008:計画と準備と実行
――ヴァルターが私の屋敷を訪ねてきてから、二週間が経っていた。
悪阻が落ち着いた代わりに、お腹が少しだけ出てきたような気がする今日この頃。
屋敷の中も随分と整い日常生活に支障はなくなっていた。ミュラー家の支援だけでは心許ないと考えていた仕事のことも、事業企画を立てて少しずつ前へと進めている。王都で商いを始めるには許可が必要だ。小規模な商売なら申請書一枚で済むが、実店舗を営む商人からの推薦があれば、手続きはさらに早い。
お昼過ぎ。私は自室で父に向けた手紙を記しつつ、隣に置いている申請書に目を向けた。
「早く始めたいなら父さんに頼った方が良いものね」
商売を始めるならば、今の内だろう。私のお腹がもっと大きくなれば、出歩くことが難しくなる。もちろんトルーデとロッテ、アントンとゲオルグがいるから手伝って貰うつもりだが、私が始めたことだから軌道に乗るまで主導したい。
父を頼るのは少し気が引けるものの、出産を控えている私には動ける時間が少ない。だから父を頼ることは必要なことだと割り切るしかない。私は不要な衣料品を買い取り、修繕とリメイクを施して再販売することと、代筆屋を始めたいと記した手紙を父に送ろうとしていた。事業申請書は念のために用意したもので、記入を終えていた。
「本当にどうして……」
部屋で独り呟いて、少し出てきた自分のお腹に手を当てる。アドルフの子を身籠ったことが、どうしても腑に落ちなかった。避妊の魔法を施してくれていたというのに、何故授かってしまったのだろう。
『可能性が高いのは単に術の効果が薄れていた、でしょうか』
疑問をぶつけてみれば、経過を診て貰っていた医者からそう答えが返ってきた。医者の言葉に私はなんとも言えない気持ちを抱えてしまう。重ね掛けを施す時期を逸してしまったようだ。アドルフは時折、なにか大事なことを伝え忘れたりと、抜けているところがあるから彼らしいとも思ってしまう。
父に向けた手紙を書き終えた私は椅子の背凭れに身体を預け、机の上にあるアドルフの姿絵を見る。
「酷い人」
最後の最後にアドルフが置き土産をくれるなんて。そして素直に受け取って良いのか、悪いのか判断がつき難いものを残してくれたなと私は片眉を上げた。義母から死んでは駄目だと言われ、父からは自分だけの人生を歩んでも構わないと言われ、使用人の四人からは子が無事に生まれてくるようにと願ってくれている。
私はまだ、子供を育てることが怖い。弟のように失ってしまうかもしれないし、母のように自分が死んでしまうかもしれない。けれど、怖いからといって、この子のことを考えないまま時を過ごしたくはなかった。私は腹に当てた手を、そっと動かした。まだ何も感じ取れない、小さな命がそこにいる。
「……産んでみようと思うの」
姿絵のアドルフに告げた。凄くか細い声になった。それでも、私がお腹の子について初めて自分で出した答えだった。生んだ子をきちんと育てられるか分からないけれど……一緒に生きて笑って、泣いて、怒って、子供の成長を見守ることができれば、私も過去のことを受け入れることができるかもしれないと。
「不安は大きいけれど……独りで生きているわけじゃないものね」
だから、見守っていて欲しいとアドルフの姿絵の隣に置いている婚姻指輪の入った箱を撫でた。
「感傷に浸っていては駄目」
やらなければいけないことを思い出して、私は椅子から立ち上がる。父に送る手紙を持った私は部屋を出て、アントンとゲオルグを探す。今の時間であれば庭にいるだろうかと、廊下にある窓から庭を見つめる。そこにはスコップを肩に掲げるゲオルグと肥料袋を四つ持ったアントンが外の通りに視線を向けていた。
「騎士団の人ら、頻繁に見ません?」
「巡回を増やしているようだな」
ゲオルグが首を傾げ、アントンが肥料袋を地面に置く。私は屋敷で過ごすことが多く通りの状況は分からない。ただアントンとゲオルグは外で騎士団の人を良く見かけるようになっているらしい。
もしかしてヴァルターがこの辺りの巡回を増やすように騎士団にお願いしたのだろうか。この屋敷は治安の悪い場所ではないから、そう必要はないはずなのに。良く分からないと私は息を吐き、庭にいるアントンとゲオルグの名を呼ぶ。
「はい」
「ご用事ですか?」
私の声に二人が窓まで近づいてきてくれた。私が父に手紙を渡して欲しいことを伝えれば、ゲオルグが手紙を受け取ってくれ『んじゃあ、一っ走りしてきます!』と告げてスコップを置き、ぴゅーっと庭から門扉を出て行った。
「足、速い」
「ですな。しかし人の話を最後まで聞かないのは頂けません。あとで注意しておきます」
私の言葉にアントンが深い溜息を吐く。彼は元騎士団に所属していたそうで、ゲオルグの軽い振る舞いが気になるようだ。そうして私の手紙を預かったゲオルグが父の商家から屋敷に戻ったのは、陽が沈む頃だった。
夜にはアントンとゲオルグは屋敷から父の商家へと戻るから、少し悪いことをしてしまった。ゲオルグは『仕事だし、ご店主さまからの手紙を預かったから早い方が良いと思って』と笑っていたけれど。アントンはゲオルグの耳を軽く引っ張って『もう少し落ち着いた行動を取るようにと』告げながら帰っていった。
一時間後。私はトルーデとロッテと三人一緒に夕食を取っていた。
トルーデは料理上手ということもあってか、同じスープであっても具材や味付けを変えて飽きない工夫がされている。今日は安くて質の良いきのこを見つけたと、トルーデがスープを作ってくれていた。
出汁の匂いが鼻をくすぐり、ほんの少し前まで食べることに難儀していたことが信じられない。神に祈りを捧げてスプーンを手に取る。食事の味と食器が鳴る音を楽しみながら私が手を進めていれば、ロッテが机の一点をじっと見つめていた。
「ロッテ、どうしたの?」
「いえ、なんでもありません」
私が声を掛けると、ロッテははっとした顔をして大きく左右に首を振る。トルーデは私とロッテのやり取りを見つめながら食事を進めていた。気になって声を掛け、なんでもないと返事が戻れば余計に気になってしまう。ロッテは急いでスープとパンを口に運び、空になった器を下げるために食堂を出て行く。私は首を傾げながら、トルーデの方へ視線を向けた。
「ロッテは大丈夫かしら?」
「少し、悩んでいることがあるようですよ」
ふふふと笑うトルーデに私は首を反対側に傾げる。どうやらロッテはトルーデには言えて、私には言えないなにかを抱えているようだ。気になるけれど、年頃の女の子から無理矢理に聞き出すのは酷なことかもしれない。
ロッテの誤り癖もだが、今のことについても、おいおいに解決できれば良いと願いながらまた食事の手を進める。トルーデが作るご飯は美味しいと食べていれば、今度はトルーデが私を見つめていた。どうしたのという代わりに視線で返事をすれば、トルーデが口を開く。
「エレノアさま、ご店主さまからのお返事は?」
「ええ。事業は始めて問題ないと。あまり無理をしないように、急ぎ過ぎないようにとだけ、釘を刺されたわ」
トルーデは父に出した手紙の返事がどうなったのか知りたかったようで、私は素直に答える。彼女にも仕事を手伝って貰うから秘密にする必要もない。屋敷の整理も落ち着いて、手が空いているから丁度良いそうである。
軌道に乗るまでは利益を出すのは難しいだろう。屋敷を店舗として始める事業だから、元手がかなり少なく済ませることができた。代筆業も読み書きの能力と筆と紙があれば良い。あとは文章にセンスがあれば、口コミで代筆依頼が増えていくはず。
父は推薦状を書いてくれたので、特に問題なく事業申請書は通るはずだ。実家に戻れば、父に迷惑をかけるかもしれないと考えていた自分が恥ずかしい。
家族として父は私を愛してくれているんだなと私は手をそっと腹に添えた。
「では、これから動かれるので?」
「そのつもり。修繕事業の方は早く動けば動くだけ、お金となる品が増えるから、申請が通り次第動く予定よ」
私の声にトルーデが『承知しました』と小さく頭を下げた。そうして彼女は食べ終えたお皿を下げてくれる。明日は事業申請書を役所に出しに行かなければ。またゲオルグに走って貰わなければいけないことに、片眉を上げて私は席を立つ。
トルーデに片付けをお願いして自室に戻ろうと私は席から立ち上がる。食堂を出て短い廊下を歩いていれば、ロッテが廊下にある棚を見上げている。そこには十数冊の本が置かれており、暇な人は勝手に読んで良いことになっていた。
「ロッテ。なにか読みたいものがあるの?」
棚には暇だろうと父が贈ってくれた本が置いてあった。王都で人気の小説だったり、商売について記されたものである。ロッテには少し早いかもしれないが、興味があるなら読んでみると面白いかもしれない。ロッテは私の声にはっとして『ごめんなさい!』と頭を下げる。私は気にしないでと声を上げ、どうして棚を見上げていたのかと問うてみた。
「読んでみたい気持ちがあるのですが……私は孤児で文字が読めなません……」
ロッテが肩を落としながら、視線も廊下に向けた。明るい子だから、時々、彼女が孤児だったことを忘れていることがある。そうだったと私はロッテの横に立ち腕を伸ばして、彼女の肩に置き身体を軽く引き寄せた。
「なら、文字を習ってみる? 夜の時間なら私がロッテに教えられるから。読み書きができるようになって、本を読めるようになればロッテの世界が広がるはずよ」
「でも、エレノアさまにご迷惑が」
ロッテが私を見上げる。彼女は目尻に涙を溜めていて、思わず肩に回している反対側の手で頭を撫でる。大丈夫だからという気持ちを込めて。
「迷惑なら、私もロッテに掛けているもの。お互いさまでしょ」
ロッテは私の悪阻が酷かった頃、いろいろと迷惑を掛けた。進んで片付けをしてくれたし、背中をさすってくれたりと、凄く気を使ってくれていた。彼女の優しさを私は無下にしたくないのだが、ロッテはまだ迷っているようだ。ふと、彼女に分かりやすい目的を持って貰えば、首を縦に振りやすいだろうかと私は口を開いた。
「仕事を始めるって話をしたでしょう。ひとつに代筆業を営むことを決めているの。ロッテが読み書きできるようになれば、私は助かるのだけれど」
私の声にロッテが何度か瞬きをする。
「目標があれば、頑張れそう?」
ロッテが無言で頷く。どうやらまだ心の中では決心がついていないようである。あまり長々と勉強時間を設けても彼女の負担になるだけだ。一日、十分から三十分なら丁度良いくらいだろうか。この辺りは手探りだし、ロッテの理解力に掛かってくる。様子を見ながら調整だなと私は頭の中で考える。
「なら、明日から。夕食のあと、ロッテの雑事が終われば私の部屋にきてくれる?」
難しくするつもりはないし、遊びの延長で気軽に受けて頂戴と言葉を付け足した。するとロッテは『はい』と頷いてくれる。
「代筆業の他にも、要らなくなった服を集めて修繕して、もう一度売りに出すっていうこともね。上手くいくか分からないけれど、ロッテは手伝ってくれるかしら?」
私の声にロッテは少し考える素振りを見せれば、先程まで悲しい顔をしていたのはどこへやら。私を見たロッテが笑い、胸に手を置いた。
「もちろんです! ゴミ漁りなら任せてください!!」
「ロッテ……服を買い取るのだから、ゴミ漁りは不要よ?」
要らなくなった物は捨てられるのが常だが、わざわざゴミ捨て場を漁る必要はない。とりあえず各家庭から集めるつもりだと伝えれば、ロッテは早とちりしましたと照れくさそうに苦笑いを浮かべるのだった。




