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夫を亡くした私ですが息子と一緒に幸せになります~代筆と繕い物、ときどき騎士さま~  作者: 行雲流水


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005:屋敷と使用人と新生活

 ヴァルターと私が大粒の涙を流している姿を見たトルーデが『お若いですねえ』と言いたげな表情を浮かべていたことに私は凄く恥ずかしい気持ちに陥った。


  ――数日後。


 執務室に呼ばれた私は父から『物件が見つかった』と告げられて、移動の準備を進めることとなった。必要最低限の家具は父が用意をしてくれるそうだ。元々、私が持っている荷物は革鞄一つだから、入ろうと思えば明日からでも移ることができる。


 カウフマン家にもミュラー家の元義両親にも迷惑を掛けられないから、私は仮り住まいに早く移った方が良いのだろう。明日にでも移りますと父に伝えれば、眉根を顰めて『大丈夫か?』と問うてきた。

 商人としては、いつまでも私を庇護しているわけにはいかないのだろう。それでも父としては、身重の私を一人で暮らさせることが心配らしい。父とそんなやり取りを経た二日後、私は王都の隅にある小さな屋敷へと移っていた。独り身の私には不相応な屋敷ではあるものの、子が生まれた時のことを考えると有難い配慮だった。そして、私の下に付けられた使用人にも。私は一歩後ろに控えている女性の顔を見た。


 「まさかトルーデがきてくれるなんて」


 「エレノアさまとは長い付き合いです。ご店主さまのご命令でもありましたが、私もエレノアさまが心配なので」


 ふふふと皺を深めてトルーデが笑みを深める。幼い頃、トルーデのお節介を疎ましく感じることもあったし、母と弟を失った私を随分と気にかけてくれていたが、当時の私はトルーデの気持ちを推し量ることができなかった。

 でも私も少しは大人になって、彼女のお節介は優しさだったのだと知った。アドルフを失ってしまったけれど、私を気にかけてくれる人はたくさんいる。そんな彼らに迷惑を掛けないように、独りで生きていけると判断して貰えるのはいつになるだろう。分からないけれど、一先ず、目の前に立つ屋敷での生活に慣れなければと私はもう一人の使用人である少女に視線を向けた。


 「これからよろしくね、ロッテ」


 「はい、エレノアさま!」

 

 私が笑みを作ると、ロッテが背を正して少し緊張した声を上げた。彼女は十四歳とまだ若く元気一杯の子だ。そんな彼女たちと新生活の始まりは、王都の片隅にある小さな屋敷だ。今の私には丁度いい場所だろう。

 まだ未来がどうなるか分からないけれど、ミュラー家の元義両親からの支援と父の支援があれば、どうにか生きていくことができる。カウフマン家で習った商売のことや、ミュラー家で学んだ貴族の執務もきっと今後に役に立つはずだ。そして今は胎の子をどうするべきかを一番に考えなければいけないのだろう。


 「中に入りましょうか。トルーデ、ロッテ、頼りない私だけれど、これからよろしくお願いします」


 私は独りで生きていく。そう決めていたはずなのに、こうして誰かと暮らすことを、少しだけ心強いと思っている自分がいた。


 「はい、エレノアさま」


 「一生懸命、頑張ります!」

 

 私を先頭に小さな門扉を潜り抜ける。屋敷には小さな庭があるけれど、カウフマン家のような広さはない。花壇は家庭菜園にして野菜を育てれば食費が浮きそうだと小さく笑う。


 しかし私は世話ができない身だから、トルーデとロッテに負担を掛けるだけと口には出さなかった。馬車周りもないまま、玄関へと辿り着き、屋敷の中へと続く扉を開ける。狭いけれど玄関ホールがあり、奥と左右に続く廊下があった。二階は物置と聞いていた。だから日常生活は一階で送ることになるだろう。父は女三人の生活では不安だからと、男手も派遣してくれている。明日、その二人が屋敷に挨拶にきてくれるとのこと。


 私は屋敷の一番奥にある広い部屋へと入る。トルーデとロッテも自分たちに当てられた部屋に向かい荷物を置いているところだ。私が持ってきた荷物は変わらず革鞄一つ分。中に入れていたアドルフの姿絵と婚姻指輪を机に置き『どうか見守っていて欲しい』と祈る。そうして普段着と肌着をクローゼットにしまい込み私は部屋を出て食堂を目指した。


 食堂には既にトルーデとロッテが私を待ってくれていた。待たせてしまって申しわけないと思いつつ、早く向かってもトルーデとロッテを急かしてしまうと少し気に留めておく。少し話し合いをしようと私は二人を食堂へ呼んだから、席に就いて欲しいと口にした。私はトルーデとロッテに視線を向けてから言葉を紡ぐ。


 「二人とも、なにか足りないものはある?」

 

 私が首を傾げるとトルーデが軽く手を挙げた。私はトルーデにどうぞと告げると、彼女は少し困り顔を浮かべる。


 「来客用のティーセットに食器類ですね。今のものでは少し心許ないので」


 父が最低限の品は用意してくれていたものの、やはり実際に住む人とは視点が違う。私はトルーデの言を紙に書き留めた。ロッテはトルーデの姿を眺めながら、目を閉じたり開けたりを繰り返している。私の疑問に答えられないことを彼女は案じているのだろうか。それなら少時間を少し設けてみようと、私はトルーデの言葉に続くように『ああ』と声を上げた。


 「ベッドシーツの替えもいくつか欲しいところね。あと、掃除用具も買い足したいわ」


 「そうですね。少し足りていないので」


 私の声にトルーデが同意してくれる。また私は手元の紙に箒とチリ取りと雑巾とバケツとモップ、そしてベッドシーツと書き込んだ。ロッテは私たちのやり取りを交互に見つめて、身体を小さく竦めている。

 なにも思い浮かばなくとも問題ないというのに、彼女は凄く気にしているようだ。声を掛けた方が良いだろうと私がロッテに視線を合わせれば、気まずそうな顔になり首を竦める。

 私はこんなことで怒る気はないのだが、もしかして彼女は過去にこっぴどく怒られたことがあるのかもしれない。私が答えを急がなかったことが、彼女には苦痛だったのかもしれない。なるべく優しい声色を出せるようにと軽く息を呑んだ。


 「ロッテ」


 「は、はいっ!」


 ロッテがびくりと背を伸ばす。テーブルの下に隠れた彼女の両手はどうなっているのだろう。不安でぎゅっと握り絞めていないだろうか。爪の痕がついてしまうほど強く握っていなければ良いと私はロッテに言葉を掛ける。


 「案が浮かばなくても大丈夫。そんな顔をしないで」


 私の声にトルーデがうんうんと頷き、ロッテは更に身体を縮こませていた。彼女に一体なにがあったのだろう。


 「ご、ごめんなさ――」


 「――謝らなくても良いの。貴女の過去になにがあったまでは聞かない。危ないことや命に関わることを起こさない限り、私はロッテを怒ることはないとだけ覚えておいて」


 ただ今は、謝るでもなく、過去を掘り下げるでもなく、ロッテから信頼を勝ち取らなければ始まらないと言葉を掛ける。上手く伝えられたか分からないし、ロッテが明後日の方向に解釈してしまうかもしれない。その時はその時だと私は笑みを作って、ロッテと視線を合わせる。


 「もちろん、貴女が昔のことを話したくなれば、私でもトルーデでも良いから話して頂戴ね」


 私にロッテが小さい声で『はい』と頷く。ただ縮こまっていた身体は元に戻っており、少し安堵の表情を見せていた。もし仮に私の弟が生きていれば、ロッテと同い歳だと一瞬だけ頭に過る。

 

 「住み始めるからと家の手入れはなされているけれど、最低限だから陽が暮れる前まで掃除の時間としましょうか」


 先ずは自分たちの部屋から。自室の掃除が終われば台所などの水回りに手を出せば良いだろう。気ままな生活の始まりだから慌てることもない。明日も掃除をしつつ、足りないものの買い出しに向かおうと決めた。


 そうして食堂から出た私たちは各々の部屋へと戻る。屋敷の一番奥にある主人の部屋だから綺麗ではある。ただ目を凝らしてみれば、四隅や細かなところには埃が残っていた。

 気になり始めると際限なく気になると苦笑いを浮かべ、私は普段着の袖を捲り上げる。元男爵夫人が行うべきことではないが、私は平民に戻っているのだ。誰もとやかく言えないと、数少ない掃除道具を引っ張り出して部屋の掃除を始めた。部屋の窓から見える庭にも雑草が生えているところがある。放置は厳禁だと私は一人頷いて、明日の予定に庭の草抜きも加えた。


 ――数時間後。


 掃除を終えた私は食堂に向かって椅子に腰を掛けた。ふうと息を大きく吐いて天井を見上げる。


 「すぐ疲れてしまうものね……体力が落ちているのかも」


 うわ言のように呟いた言葉は誰にも聞かれていないはずだったのに、タイミング良くトルーデとロッテが食堂の扉からひょこっと顔を出していた。致し方ないという表情を浮かべた二人は足早に私の側に立つ。


 「ご無理をなさらないでください」


 「そうです! エレノアさまのお腹には赤ちゃんがいるんですよ? なにかあったらどうします!?」


 片眉を上げるトルーデと両手を腰に当てて頬を膨らませているロッテに諭されてしまった。先程、落ち込んでいたロッテはどこへ行ってしまったのだろう。トルーデは膝掛けを持ってくるようにと指示を出し、ロッテが元気良く『はい』と答えて食堂から出て行った。ロッテのドタドタと木の床を踏みしめる音が耳に届いて、私はトルーデに視線を向ければお互いに笑みが自然と零れていた。久しぶりに笑ったと私が肩を竦めると、トルーデが眉尻を下げながら問うてくる。


 「エレノアさま、ご無理をなさっていませんか?」

 

 「大丈夫。聞いているより悪阻は酷くないもの。お腹の子が生まれてくるのはまだ先のことだから、今から気にし過ぎていると参りそう」


 あまりお腹の中の子を気遣っていると、私が滅入りそうだと肩を竦める。トルーデは心配そうな視線を私に向け、まだ山場はたくさんあると言いたげだ。私がトルーデに妊娠していた時のことを聞いていれば、ドタドタとした音から静かに歩くロッテの足音が近づいてきた。ロッテが戻ってきたと話を中断して、食堂の扉に視線を向けた。

 

 「トルーデさん、膝掛けが見つかりません……」


 しょぼんとありありとした姿をしたロッテが食堂の扉の前に立つ。トルーデがロッテの下へと歩いて行き、彼女の両肩に手を置いて中へと導く。


 「膝掛けも買い足しなければなりませんね、エレノアさま」


 トルーデがロッテの方を軽く二度叩く。私は二人を見つめながら頷いた。


 「そうね。ロッテ、探してくれてありがとう」


 私がロッテにお礼を告げれば、また肩を竦めて口を開く。


 「ごめ――」


 ロッテの謝罪の言葉は盛大な腹の虫の音で掻き消される。直ぐにロッテは顔を朱に染め上げて『失礼しました!』と思いっきり頭を下げる。私とトルーデは頭を上げるようにとロッテに告げた。


 「ご飯にしましょうか。私一人じゃ寂しいから二人とも一緒に食べましょう」


 私はロッテの手を握り、気にしなくて良いと伝えた。私とロッテのやり取りを眺めていたトルーデが、袖口を捲り上げて握り拳を作る。


 「では、このトルーデが気合を入れて食事を作らせて頂きます。ロッテ、貴女も手伝って頂戴な。エレノアさまはこのままこちらで過ごされるか、部屋でゆっくりお待ちいただければと」


 「お願いね」


 「はい!」


 私がお願いすれば、ロッテも頷いてトルーデと一緒に調理場へと向かって行く。さて、食事ができるまで私はなにをして過ごそうか。


 自室に戻った私は椅子に腰かけて、アドルフの姿絵を親指でなぞる。頼れる彼はもういない。そしてお腹の子を産むのか。産んだとして、私一人で育てていけるのか。――まだ答えは出せなかった。けれど、誰かに決めてもらうことだけはしたくない。これからどう生きていくのかは、私自身で決めなければならないのだから。

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