034:答えと帰る場所
ヴァルターの告白を受けて、丁度一ケ月。
今日はヴァルターが屋敷に訪れる日になっていたのだ。ハンスは数日前から彼がくると知り『たーは?』と私やみんなに聞き回っている。今日は彼がいつ頃屋敷にくるのかは聞いていない。
朝、騎士団へ向かう前に姿を現していたけれど、休暇であれば昼を過ぎてから屋敷へ訪れることもあった。朝ご飯を済ませた私とトルーデとロッテは応接室で修繕作業を行っている。ハンスは応接室の中でヴァルターはまだかとソワソワしていた。待ち疲れて、ハンスが寝落ちしてしまわなければ良いけれどと、私は縫っていた針の手を止める。
「はあ」
「エレノアさまも落ち着かないようで」
「トルーデ……そんなに?」
トルーデも手を止めて小さく笑っている。ロッテは難しい直しに挑戦していて、私たちの声に気付いていなかった。
「ええ」
短く答えたトルーデはまた作業を再開させる。私も手元の作業を再開させ、ヴァルターのことをなるべく考えないようにする。
「痛い……」
指に針が刺さって、痛い思いをしたのは繕い物に慣れていない頃以来のことだった。顔を上げれば、いつの間にかお昼の時間がやってきていて昼食を摂ろうとなる。
先にトルーデが応接室を出て昼食の用意を始めてくれていた。用意ができたと呼ばれて、私はハンスを連れて食堂に向かった。子供用の椅子へとハンスを降ろせば、じーっと私を見つめている。どうしたのかと私が首を傾げると、ハンスはむすっとしていた。
「かか、たーは?」
ハンスはヴァルターがくるのが遅いと言いたいようである。
「ハンスは朝からそればかりね」
私は右手を伸ばしてハンスの頬を撫でると、止めろと言われてしまった。どうやらヴァルターの到着が遅いことでハンスの機嫌がどんどん悪くなっていきそうだ。
「ハンスさまはヴァルターさまが大好きですよね」
ロッテがお皿を並べながら私を見る。たしかにハンスはヴァルターによく懐いているから、仕方ないのかもしれない。これ以上ハンスの機嫌が悪くなって欲しくないのだが、こないものは仕方ない。
流石に昼を過ぎれば顔を見せるだろうと、代筆屋の依頼を受けつつ、修繕作業も合間にこなす。ハンスはヴァルターを待ち疲れたようで、自室で眠っている。私はハンスの隣で修繕作業を続けているのだが、それにしても。
「遅い」
昼食を終えて暫くすればヴァルターは遅くとも屋敷に訪れていたというのに、一時間を過ぎても姿を現さなかった。律儀な彼が『また一ケ月後に』と前に告げたというのに。もしかしてなにかあったのだろうか。体調を崩しているのだろうか。そういえば、彼の連絡先も知らないし、騎士団を訪れても迷惑になるだけ……私は屋敷で待つしかないのか。
どうやら私は彼に甘え過ぎていたのかもしれない。
待っていれば、ヴァルターが屋敷にくると勝手に思い込んでいた。こられないなら、騎士団の誰かから連絡がくるとも考えていた。自分で道を切り拓くと決意したなら、ヴァルターを探しに行っても良いのかもしれない。待っているだけではなにも手に入らない。私は自室を出てトルーデとロッテにハンスのことを頼んだ。玄関に出れば、丁度ゲオルグがいる。
「エレノアさま、どこ行くんです?」
「ヴァルターさまがこられないから、少し様子をみてこようと思って」
私が声を上げると、ゲオルグが不思議そうな顔になる。
「騎士殿なら、もうこられておりますよ? いつもなら俺らに目礼だけして入ってくるのに、なかなか入ってこないんスよねえ」
ほら、とゲオルグが玄関の扉を開けて門扉の方を指差した。すると門扉の前にはヴァルターが所在無さげに立っていた。え、と私の口から声が漏れる。
まさか丁度顔を合わせることになるなんて、神さまは意地悪だ。でも、なにもなくて良かったという安堵と一カ月振りに見る彼の姿が凄く眩しく見える。門扉へ向かって一歩踏み出した時、アントンが丁度玄関前に差し掛かった。するとゲオルグがすかさず、彼の下へと歩いて行く。
「アントンさん。俺ら、庭の手入れしましょう!」
ゲオルグはアントンの腕を取り、屋敷の裏手で作業をしていますねと私に告げる。
「分かった」
アントンはゲオルグに従って、そのまま腕を引っ張られながら裏手へと消えていく。私は門扉に佇んだままのヴァルターの下へと向かう。
「その……遅くなってしまい申しわけございません」
「心配してしまいました。いつも朝か昼過ぎには顔を出されるので」
陽が随分と陰っているから、本当なら昼過ぎに顔を見せた彼が戻る時間だ。私は彼に伝えたいことがある。ただ屋敷の中では少し本心を曝け出せないと私は顔を上げる。
「ヴァルターさま、少し歩きませんか?」
「宜しいので?」
ヴァルターのこちらを伺うような表情に私は笑って『はい』と返事をした。そしてトルーデとロッテにヴァルターと一緒に少し街を歩いてくると伝えた。そうして私とヴァルターは屋敷を出て、近所を歩き始めた。特にどこを目指そうというものではない。ただ、二人になって話をしたかっただけである。
「すみません。急に」
「いえ。貴女と共に歩けて嬉しいです」
ヴァルターがゆっくりと左右に顔を振った。特になにかを語ることもなく、二人して王都の街を歩いて行く。そうして暫く集合住宅が立ち並ぶ中にある、小さな広場を見つけた。
こんなところがあったのかと私はヴァルターに入って良いですかと問えば、もちろんですと答えてくれた。遊んでいる子供たちはそろそろ家に帰ろうと別れの挨拶をしている。子供たちの邪魔にならないように広場の隅で、私とヴァルターは顔を合わせた。
「先日のお返事を宜しいでしょうか?」
「はい」
「私は夫であったアドルフのことを忘れられません。ハンスも育てていかなければなりません。始めた仕事を、今から辞めるというのは無責任でしょう」
「……っ、はい」
「けれど……私はヴァルターさまのことを好きになってしまいました」
どうすれば良いですか、とは言わない。そう。今日、ここで答えを出すのだからと、私は右手を彼の前に差し出す。
「この一ケ月、貴方と会えなくなってしまい、寂しいと感じてしまったのです。勝手、なのかもしれません。ですが……私と一緒にいてくださいませんか?」
ヴァルターは信じられないという表情をありありと浮かべている。もしかすると、答えをはぐらかしたり、まだ待っていて欲しいと私が告げると考えていたのだろうか。
「私もこの一ケ月が今までで一番長い時間でした……!」
そう告げたヴァルターが私の右手を握って、反対の手で腰を引き寄せた。ヴァルターは自身の顔を私に見せたくないようだった。
「アドルフ殿を忘れろなどと言いません。ハンスも仕事も貴女が望むようにすれば良い。私は貴女の側にいたいだけなのです……!」
ヴァルターの声が私の耳の側で聞こえた。凄く距離が近いことが分かる。ヴァルターも私と同じ気持ちで良かった。本当に会えなかったこの一ケ月は、私もヴァルターの姿を求めてしまっていたのだから。
「これは……よろしくお願いします、と言うのが正解なのでしょうか?」
ヴァルターの腕の中で私はふふと小さく笑った。するとヴァルターが私を抱き留めていた腕を解いて姿勢を正す。彼の顔が赤いのは夕陽の所為だろうか。
「これから、よろしくお願いします、エレノア殿」
「はい。ヴァルターさま、よろしくお願いします」
しばらくしてからお互いの視線を外した。遊んでいた子供たちはいつの間にかいなくなっている。私たちも屋敷に戻ろうと、小さな広場をゆっくりと出て行く。晴れて恋人となったけれど、手を繋いだりはしなかった。ただ、広場に入る前よりも半歩分だけ距離が近い。帰り道は特になにを喋ることもなく、屋敷へと辿り着いていた。
門扉を潜った私とヴァルターは玄関の扉を開けた。
「ただいま」
「お邪魔します」
私とヴァルターが声を上げれば、廊下の奥から扉が開く音が聞こえて誰かが走ってくる音も聞こえた。
「かか! たーーー!!」
ハンスが両手を前に出して、必死に走ってきた。彼の後ろにはロッテが『転ばないでくださいね』と少し慌てている。私は廊下にしゃがみ込んで、ハンスへ両手を広げた。するとハンスは勢いを付けて私の腰に抱き着く。少し後ろに倒れそうになったことだけは秘密だ。きっと、ハンスが大きくなった証拠だろう。
「ハンス、ただいま」
ハンスが私の肩にぐりぐりと顔を擦り付けた。少しするとハンスは『たー! たーー!』と今度はヴァルターに興味を移した。ヴァルターは『久しぶりだ、ハンス』と口にして、彼の頭を撫でている。
「エレノアさま、ヴァルターさま、おかえりなさい」
ロッテが礼を執れば、調理場からトルーデが顔を出した。
「お茶を用意しましょう。ロッテ、お二人を応接室に」
「はい!」
元気よくロッテが返事をすると、玄関から今度はゲオルグとアントンが姿を現す。どうやら庭の手入れが終わったようだ。
「お、エレノアさま。おかえりなさい。デー……――」
「――ゲオルグ。まだ庭の掃除が終わっていない。行くぞ」
アントンがゲオルグの腕を引っ張って、また庭へと向かって行く。私はヴァルターに視線を合わせて、肩を竦めて笑った。ああ、やはりこの屋敷が私の帰るところで、いつかヴァルターもここが帰るべき場所だと思ってくれたら……凄く嬉しい、と。




