信に陥るよなー」
本心から辟易しているかのように、ルッツは溜息をついた。
ルビンアート侯爵家の家人一同の名誉のためにも申告しておきたいのだが、レイチェルが引き籠もりとなってしまったのは偏えに前世のトラウマからであって、現在の境遇に何ら不満はない。――本当のことをルッツに説明できないのが、非常にもどかしい。
「ルッツさまは次期公爵なのですから、私のようなヒキコモリに固執する理由はないのです。この婚約、さっさと破談にしちゃってください」
「……おまえさ。顔見ると破談だの解消だのうるさいけどさ、おまえでいいって言ってんの、おれが」
「ひょっとして、いつぞやのセミ事故の責任を取りたいとかお考えなら、すっきりさっぱり忘れちゃってください。私、あんなの気にしてませんから」
「おれは気にする。――いや、気にしたい」
「だから、なんで?」
ここでレイチェルに執着する――?
「さっき言ったじゃん、人間不信に陥るって。――おれが次期公爵に指名された途端に、娘を紹介したがる連中が増えてさ」
「あ」
「おれ、ちゃんと、婚約者いるしーって説明してんだぜ? にもかかわらず、愛人でもいいからとかワケわかんねー」
「つ、つまり、ルッツさまは、私を虫除けにしたいと?」
「虫なら大歓迎だろ」
「女除けにしたいのですね」
「そ。しっかり役割果たしてもらうぞ」
「で、でも、次期公爵夫人が私のようなヒキコモリでは、なんていうか説得力が――」
「あのさ。おまえ、なんかカン違いしてね? おまえみたいに対人恐怖症っていうのは例外だけどさ、深層の令嬢だの箱入りだのっていって外に出てこない女はワンサといるぜ」
「あ……」
「社交とかあるから、公爵夫人でそういうのは少ないけど。――まあ、いんじゃね? おまえが働かなくても、おれ、困らないし」
たしかに、ルッツの言うとおりだった。人嫌いの貴族夫人とか病弱な貴族令嬢とか話題に事欠かない。つまり、ルッツは、結婚後もレイチェルが引き籠もりを続けてもまったく構わないと――そう宣言したわけか。恐ろしく理解のある伴侶である。――もしも結婚したらという仮定の話ではあるが。
しかし、レイチェルがルッツとの婚約を回避したいのは、そういう理由からではなく。
「わ、……私が困るのです。ルッツさまには、本当に愛し合うお相手と結ばれてほしいので――」
「だから。そういうの、おれ、必要ないから」
じとっと恨めしそうにぼやいてから、ルッツもチョコレートをひとつ口に入れる。
「――それにさ、おれに捨てられても、おまえ、結局のところ誰かほかの男と結婚しなきゃなんねーんだぞ?」
「……わかってます。現時点でルビンアート侯爵家の次代は私に掛かってますから。……で、でも、お義母さまが子を生めば――」
「養子を迎えるとか言ってるぞ」
「は?」
「――おまえの父ちゃん。おまえをおれの嫁にして、侯爵家には、おまえの本当の母ちゃんのほうの縁続きの養子を迎えるってさ」
――なるほど。
レイチェルの父親であるヘルマンは婿養子だ。リズベットはその後妻。――つまり、ふたりともルビンアート侯爵家とは縁も所縁もない。レイチェルの生母であるトルデリーゼの伝手を頼らなければ、他の親族が黙ってはいないだろう。軽く考えてもお家騒動――たしかに、それは拙い。レイチェルは、悪役令嬢(つまり自分自身)が去ったあとの『ざまぁ』後の世界で、両親には平穏に健やかに過ごしてほしいと願っているのだから。
「つまり、おまえの人生、二者択一。おれと結婚してランドルト公爵夫人になるか、得体の知れない男と結婚してルビンアート侯爵夫人になるか。おれ、すっげー理解あるし、おまえにとっておれ以上の相手って絶対にいねーと思うぞ」
「――いえ。女ひとり、身を立てるという選択肢もあります。この場合、侯爵家は養子を取りますから、私がルッツさまと結婚したのと同じ結果になります」
「対人恐怖症のおまえが、ひとりで身を立てるって?」
……う。
「由緒正しいだけで戦功のなかったルビンアート侯爵家、せっかくおまえの父ちゃんのおかげで持ち直してきたっていうのに、純血の令嬢は引き籠もり――災難だなー」
「……仕方ありません。うちは、その……どっちかっていうと文官の家系で、この国はずっと戦時下にあったのですから」
河州の大国――カライ。
東は獰猛なロアナーン王国を臨み草原諸国と、西は魔法の都とも称される悠久のエディオール王国と、――幸いにも近年は大惨事に至るような全面衝突には発展していないが、突発的局地的な小競り合いは途絶えたことがない。北には邪神を祀る怪しげな異民族も潜んでいるし――国民の大多数は戦うことに慣れ過ぎて、「平和」という価値観を忘れかけていた。
特に、ここ数年は、西のエディオール王国との駆け引きが半端なかった。
北の河川沿いで、西の国境線で、不毛な侵攻が繰り返される。
父親の書斎も、その関連の書籍だけで本棚三台をまるまる占拠していた。著作者――すなわち歴史学者は我が国の正当性を冗漫にたらたらと主張していたが、レイチェルにとってはそれは単なるこじつけでしかなく、特に、北東部併合以降の紛争の数々は、こちら側の無能な領主に原因があるとしか思えなかった。
――しかし。
「戦争は終わった。――叔父貴が終わらせた」
「本当に、ご立派な王さまですわ……!」
歴史的に拗らせまくっていた膠着状態、停戦でお茶を濁すしか策のなかった関係性を、休戦をすっ飛ばして一気に気前よく終戦――すなわち和平条約まで持っていった。――去年の年末のことだ。僥倖を実感する時代に生を受けたものとして、レイチェルはもちろん驚いたが、草葉の陰の歴史学者各位は、その何千倍も何万倍も驚愕していたことに違いない。
しかも、さっきのルッツの口振りだと、かつて戦地であった北の領地にチョコレート工場を誘致しているらしい。雇用の確保と産業の育成は復興には欠かせない。しかも、あの国王陛下は、貧乏子爵家出身のレイチェルの父親を経済観念があるからといって(単に質素倹約が性に合っているだけなのだが)、宰相として重用してくれている。――本当に素晴らしい。
「……おまえ、おれのことは無関心なのに、叔父貴のことはいつもベタ褒めなんだな」
「だって、本当に素敵な王さまですもの」
レイチェルがうっとりと呟いた。途端に、ルッツの表情が敵対心で強張る。
「おまえ、ああいうの、タイプなのか?」
「そりゃあ、もう。――理想の上司ナンバーワンですわ……」
夢見るように視線を伏せる。だから、向かいのルッツがわずかに安堵していたことに、レイチェルはまるで気付かなかった。
「戦後復興で、お父さまも大忙しですの。その――我が国には文官が少ないので、プロジェクトを任せられる人材に困っているのだとこぼしておりました」
「すげえぞ。おまえの父ちゃん。貴族に使えるやつがいないなら、一般市民大歓迎ーって言って、商人やら農民やらせっせとリクルートしてる」
「それは、お父さまが凄いのではなく、それをお認めくださっている王さまが太っ腹なのです」
「――だからさ。今、ルビンアート宰相って、叔父貴のいちばんのお気に入りってわけ」
「今さら?」
ルッツの言いかたには何か含みがありそうで、レイチェルは憮然と首を傾げてしまった。




