〈7〉転生令嬢の転機
レイチェル・ルビンアートは「セミ令嬢」として名を馳せていたので、お茶会にも、朗読会にも、演劇鑑賞にも――貴族令嬢が好んで嗜むような趣味の場にまったく顔を出さなくても、誰からも何を指摘されることも非難されることもなかった。
だって、「セミ令嬢だから」で、すべてが説明できてしまうのだ。
本人の関知せぬところでおもしろおかしく盛大に揶揄され失笑を買っているであろうことは想像に難くないが、とりあえず実害はないし、気にしても仕方ない。――だって、火のないところに煙は立たないの実証例なのだから。
あの夏の日から、レイチェルは、貴族社会公認の立派な「引き籠もり」となっていた。
しかし、一年も経つころには、自身の精神世界への傾向と対策がわかってきた。
要は、邪念というか雑念というか感情的な指向性が感じられなければ大丈夫なのだ。「業務連絡」に特化することで、使用人たちとの意思疎通を復活することが出来た。話しかけられなければまったく問題はないので、保護者同伴なら城下に外出することも可能になった。……とはいっても、セミ令嬢としては見世物にはなりたくないので、頭からスカーフを巻いたりフードを深くかぶったりして、街娘を装っていくのだが。侯爵夫人という柵から逃れて気軽に外出したいリズベットも一般市民のふりをしてのお出かけだし、軽く変装しているレイチェルとは、それなりに仲のよい母娘に見えたかもしれない。
そんなレイチェルだが、十三歳になった年――つまり、ルッツと引き合わされたあのガーデンパーティの日から数えて四回目の夏、予期していなかった転機が訪れた。
――なんと。
ルッツが、王室由来のやんごとなき格式を誇るランドルト公爵家の後継者に指名されてしまったのである。
公爵位を承継していた長兄が船の事故で他界してしまったため、すでに隠居していた先代が一時的にその座に復帰し、同時に――というよりほぼ自動的に、ルッツがその第一相続人となったのである。さらに言及すれば、ルッツが貴族学園の学生でなければ――つまり、すでに宮廷入りしていたならば、公爵位はルッツのもとに転がり込んでいたことだろう。運命とは、たまに面倒くさい采配を行う。
――しかし、ここに至って、レイチェルは、どう動いたらよいのか……自らの人生の選択肢に大いに翻弄されることになる。
何故なら、ルッツは、「レイチェルと結婚してルビンアート侯爵となる」という将来を選択しなくても、自力で超名門の「ランドルト公爵」に成り上が……いや、あるべき地位に収まることが出来るのだ。つまり、キズモノのレイチェルに固執する必要などきれいさっぱり消失する。――これは、ルッツが真実の愛に目覚めるまでに、なんとしても平和的かつ友好的に婚約解消してもらわなければ……!
そのように、レイチェルとしては新たなる闘志を燃やすのであるが。
――当のルッツときたら、割り切ったもので。
「いいじゃん、おれ、おまえ、気に入ってるもん」
身構えて力むレイチェルのほうがガクーンと気抜けするほどに、ルッツは平常心だった。
初めて出逢ったころは完璧な美少年だったルッツ・ランドルトは、この四年の間にすっかり大人びて、眉目秀麗――クールな知性派貴公子へと変貌していた。昔から得意だった学問のみならず、最近では、王太子も所属する馬術クラブの馬術試合でトーナメント準優勝という成果を収めているらしい。当然、優勝はゾルダン殿下なのだが――ある種の忖度が働いたのか、実戦経験に勝る王太子に機が向いていただけなのか――レイチェルの知るところではない。
学力優秀、スポーツ万能、品行方正、王族にも連なるお家柄、そのうえ超美形――ルッツ・ランドルトは間違いなくチートだ。……そりゃあ、乙女ゲームの攻略対象なんだから当然か。レイチェルは勝手に決め付けていた。
貴族学園でも社交界でもモテまくりであろうに、何故だかレイチェルのことは気に掛けてくれている。月に一回は必ず侯爵家を訪れて、引き籠もり令嬢に市井での話題を提供したり、珍しいお菓子を食べさせてくれたりした。
意外なのは、案外話がわかるというか、口ほどには意地悪ではないということだった。
レイチェルがふと「書斎の歴史書や物語でエディオール語を勉強している」とこぼしたら、なんと、公爵家の家庭教師を派遣してくれるようになった。聴けば、公爵家の子どもたちはみな成長してしまったので、契約業務としての学術研究だけでは時間が空いてしまうのだという。レイチェルとしては対人恐怖症の発作が出ないかと心配したのだが、そこは取り越し苦労で済んだ。どうやら、リズベットが、レイチェルの性癖(下心を隠して澄まし笑いで近付いてくる大人が苦手)をルッツに耳打ちしていたらしい。公爵家の家庭教師だという四十代の女性は、さすがのレイチェルが「もうちょっと愛想があったほうがよいのでは」と進言したくなるぐらいに機械じみていた。この家庭教師が、語学に限らず、一般的な貴族令嬢が学ぶべき事項のほとんどを伝授してくれた。
「――ルッツさま。もう、いい大人なのですから、その悪ガキみたいな話しかたはやめてください」
「引き籠もり女に言われたくねー」
……う。
ルッツは見目麗しく成長したが、性格のほうは幼少期のまま足踏みしているらしい。しかも、両親が同席していたり家庭教師を交えているときなどは完璧な貴公子の仮面を崩さないのに、レイチェルとふたりになると途端に箍が外れてしまうのだ。本来ならば「未婚の男女が室内に籠もるなど……」と苦言を呈する大人たちも、「まあ、相手が引き籠もり令嬢なのだから」と管理が緩くなっている。つまり、レイチェルとの時間は、ルッツにとっても素に戻れる貴重な息抜きタイムなのだ。
――ただし。
昆虫で着飾って周囲の反応を楽しむという悪趣味だけは、さすがに控えるようになっていた。
公爵家のお庭で昆虫採集に勤しんでいることはたしかなようだが、――まあ、男の子というのは、何歳になってもそういうものかもしれない。
今日も、ルッツは、城下で話題になっているという菓子を持参していた。平たくて小さな化粧箱をレイチェルに差し出して、無邪気に笑う。
「開けてみろよ」
「……とか言って、まさかクワガタムシとか詰まってたりして」
「あ。それ、考えてなった。――おもしろいから、次やる」
――言わなければよかった。だって、イタズラの被害者にされるのは、間違いなくレイチェルなのだ。
ルッツの満面の笑みが気味悪くて、かなり意識武装しながらも、オシャレな小箱の蓋を取る。
「あ……!」
――想定外の、既視感。
上品な小箱の中、三×三で合計九マスのマトリクスにお行儀よく並べられていたのは、まるで宝石のように輝く――濃い茶色の塊。大きさはだいたい三センチぐらいで、丸いのとか四角いのとか、……どれも微妙に顔が違う。上品な光沢に包まれたもの、しっとりしたパウダーをまとうもの、オシャレなパイピング模様を施されたもの――。
「これ……!」
「チョコレートっていうんだ。すっげー美味しいの。引き籠もりのおまえにも食べさせてやろうと思ってさー」
悪ガキ全開で、にぱっと笑う。レイチェルに食べさせたいという自己申告は、どうやら信用してもよさそうだ。
「い……いただいてよろしいのですか?」
「当然だろ。そのために持ってきたんだから」
許可を得て、レイチェルは手前の丸いのを手に取る。
パクっと食べて、……ほろ苦くてマイルドな甘さに、天にも昇る心地を覚えた。
「美味しーぃ…………!」
――おそらくは、前世ぶりのチョコレート。
すっかり忘れていたが、また味わえるなんて思わなかった。――これぞ奇蹟!
「ほろ苦くて、でも、まろやかな甘さ……!」
「そうだろ――? まだ非売品なんだぜ」
「え。……でも、城下で話題って――」
「あー、ビスケットとかアーモンドとかに巻いたのな。そっちはそんな高価じゃないし、すでに絶賛発売中」
「つまり、準チョコレート菓子なのですね」
「ジュン……何?」
――しまった。高橋萌子の妄言は封殺して、レイチェルは改めてチョコレートに意識を向ける。
「で、でも。……これは、箱も可愛いしひとつひとつが工芸作品のようだし、とても高価に見えます。こんな贅沢品、王さまがお怒りになるのではないですか?」
「そんなことない。叔父貴は推進派」
「え」
――なんと。あの、ドゲチの王さまのお墨付きだというのか。あり得ない展開に、さすがのレイチェルも輝く金色のお目々を真ん丸く見開いてしまった。
このあともう一話アップします。




