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夫を亡くした私ですが息子と一緒に幸せになります~代筆と繕い物、ときどき騎士さま~  作者: 行雲流水


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006:新な始まりと警備とヴァルター

 トルーデ特製の夕飯ができるまで自室に戻っていた私は、一つの決意と共に大きな問題に気付いた。今までの私は、弟の世話をし店の手伝いもしていた。アドルフの妻となってからは、屋敷の差配と執務までしていた。ミュラー男爵家の籍を抜け、実家のカウフマン家に戻った私は図書室で本を読んでみたり、帳簿の整理を手伝い時間を潰していた。仮住まいに移ってすぐ、大きな問題に直面するなんて全く思いもよらなかった。


 ――凄く……暇だ。


 机の上にある姿絵を見つめ『どうしよう、アドルフ』と私は問うが彼から答えが返ってくることはない。凄く不味い状況だと私は理解して頭を捻る。なにかやるべきことか、考えるべきことがどこかに転がっていないだろうか。

 部屋の掃除は済ませた。主だった部屋もトルーデとロッテが担ってくれる。庭の草引きは明日やるべきことだと決めた。必要な物品の買い出しも明日である。二人に告げた予定を変えるのはよろしくない。私は机の前にある丸椅子に腰を掛けた。さて、どうしたものかとまた頭を捻り始める。そういえば店の帳簿を見ていた私であるが、カウフマン家における生活費の帳簿は見たことがないことに気付く。


 「……あ」


 そうだ。独り暮らしが始まったのだ。これからどれだけ収入と出費があるか考えても良い機会だろう。私は机の引き出しを開け、中から数枚紙を取り出した。

 トルーデとロッテの給金は父が支払ってくれている。明日、挨拶にくるという男手二人も同様のはず。ミュラー家から月に一度支給される金貨一枚があれば、贅沢をしない限り当面は暮らしていける。ただ金貨一枚の収入では心許なく、今のままの状況ではいずれ父を頼らざるを得なくなるだろう。紙に殴り書きした数字を見つめた私は眉間に皺を寄せる。


 ――このままではいずれ行き詰まる。


 ならば私はミュラー家から頂いた金貨三十枚を元手にして商売を始めてみても良いのではないだろうか。ただ今の私は身重だ。悪阻が今より酷くなれば、商売どころではなくなるはず。酷い人は一日中、起き上がることもできないと聞いている。もし産むと決めたなら、出産後には仕事を休むことも考えなければならないが。


 知識はある。伝手は……父を頼らなければならない。生活を支援してくれている父に頼ることを私は少しだけ躊躇っている。

 けれど商売を始める以上、カウフマン家の信用を借りるのが一番確実なことも分かっている。ならば、堅実な事業計画を立てて父に認められれば手を貸してくれるだろう。私は手に持っていた筆を握り込み頬杖を突く。まだまだ前途多難だと肩を竦めると、扉の向こうからノックの音が響いて『エレノアさま、お食事の準備が整いました』という声が響いた。


 「ありがとう、ロッテ。直ぐ向かいます」


 頬杖を解いた私は扉に向かって声を上げた。さて食堂に向かおうと椅子から立ち上がり、部屋の扉を開ければロッテが廊下に佇んでいる。てっきり食堂へ先に向かっていたと思っていたのに。


 「待っていてくれたの?」


 「はい! 直ぐに向かうとエレノアさまは仰っていたので」


 ロッテは元気に答えてくれ、何故か私の前を歩き始める。すると彼女は照れ臭そうにこちらに振り向いて言葉を紡いだ。


 「一度、主人の方の先導を務めてみたかったのです」


 そういうこともあるのだろう。まだロッテは若いからいろいろなことに興味を示しているようだ。謝り癖があるのは心配だが、ロッテの明るいところは好ましい。私が『そうだったの。では、案内をお願い』と口にすれば、ロッテは『はい!』と嬉しそうに笑って前を向いた。大きく腕を振りながら、胸を張って歩くロッテに勝手に私の顔に笑みが浮かんでいる。アドルフがいなくなって悲しいはずなのに、こうして笑っていることが信じられない。


 ただ悲しみに暮れるだけでは前に進めないことも知っている。だから、今の環境は私にとって都合が良いのだろう。きっとミュラー家に留まっていれば、アドルフの葬儀の差配やこれからのことを悩みながら悲しみに暮れるだけだったかもしれない。

 マーサと家宰は落ち込む私を慰めてくれるけれど、主人と雇い主という関係だから大きく踏み込むことはしない。何故と憤ったけれど、ミュラー家の籍から外れること、父から独り暮らしを提案されたことは幸運だった。


 まだ心の整理はできないし、胎の子を慈しむことができるのか分からないけれど……赤ちゃんがいると明るく笑って私を心配してくれるロッテに暗い顔はさせたくない。考えながら歩いていると、いつの間にか食堂に辿り着いていたようだ。ロッテが恭しくドアノブを握って扉を開いた。


 「エレノアさま、どうぞお入りくださいませ」


 ロッテは私に向かって礼を執る。使用人というより執事のようだ。私が片眉を上げながら食堂へ向かうと、待っていたトルーデも同じような表情を浮かべていた。

 長机の上にはトルーデが作ってくれた肉入りスープとパンが並べられている。私が長机に近づこうとすると、スープとパンの匂いが強烈に鼻を突き、胃の腑のものが競り上がってきた。以前の紅茶の時とは違って、もっとはっきりとした不快感がある。


 「……っぷ」


 必死に吐き戻さないようにと堪えるため、私は床にしゃがみ込んだ。するとトルーデとロッテが飛んできて、二人が掛りで私の背を擦りながら『大丈夫ですか!』『エレノアさま!』と声を上げる。吐き気が少し落ち着いた私は二人に少しでも安心して貰うため顔を上げる。


 「ごめんなさい。昨日も似た品を食べたというのに駄目みたい……」


 そう、私は昨日も同じような品の夕飯を食べている。だというのに今日は身体が受け付けてくれないようだ。妊婦はこうも大変なのかと驚きながら、あと八ヶ月弱、己の胎に子を納めているのかと急激な不安に襲われる。

 亡くなった弟が生まれる際、母から大きな胎を見せて貰ったことを微かに覚えている。胎の子が動き、母の腹がぼこんと蠢いたのも見ていた。あんなことに私は耐えられるのだろうか。肥立ちが悪く亡くなってしまった母のように私もなるのではないだろうか。不安に駆られていると、トルーデとロッテが心配そうに私の顔を覗き込んだ。


 「あまり落ち込まないでくださいませ、エレノアさま。明日は買い出しとなっておりますから、食べられそうな品を買い込んでみましょう」


 「美味しいもの、たくさん見つけないとですね!」


 眉尻を下げているトルーデとむんと握り拳を作るロッテとの落差に少し私はおかしくなる。どうにも気持ちの揺れ幅が激しいけれど、これも妊娠の特徴であるとカウフマン家で働く女性から聞いている。私はふうと息を吐けば、トルーデがロッテに呆れた表情を向ける。


 「ロッテ、貴女が食べたい品を買うわけではないのですよ?」


 片眉を上げたトルーデの言葉にロッテが『ち、違いますよ!!』と思いっきり顔を振った。二人のやり取りが面白くて、まだ気分は優れないけれど私は笑うことができた。


 「ふふ。ありがとう二人とも。トルーデ、せっかく作って貰ったのにごめんなさい。夕飯は食べられそうにないみたい」


 「承知しました。冷めれば、食べられるかもしれませんし、あとは果物をご用意します。残してしまっても、明日に顔を出す使用人に差し出せば良いですから」


 柔和な笑みを浮かべるトルーデに私は感謝を述べる。ロッテは心配そうにオロオロしているが、トルーデに窓を開けて欲しいとお願いされれば急いで行動に移してくれた。私は一先ず床から立ち上がり、用意された食事から離れた椅子へ腰掛ける。本当に昨夜まで平気だったものが、急に駄目になるとはと息を吐く。このまま食堂で過ごすよりも、自室に戻った方が良さそうだ。

 

 私は二人にご飯を食べて欲しい旨を伝えて席を立つ。礼を執るトルーデに続き、心配そうにロッテも頭を下げていた。しばらくするとトルーデが部屋を訪れて、冷えたスープとパンと果物を持ってきてくれる。先程より、吐き気はマシになっている。どうやら冷めたスープであれば食べられるようだと、私は机に置かれた食事に手を付ける。果物も平気だが、そうたくさん食べられるものではなかった。

 

 食事を終えて就寝の準備を進め、私は自室のベッドに潜り込む。

 

 子の親になる前からこんなに大変なこととは露とも知らず……出産を経験した女性は強いのだなと改めて目を閉じるのだった。

 

 ――翌朝。


 窓から差し込む陽の光で目が覚める。外からは小鳥の囀りが響いてきて耳に心地良い。少し寝足りない気持ちを抱えながら、私はベッドから身体を起こす。今日は父が派遣してくれる男性の使用人との挨拶がある。なにごとも初めが肝心だから、使用人にはしっかりとした態度で挑まなければとベッドから離れて身支度を済ませた。そうして自室から出ると直ぐに、ロッテの姿を認めることになる。


 「おはよう、ロッテ」


 「エレノアさま、おはようございます」


 ロッテは私を起こして良いのか迷って廊下で右往左往していたようだ。昨日、夕飯をまともに食べられずに寝たから、私を気に掛けてくれたようである。昨夜、私が一緒に夕飯を食べようとしていたのに反故にしたことを軽く謝れば、ロッテはぶんぶんと首を大きく左右に振った。


 「大丈夫です! あのあとトルーデさんと一緒にご飯を食べました。凄く美味しかっ……ごめんなさい。エレノアさまは食べることができなかったのに、口にして良い話ではなかったですね」


 にっこりと笑ったロッテは昨日の夕食に満足できたようだが直ぐに肩を落とす。感情の起伏が激しい子であるものの、年齢相応の可愛らしい変化だろう。


 「良いの。トルーデが作ったご飯は美味しかった? 私は楽しめなかったから、ロッテからトルーデの料理の感想を聞いてみたいわ」


 私にロッテは『凄く美味しかったです!』と力強く答えてくれる。カウフマン家では料理人を雇っているから、トルーデの料理の腕前を私は知らなかった。悪阻が収まればトルーデの料理を楽しむことができるだろうか。そうなると良いなと願いながら私は食堂に入る。トルーデは昨日のことを鑑みて、私が食べられそうな朝食を用意してくれたようである。

 吐き気に襲われることはなく、用意してくれた品を食べることができた。トルーデの気遣いに感謝しながら、今日も一日頑張ろうと私は二人に告げるとカウフマン家からやってきた男性の使用人が仮住まいを訪ねてくる。


 彼らは屋敷の中には入らず、庭で待機してくれていた。


 どうやら女性だけの屋敷に私の許可なく入るなと父から命じられているらしい。私はトルーデとロッテを引き連れて庭にある鉄製のベンチへと歩いて行く。私たちの姿を認めた彼らは胸に手を当てて礼を執る。


 「ようこそいらっしゃいました。本日からよろしくお願いします」


 「アントンと申します。ご店主さまから、日中の警備を任されました」


 「ゲオルグです! 警備を主任務としておりますが、雑用や荷物持ち、重い物の移動は俺に任せください!」


 右の額に傷のある強面のアントンと陽気そうなゲオルグが名乗りを上げる。歳の頃はアントンは四十過ぎ、ゲオルグは二十歳手前といったところだろうか。

 しばらくは屋敷の掃除や足りない物の買い出しを行いたいこと、アントンとゲオルグは屋敷の中に踏み入れることはないそうなので、彼らの待機場所として小屋を作れると良いのだが。小さな庭で五人が顔を合わせて話し合う姿は外から見た人にはどう映るのだろうか。でも、まあ……少し騒がしい日々になりそうだと私は仕事を始めようと告げる。


 そうして二人が庭の手入れをしている間、トルーデとロッテは足りない生活用品を揃え、私は帳簿を整理した。いつの間にか一週間が過ぎていた。

 

 朝。アントンとゲオルグがカウフマン家から移動して屋敷に顔を出す。彼らは父から屋敷の警備を任されているものの、この一週間は壊れた箇所の修繕や庭の手入れに勤しんでいる。

 雑用も仕事の内だと二人は笑っていたが、任せてしまって良いのだろうか。トルーデとロッテは『良いではありませんか』『屋敷が快適になるのであれば、構わないのではないでしょうか?』と彼らの仕事を認めていた。

 

 窓から庭を眺めていると、手にスコップを持ったアントンが門扉の先を睨みつけていた。凄い迫力を醸し出し、隣にいるゲオルグは首を傾げている。なにかあったのかと私は部屋を出て、廊下を早足で歩き玄関先へと向かう。

 私が玄関の扉を開けば、アントンがスコップの先を門扉に向けている背が見えた。ゲオルグは私に気付いて『エレノアさま!』と声を上げる。そして門扉の前には騎士団の制服を纏うヴァルターがいた。――何故彼が、と疑問を抱いた直後にアントンが低くはっきりとした声を上げる。


 「屋敷を不躾に覗くのは感心しませんな、騎士殿?」


 「失礼を。不徳の致すところです」


 アントンが放つ怒気をヴァルターは平然と受け止めていた。騎士の胆力は凄いと感心しつつ、何故ヴァルターが屋敷に現れたのだと私は歩を進めるのだった。

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