007:彼女の事情と撃沈と決意
アドルフ・フォン・ミュラーの奥方であったエレノア殿は何故、ミュラー家から追い出されてしまったのだろう。
アドルフ殿が亡くなってから、私は何度もそのことを考え答えを出せずにいた。
アドルフ殿の遺品をまとめてミュラー家へ届ける。それが戦死した仲間を送り出す騎士としての務めだ。――けれど、王国の騎士団には一つの風土がある。
失った仲間の家族は、残った者が支えるというものだ。私もまた、騎士団のしきたりに従って恩師であるアドルフ殿の奥方を気に掛けていた。
エレノア殿はミュラー家を出て、彼女の実家であるカウフマン家に身を寄せている。だから二度目の訪問はカウフマン家に向かった。そこで見た彼女は少し瘦せていたように感じた。私の勘違いかもしれないが、そう見えてしまったのだ。だから私はまた会う約束を無理矢理に取り付けた。そうしてまた様子を伺いにいこうとすれば、彼女はカウフマン家からも出て行ったと知った。
アドルフ殿に恩義を感じている騎士団の者は多い。彼らもまたエレノア殿を気に掛けていたようで、私のもとには彼女の近況が少しずつ届いていた。そして『様子を見に行ってくれ』と私の背中を押してくれた。
そうして訪れた王都の端にある小さな屋敷を目の前にする。静かな朝の時間。薄靄の掛かる屋敷の庭では、厳つい顔をした男がスコップを持ってウロウロしている。――一体、誰だ。
仲間が齎してくれた情報では『エレノア殿は小さな屋敷に移った』ということ。そして『女性の使用人が二人付けられているようだ』ということだけ。男がいるとは聞いていないと、私は自然に屋敷の庭へと厳しい視線を向けていた。庭にいるスコップを持った男は私の存在に気付き、ばっとこちらを向く。
気づかれた。
と認識した時には庭にいる男はこちらに歩みを進めている。右の額に傷のある男が持っていたスコップを私に向けた。本来であれば平民が騎士にこのような態度を取るのは許されない。
だが右の額に傷のある男の所作には覚えがある。もしかすると彼は王国の騎士団に所属していたのではないだろうか。スコップを持つ構えが、騎士団で習う構えと同じだったのだ。だから私は彼に敬意を払わなくてはならない。騎士団を辞めた理由は分からないが先達なのだから。
「屋敷を不躾に覗くのは感心しませんな、騎士殿?」
「失礼を。不徳の致すところです」
右の額に傷のある男に私が礼を執れば、差し向けていたスコップを下した。それと同時に玄関の扉が開きエレノア殿が姿を現し、右の額に傷のある男と並び立つ。
何故、彼女がアドルフ殿以外の男と並んでいるのか。その光景を見た瞬間、私の胸の奥が妙にざわつく。どういうわけか、ひどく面白くない。だが、怒りに身を任せるのは適当ではないと自分に言い聞かせた。
「ヴァルターさま、何故、こちらに?」
心底不思議そうにエレノア殿が私に問う。朝靄が少し晴れて、彼女の顔がはっきりと見えた。やはり少し痩せたのではないだろうか。初めて会った頃よりも少し頬がこけている。ここは正直に答えた方が良さそうだと私は半歩前に進む。
「騎士団の仲間から、貴女がこちらに移り住んだと聞きました。お独りで苦労をされているのではないかと」
私の言葉にエレノア殿は少し目を見開いた。私と騎士団の者たちが、エレノア殿の近況を知っていることに驚いたのだろうか。それとも独りで苦労されているのではという言葉に反発を持ってしまったのだろうか。女性の気持ちを推し量るのは難しい。なにせ男ばかりの騎士団で生活しているのだから。私の実家であるアイゼンベルク家も男兄弟しかおらず、身近な女性は母くらいしかいない。
「立ち話はなんですから、中へどうぞ」
片眉を上げたエレノア殿は私を屋敷の中へと導いてくれた。右の額に傷のある男も当然一緒についてくる。そしていつの間にか二十代手前の男も現れ、エレノア殿の側に控えていた。中に入れば、以前私に庭の景色をお楽しみくださいと告げた女性まで現れ、側には少女も一緒にいる。
女性二人は使用人だろう。話を聞いていたから、いても不思議ではない。しかし、私が知っていたのは使用人が二人いるということだけだ。目の前にいる男が二人、女性が二人。思っていたよりも随分と賑やかな屋敷らしい。エレノア殿の後ろ姿を奇妙な気持ちで私は眺めながら、短い廊下を進む。
「申し訳ありません。なにぶん、小さな屋敷なもので狭い応接室ですが……」
「少し様子を伺いにきただけです。どうかお構いなく」
そう口にしたものの……応接室には来客用と思しき椅子と小さな卓が置かれている。必要なものは揃っているようだが、決して広いとは言えない。ミュラー男爵家で見た来賓室を思い出し私は思わず眉を寄せた。
……ここが、エレノア殿の暮らす屋敷なのか。
小さいとはいえ、掃除は行き届いている。家具も粗末なものではない。ただ男爵夫人だった彼女には、少し不釣り合いに思える。いや。不釣り合いなのではなく、なにか事情があるのかもしれない。であるならば、彼女がカウフマン家から出たことにも納得できる。そう考えたからこそ、私は改めてエレノア殿の顔を見た。彼女は何を隠しているのだろうか。だが、こちらから無理に聞き出すべきことでもない。
「父が用意してくれた屋敷なのですが……騎士さまをお通しするには不釣り合いですね」
「……決して、そのような意味で申し上げたのではありません」
「そうですか?」
エレノア殿は穏やかに微笑む。怒っているのか、ただの冗談なのか。私には判断がつかないが、少しだけ揶揄われているようにも見える。商家出身の女性だし、男爵夫人を務めていた人だ。
いろいろな経験を持っているのだろうと私は案内された席に腰を下ろし周りを見つめる。今日は既に窓は開けられ、換気がなされている。朝の冷えた空気が入り込み、屋敷の空気と溶け合っていた。
彼女は騎士団の力を借りることに、あまり積極的ではないようだった。であるならば、どうやって彼女に我々を受け入れて貰えるのだろう。訓練で手練れの相手に勝つことよりも、敵兵を屠るよりも、難しいことだと私は苦笑いを浮かべそうになった。そんな気持ちを誤魔化すように私は背を正し前を見据える。騎士として恥ずかしい態度は見せられない。
「たくさんのことが一気に起こっておられます。お疲れではありませんか? あまり、ご無理をなさらぬように。力仕事ならば、騎士団で手隙の者を派遣することができます」
ご用命があれば騎士団に連絡をくださいと私は続けた。
「騎士団の方を私的なことでお呼びするわけにはまいりません」
彼女が真面目な顔をして私に告げる。私の物言いでは仕事中に派遣されるように聞こえてしまったのは当然だろう。もう少し、言葉を上手く伝えられれば良いのだが……生憎、私は口が上手くはない。だから補足をと少し慌てて口を開いた。
「もちろん我々も勤務時間中に動くことはできません。時間外に余力のある者が向かいます」
今は私が主担当となっているが、騎士の仕事が忙しくなれば様子を伺いに向かえない。だから仲間内で金を出し合っていろいろな手配をすることもある。金を出し合うという考えに、私はこれも彼女には必要なことかもしれないとはたと気付く。踏み込み過ぎではないかと不安になるが、大事なことでもあると私は口を開いた。
「失礼ですが、金銭面でお困りのこともあればお申し付けください。細やかですが、一家族が慎ましく暮らせる資金はご用意できるかと」
騎士は貴族の子女が多く就くため、給金はそれなりにある。皆で金を出し合えば、女性一人を支えるくらい些末なことだ。
「ご厚情、感謝申し上げます。力仕事は後ろの二人に任せられます。生活費についてはミュラー男爵家からの援助と私の父から支援を受けておりますので、お気になさらず」
エレノア殿がミュラー家から援助を受けていることは初めて知った。彼女のお父上から支援を受けているという話も初めて知ったが、実の娘に対するものだから納得はできる。ミュラー家から彼女は追い出されたのではないのだろうか。義両親から酷い扱いを受け、泣く泣く籍を抜けたのかと少し憤っていたが……どうやら真実は違うようだ。
「そう、でしたか。不躾なことを申し出てしまいました」
私は勇み足過ぎただろうか。もっと紳士的に対応したかったのだが、何故かエレノア殿には情けない姿を見せてばかりだ。顔に熱が灯り始めたことを自覚して、私は椅子から腰を上げる。
「エレノア殿が健やかにお過ごしであれば問題ありません。なにか困ったことがあれば、いつでも我々を頼ってください。では、これから勤務となりますので」
お暇させて頂きますと頭を下げた。私が席から立ち上がるのを認めたエレノア殿も見送りのためと腰を上げる……だが、彼女の身体が床へと倒れ込みそうになった。私は彼女が床に頭をぶつけないようにと無意識に両腕を伸ばす。
「エレノア殿!?」
「お嬢さま!!」
「エレノアさまっ!」
勝手に口から大きな声が出ていた。そして使用人の女性二人も咄嗟に身体を張って、エレノア殿を受け止めようとしている。そして使用人の男も動いているが……間に合わない。
一瞬の出来事だった。
私が伸ばした両腕は床に倒れ込む寸前だったエレノア殿の身体を支えることができた。ふうと私は大きく息を吐いて、エレノア殿と視線を合わせる。
「大丈夫ですか?」
私の声にエレノア殿が身じろぎして距離を取れば、手や腕に感じ始めていた体温がすっと引いていく。
「申し訳ありません、助かりました」
「いえ。間に合って良かった」
エレノア殿が私に深く礼を執る。
「では、私はこれで。エレノア殿、ご無理は決してなさらぬように」
私も礼を執り、足早に応接室を一人で出て行き、廊下を歩いて玄関を抜け門扉を通り越す。朝靄は晴れ、陽の光が王都の街に差し込んでいた。
女性の身体はあんなに軽いものなのか。そして、壊れてしまいそうなくらい細かった。しかし私が抱き留めた彼女は直ぐに身を離そうと動いていた。もしかして私は彼女に嫌われているのだろうか。たしかに男として情けないところを見られているから、騎士として認めてくれていないのかもしれない。はあと溜息を吐いた私は、待って貰っていた馬車に乗り込み騎士団を目指す。
騎士団の隊舎に入り、午前の時間は訓練を行い、午後からは執務に取り掛かる。ちらほらとある空席に私は眉間を顰めるが、詮無いことだと首を振る。他の者たちも執務を行っており、報告書の作成に取り掛かっていた。
そうして自席に就き作業を行っていると、エレノア殿のことが頭に浮かぶ。最愛のアドルフ殿がいなくなり、彼女は寂しい思いをしているのではないかと考えていたが、独り暮らしを始めた屋敷には使用人がいた。
どこまで彼女と仲を深めているか分からないが、一目見た限りは上手くやっているように見える。少し痩せていたから食事を摂れていないのではと心配になってしまう。だが一目見て不健康だと思えるほどではなかったから……口にするのは憚られる。
はあと息を吐いていると、私の背後に気配を感じた。
そうしてポンと軽く肩に手を置かれて、私は後ろを振り返る。そこには私と同期の男が立っており、にっと笑って反対側の手を挙げた。
「ヴァルター! 朝、例の人の様子を見に行ったと聞いたぞ」
同期の男の声掛けに私は『ああ』と頷く。特に隠していることではないし、彼もまたアドルフ殿に世話になっていた者である。エレノア殿のことを気に掛けているのだろう。
「なんだ、そのシケた面は!」
「……いろいろと考えることがあってな」
私は暗い顔をしているのだろうか。騎士として常に平常心を保てるように、感情が外へと漏れないように努めていたはずである。
「悩んでるなら言っちまえよ。話して楽になることもあるだろうし、協力できることがあるかもしれないだろ?」
同期の男が肩を竦めた。たしかに話してみても良いのだろうか。周りは私がエレノア殿の家を訪ねたと知り聞き耳を立てていた。私がいる執務室は同じ隊に所属しており、気の知れた者が多い。
中には女性騎士もいるから、女性のアレコレについて聞けるかもしれない。あまり踏み込んだことは話せないが、エレノア殿が少し痩せていたこと、立ち眩みをおこして倒れそうになったことを口にした。私はエレノア殿になにができるのだろうかと、愚痴に近いことを零せば、いつの間にか執務室にいる者たちがいつの間にか私の周りに集まっている。首を傾げる者、両手を腰に当てている者、真面目な表情で考え込んでいる者、様々だった。
「食料品でも送れば良いのでは?」
「いや、元男爵夫人だ。ドレスや装飾品では?」
「寂しいなら、顔の綺麗な男を……――」
「――ふんっ!!」
「ふごぉっ! ……ごめんなさい。もう言いません」
「分かれば良し!」
口々に集まった者たちが声を上げる。まあ一人、軽々しいことを口に出してしまい、女性騎士の鉄拳制裁を貰っているが……本当に気の良い仲間たちである。私は私の困りごとだけを皆に相談するのはフェアではないと、集まった皆の方を向く。
「私の様に困っている者は?」
我々が仲間を失い、家族の面倒をみようとなっている方はエレノア殿だけではない。どう手を差し伸べれば良いのか悩んでいる者がいるかもしれないと私が問うてみれば、丁度良いと彼らが声を上げる。
戦争は終わったものの、失ったものは大きい。だが前を向いて歩いていかなければならないと、多くの者たちが歯を食いしばって気持ちを切り替えようとしている。私一人ができることは少ない。でも、こうして仲間たちと共にできることをやっていかなければと、少し気持ちが軽くなるのだった。
――またエレノア殿の様子を伺いに行こう。




