004:騎士団と風習と彼の決意
2026.10.07 4/4回目
宛がわれた部屋に向かい、私の荷物を軽く片付け、机の上にはアドルフの姿絵と婚姻指輪の箱を開いて隣に置いた。私は絵姿の前に立ち祈りを捧げる。どうかアドルフに永の安らぎが訪れるようにと。
そうして私がカウフマン家に戻った次の日。
騎士団の人が訪れる時間になっていた。応接室に入って私は席に腰を掛ける。どうして騎士団は私のことを詳しく知っているのだろう。私が知らない内に法を犯すようなことをしてしまったのだろうか。それとも私に関わった人たちがなにか不法を働いていて、事情を聞くために訪れるのだろうか。考え始めるとキリがないと溜息を吐けば、ノックの後に下働きの女性が応接室に顔を出す。
「お嬢さま、いえ、エレノアさま。お客さまがいらっしゃいました。ご案内致しますが宜しいでしょうか?」
小さく笑った下働きの女性は私が幼い頃からカウフマン家で働いている。彼女はずっと私のことをお嬢さまと呼んでいてくれたが、二十四歳にもなってお嬢さま呼びは流石に恥ずかしいと、昨日の夜私は彼女に名前で呼んで欲しいと願った。
先程、お嬢さまと呼んでしまった彼女は少し申し訳なさそうにしている。責めるつもりはないと、私は笑みを作った。
「トルーデ、知らせてくれてありがとう。お願い」
私の声にはいと頷いた彼女は応接室から出て行った。なにもやましいことをしていないのであれば、堂々としていないと余計に疑われてしまうと私は背を正す。
纏う衣装に乱れはないだろうか。髪は跳ねていないだろうかと身形を正していれば、扉の向こうから二度ノックの音が鳴った。そうして向こう側から『エレノアさま、宜しいでしょうか』とトルーデの声が届いた。私はどうぞと声を張れば、ゆっくりと応接室の扉が開く。そうして応接室へと現れた騎士団の人は私が知る人であった。
――何故、彼が。
とにもかくにも私の頭の中に浮かんだことがソレである。アドルフが戦死したことを私に告げた彼がどうして目の前にいるのだろう。用件は済ませたのだから、もう会うこともない人だと名前を忘れてしまいそうになっていたのに。目を見開いて驚いている私に、応接室へと現れた彼は片眉を上げながら目を細めて礼を執る。
「お久しぶりです……といってもさほど時間が経っておりませんが。エレノア・カウフマン殿のご様子を伺いに参りました」
顔を上げた彼は少し困ったような表情になっている。彼の感情にどんな意味が込められているのか私には分からない。ただ、随分とお節介な人という印象が湧き出ていた。ミュラー家の籍から外れている私を気に掛けてどうするのだろう。
王国では『フォン』を名乗る者は貴族籍にある。それはアドルフと婚姻した私自身がよく知っていた。今はもう、カウフマン家に戻っているから、私は一生ミュラー家を名乗ることはない。だから目の前の彼が私を気に掛ける必要はないとうのに。
状況を訝しむ私は着席したままの挨拶は失礼だと、椅子から立ち上がり礼を執る。
「カウフマン家にようこそいらっしゃいました。ヴァルター・フォン・アイゼンベルクさま」
私が声を上げると、ヴァルターは一瞬息を呑んだ。何故、異性を相手に息を呑む必要があるのだろうと首を傾げるも私は彼に席を薦めた。挨拶を終えればトルーデが明るく笑い『エレノアさま、今日は良い天気ですから窓を開けませんか?』と問うてきた。
そしてヴァルターには『騎士さま、是非カウフマン家の庭に咲く花々をお楽しみください』とおどけたように告げる。トルーデの行動は私が紅茶の匂いに当てられないようにという気遣いからのものだ。私はトルーデにお願いと告げると、彼女は少しほっとした様子だった。ヴァルターもトルーデに一つ頷いてから言葉を紡ぐ。
「お気遣い、ありがとうございます」
綺麗に笑みを浮かべたヴァルターの姿に、私はふと少し嫌な記憶が蘇る。貴族の人はよく『貴族と平民には大きな隔たりがある』と豪語する。特にそれは爵位の高い人たちに顕著に表れていた。
椅子に腰掛けたヴァルターもアイゼンベルク伯爵家の人だから、そう考えてもおかしくはない。おかしくはないというのに、平民に戻った私と平民であるトルーデの態度を咎めない。黒の詰襟の騎士服を纏うその人の雰囲気は不思議なものだった。
トルーデが窓を開けると、新緑の匂いを含んだ風が応接室に入り込んでくる。さーと風に揺れる木々の音が心地良い。
紅茶を淹れる音とそんな爽やかな空気に満ちた部屋で一体彼はなにを告げるのだろう。私が身構えているとヴァルターが『そう緊張なさらないでください』と困り顔を浮かべる。
「先程も申しましたが、貴女のご様子を伺いにきただけです」
だから緊張しなくても良いと彼は私に言いたいらしい。私は様子を伺いにきただけという彼に仕事を放っては良いのだろうかと片眉を上げると彼は言葉を続ける。
「なにかお困りごとはありませんか?」
柔和に笑うヴァルターに私は『困りごとはありません』と答えようとして口を噤んだ。ミュラー家の元義両親も実父も私を支援してくれている。悪阻が少しキツイけれど、まだ耐えられるものだった。
妊娠については誰彼に吹聴することではない。父が急いで王都のどこかに住めるように手配している最中だ。黙っていた方が良いと私は判断すれば、トルーデが各々に紅茶を出してくれる。少し離れた位置にティーカップが置かれたのを確認した私は彼と視線を合わせる。
「何故、見ず知らずの私にそこまで尽くしてくださるのでしょう?」
私は困りごとの代わりに疑問を投げた。するとヴァルターは『ああ、そうか』と言いたげになり、小さく頷いたあと切れ長の目を伏せた。
「騎士団では亡くなった者の家族の面倒を残った仲間がみるというしきたりがあります。お世話になった方や自身の下に就いた部下であれば尚更です」
ヴァルターが閉じていた目を開いて、足に置いていた拳を握り込んだ。履いている黒手袋の革が擦れてぎゅっと鳴ったような気がするけれど、ふいに舞い込んだ風の音で良く分からない。そして紅茶の匂いもどこかへ運んでいる。
「そう、でしたか。しかし、私はもうミュラー男爵家の籍から外れております。ですから……亡くなったアドルフさまのためと私の下を訪ねる必要はないのではないでしょうか?」
アドルフと呼べない寂しさに胸がぎゅっと締め付けられれば、ヴァルターは少し考える素振りを見せた。この痛みはいつになれば消えるのだろう。一生抱えたままになるのだろうか。
私の母があっけなく亡くなった時は悲しくて悔しくて寂しくて仕方なかった。けれど幼い弟の面倒をみなければならない私は忙しい日々に追われて、いつの間にか母を失い抱いていた負の感情はどこかに消えていた。そして幼い弟を病で失い、私は後悔を知ることになった。
これくらい大丈夫という安易な気持ちが、四歳だった弟の命を散らす結果になったのだと。その頃、アドルフと出会い、落ち込んでいる私の話を聞いてくれたり、引きこもりがちだった私をカウフマン家に彼が訪ねてくれて外へと連れだしてくれた。
弟の件があって、私は進んで子供を儲ける気にはなれなかった。アドルフも私が弟の件を引き摺っていて、子供を儲けることに消極的だと知っていた。
もし私が育てられないなら、完全に子を乳母に任せてしまおうとアドルフの提案を受け入れた。母親が子供の面倒をみないのは身勝手だと思っていた。けれど、貴族の家では乳母に子を預けるのは珍しいことではない。
義両親が見せてくれた手紙には、アドルフは子を儲けた時に自身が側にいないのは不安だろうと私の気持ちを慮って避妊をしてくれていたようだけれど……私が子を儲けた時、情緒が乱れてしまうかもしれないと彼は危惧していたのだろうか。本当に何故、今になって子を儲けることになったのだろう。
私は半分無意識で腹に手を当てていた。はっと気付いて、私は慌ててぎゅっと手を握り込む。するとヴァルターが笑みを浮かべていた。
「確かに必要はないのかもしれません。ですが、ミュラー男爵家の籍から抜けた貴女を放っておくのは騎士として筋が通らない。アドルフ殿には随分と世話になりました。その恩を返さねばと私は考えます」
そうしてヴァルターはアドルフから受けた恩を私に語る。
アイゼンベルク伯爵家の三男として生まれたヴァルターは、家を継ぐ立場にはなかった。だから騎士を目指したものの、伯爵家で習った剣術は騎士団では通用せず、見習い騎士として心が折れかけていた。そんな時、彼は騎士団で見習い騎士としてアドルフの下に配属されたそうだ。
あまり貴族らしくないアドルフの態度に最初は驚いていたけれど、ヴァルターは知らずうちに惹かれていたとか。いつか彼のように困っている誰かに手を差し伸べられる、強くて優しい騎士になりたいと誓を立てたそうである。
「私はアドルフ殿に心を救われました」
ヴァルターが綺麗に笑えば、また応接室に風が吹き込む。さあと揺れる彼の灰銀色の髪の後ろにアドルフが白い歯を見せながら笑っている姿を幻視して、私は握り込んでいた片手を伸ばしそうになった。
「ここからは私の独り言です」
その声にはっとした私は伸ばそうとしていた片手を引っ込めた。そうしてまたヴァルターが言葉を続ける。
戦争が続いた五年という時間は多くのものを失い、王国上層部では敗戦の空気を色濃く感じていたそうだ。ただ魔石鉱山の権利を巡る戦争に負けてしまえば王国の未来が暗くなってしまう。
だから敗戦色が濃くなっていることを上層部は国民に伏せていたそうである。そんな中、王国が勝利を決めたという最後の激戦でアドルフは敵将の首を取るための布石を単騎で築き命を散らしたそうだ。騎士団の多くの者がアドルフの功績を讃えて欲しいと王国上層部に伝えたが、負けが濃厚になっていたと知られれば国民感情が悪くなると公表しないことにした。
「本来ならば、貴女にお伝えすることもできない話なのですが……」
ヴァルターが真面目な顔で一拍置いた。
「アドルフ殿の最期を貴女に伝えないことが、私にはどうしても耐えられませんでした」
目を伏せた彼はまた独り言を続ける。
「騎士団の多くの者たちはアドルフ百人長に命を救われました」
苦虫を噛み潰したような表情でヴァルターがまた拳を握り込む。今度は本当に黒の皮手袋が軋む音が私の耳に届いた。アドルフの最後を知ることができるなんて思ってもいなかった。
騎士だから機密を漏らすことの重大さをヴァルターは身を持って知っているはず。だというのに私にアドルフの最後を伝えてくれたこと。アドルフが騎士として勇敢に戦っていたこと。いろいろな感情がせめぎ合って、私の目から涙が勝手に零れ落ちる。大粒の涙を隠しもせず泣く私にヴァルターが凄く困った様子を見せた。誠意を見せてくれた彼を困らせるわけにはいけないと、私はハンカチを取り出して目頭を押さえた。
「目に埃が入ってしまったようです」
私がありがとうございますと告げれば、ヴァルターは大きく息を吐いていた。
「アドルフさまの最期を知れて良かったです。騎士として彼は隊の皆さまを護るため散っていったのですね」
本当はどうして彼がそんな役目を背負わなければいけないと叫びたかった。けれど私が愛したアドルフは、どんなに叫んでも戻ってこない。だから彼が騎士として散っていったことは讃えなければいけないと、私は涙を流しながらヴァルターにそう告げた。
するとヴァルターは喉元を揺らしながら大粒の涙を流して、拭いもせず眉間に皺を寄せながら綺麗に笑みを浮かべる。
「っ……はい!」
ヴァルターは背を伸ばし少し幼さを残す声で答えてくれた。騎士と一人の女が応接室で泣き合うなんて早々起こらない。けれど彼も私もアドルフに助けられた人間だった。そう思えば、奇縁は起こるのだなと私は肩を竦める。ヴァルターは少し冷めた紅茶を綺麗な所作で飲み干して席を立つ。
「また、様子を伺いにきます」
そう言い残して、彼は部屋を出ていくのだった。
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