035:さようならとただいま
――一年後。
ハンスは三歳と四ヶ月を迎えている。喋る言葉も増えいるし、ご飯もよく食べて、よく遊んでいた。ルシアンとも仲を深めているし、ヴァルターとの関係も良好だ。私とヴァルターの関係も進み、アイゼンベルク伯爵家から婚姻許可を頂いているし、私の父も了承してくれた。
『いつの間に……』
と、驚く父に。
『貴方、ヴァルターがようやく女性を連れてきましたわ!』
『あまりにも女っ気がないものだから、凄く心配していたが……本当に良かった』
と、アイゼンベルク伯爵夫妻は安堵の息を吐いていた。伯爵夫妻は今の今まで女性との噂が立たないヴァルターに痺れを切らしていたようである。年上の女性が好きなのかと疑ってみたり、真逆の年下の女性が趣味なのかと悩んでいたそうである。ヴァルターが結婚できるならば、私が一度婚姻していた身でも構わないそうだ。ヴァルターはヴァルターでご両親が独身であることを凄く心配していることに驚いていたけれど。
ミュラー家の義両親にも連絡すれば『おめでとう。幸せに』という返事が戻ってきていた。そしてもう一つのお願いも聞き入れてくれている。本当に有難いことだった。
朝ご飯を終えた私とトルーデとロッテは、応接室で修繕作業を行っている。広場で露店を出すようになり、お客も徐々に増えていた。
ベアトリーチェは二ヶ月に一度の間隔で、ドレスの作り直しを依頼してくれていた。彼女はドレスを直していることは秘密だと告げていたのに、お茶会の席や夜会でドレスが素敵だと友人に褒められて、つい口走ってしまったそうである。少し余裕のない家のご令嬢や婦人がドレスの作り直しの依頼を持ってきてくれるようになっている。そのお陰で、お店の売り上げは随分と増えていた。
代筆屋青い鳥の方も閑古鳥が鳴くことはなく上々の評判である。もう少しすれば、トルーデとロッテの二人を私が直接雇いたいと父に話をしている。父も構わないと許可をくれ、アントンとゲオルグも将来的には私が直接雇いたいと申し出た。
ハンスの将来のために、商業系か文官系の学校に通わせたい。騎士養成校も自立するための進路の一つになるだろう。だから頑張ってお金を稼がなければ。ちくちくと針を進めていれば、ゲオルグがひょいと顔を出した。
「エレノアさま、お客さまっスよー」
「分かりました」
どうやら、代筆屋に依頼を出したい方がやってきたようである。お客に内容を伺えば、短い文章を書いて欲しいとのこと。
「ロッテ、お願いできる?」
「はい!」
ロッテが元気よく返事をくれて、籍から立ち上がった。彼女は今では代筆業も手伝ってくれている。恋文などの依頼者の気持ちを推し量って文章を書くものは、まだ得意ではないけれど、家族に向けた手紙であれば問題なく書けていた。
恋文はロッテが誰かに恋心を抱いけたなら、一気に上達するのだろう。今だにその気配はなさそうだから、彼女が外に出る機会も増やしていかないと。ロッテとお客のやり取りを眺めながら、トルーデと私は顔を見合わせる。
「お客さまも多くなってきましたし、屋敷が手狭になっていますねえ」
「そうね。どこか良い物件があるといいのだけれど、なかなか見つからないもの」
ハンスも大きくなってきたし、彼が一人で寝起きできる部屋が欲しい。少し気が早いけれど、王都に空き住宅は少ない。今住んでいる屋敷も父は良く見つけてきたと感心したものだ。だから、今は物件を探しているところである。
イダから子供の手が離れたら雇って欲しいと話を持ち掛けられたが、彼女は今、六人目の子供をお腹に宿している。まだ少し先だなと代筆を終えたお客を見送っていると、庭で遊んでいたハンスとアントンが屋敷の中に入ってくる。随分と足取りがしっかりしたハンスと、疲れ果てた顔をしたアントンが私の前に立つ。
「かか! おなかすいた!」
「いやはや。ハンス坊ちゃんの元気さには負けてしまいます」
ハンスは笑顔でお気に入りの玉を私に差し出す。何度も玉を手直ししてきたが、また直さなければいけないようだ。ハンスの身体が大きくなっているから、布で作った玉がボロボロになりやすくなっている。彼の成長を感じながら、半歩後ろにいるアントンに私は視線を向けた。
「アントン、お疲れさま。少し休んでいて」
ふうと息を吐いたアントンは『少しだけ休憩させて頂きます』と告げて、玄関の方へと歩いて行く。私はハンスの手を引きながら『果物でも食べましょうか』と口にすれば、きゃっきゃと喜んだ。
「食べたあとは少しゆっくりしましょうね、ハンス」
「どうして?」
「お腹が痛くなるのは嫌でしょう?」
私の言葉にハンスはお腹を押さえて考え込んでいる。私と同じで考え込むのは彼の癖のようだった。ハンスはお腹を押さえながら私に視線を向けて『わかった!』と元気に返事をくれる。ハンスは自室の机の上に置いているアドルフの姿絵をじっと眺めていることがある。
『ハンスのお父さんよ』
と、私は姿絵をじっとみているハンスに告げたことがある。けれど、ハンスは一度も姿を見たことのない人が父親と言われても実感が湧かないようだ。でも、幼いながらになんとなく分かるようで『これ、とと?』と首を傾げたこともある。もう少し時間が経てばハンスはアドルフが亡くなったことを理解するだろう。その時にハンスが傷つかなければいいけれど。
弟とハンスが罹った病気は、あの時の騎士団の医務官と医者により王立医師会へと報告がなされ、市井の医者にも周知されたと聞いている。これから、あの病で苦しむ人や悲しむ人が減ったなら嬉しいことだ。
食堂に向かい、長机の上に置かれたお皿の上の果物を私は手に取った。調理場でナイフを取ってきて、ハンスが食べやすい大きさに切り分ける。
「どうぞ、ハンス」
「ありがと、かか!」
ハンスは自分の分を手に取ったあと、果物を切り分けたお皿を私の方へと寄せた。どうやら私も食べろということらしい。ハンスがリスのように果物を食べる姿を眺める時間が割と好きなのだが、彼の好意を無駄にしたくない。私も手を伸ばして果物を一口食べた。
「甘くて美味しいね」
「おいしー!」
ハンスが果物を片手に握ったまま、にっと笑う。私は綺麗な布を取り出して、ハンスの口元を拭った。そしてそろそろ時間だと席から立ち上る。
「そろそろヴァルターさまがくる時間ね。ハンス、お迎えお願いできるかしら?」
「できるー!」
私はハンスに手を洗ってからお迎えしようと、調理場でハンスの手を綺麗にした。そうしてハンスは廊下に出て、玄関先まで駆けていく。私もハンスの背中を追いかけて、玄関の扉を開けば門扉にヴァルターが立っていた。いつもの騎士服姿で、約束の時間通りだった。私とハンスはゆっくりと門扉で待つヴァルターのところへと歩いて行く。
「ヴァルターさま、いつからそちらに?」
「先程きたところです。エレノア」
答えてくれたヴァルターは照れ臭そうにしていた。まだ私を呼び捨てにすることが慣れないらしい。何度も呼び捨てで呼んでいるというのに、いつ彼は慣れてくれるのだろうか。ハンスはヴァルターに両手を広げ、抱っこをしろと無言で訴える。いつものことだから、ヴァルターも自然にハンスを抱き抱えていた。
「ヴァルター! おでかけ!!」
「ハンスは馬車の中で良い子でいられるか?」
ハンスは随分と大きくなっているというのに、ヴァルターにはまだまだ余裕がありそうだ。私はハンスを長く抱っこするのは辛くなってきていた。男性と女の差だろうなと小さく笑っていれば、ハンスが右手を空に突き上げる。
「いる~!」
「そうか」
そうして私たち三人は荷物を持ち、屋敷のみんなに行ってきますの挨拶をして乗り合い馬車広場を目指した。行先は、ミュラー男爵領領都にあるアドルフの墓である。
ハンスが元気に育っていることや、ヴァルターと婚約したことを報告しようと、 少し前に義両親に手紙で許可を頂いて計画を立てていた。今から乗合馬車に揺られて、夕方にはミュラー男爵領領都へと辿り着く。
本当は私とハンスと二人で向かうつもりだったけれど、邪魔はしないからとヴァルターも一緒にきてくれることになった。
乗合馬車広場には多くの人が集まっている。ミュラー男爵領方面へと向かう馬車を探せば、すぐに見つかった。運良く、出発する少し前だったようである。そうして三人で馬車に乗り込めば、行商人に地元の領地へ戻る人と一緒になった。ヴァルターの騎士服を見て驚いていたけれど、護衛として心強いと和気藹々とした雰囲気で出発する。
「わあー!」
ハンスは初めて見る外の世界に目を見開いていた。王都の屋敷で過ごしていたから、なにもかもが彼にとって珍しいものなのだろう。あれはなに、これはなにと凄い勢いで質問される。
私とヴァルターがハンスの質問に答えていれば、一緒に乗っている人たちもハンスにいろいろと教えてくれた。麦の収穫時期に美味しい野菜が採れる時期。野盗や山賊には気を付けろと、両手を挙げてハンスに向かっておどけて気の良い人ばかりだ。
ハンスが酔わないか心配だったけれど、周りの人たちがたくさん気を使ってくれ揺れに酔うことはなくミュラー男爵領へと辿り着く。ヴァルターと私とハンスは一先ず領主邸を目指した。門扉で番を務めている兵士に名乗れば、直ぐに義両親が迎え入れてくれる。そうしてそのまま、客人として迎え入れられることになってしまった。
本当は領都の宿に泊まろうと計画していたのに。
「ハンス~! お爺ちゃんだぞー?」
「貴方。滅多に顔を会わせないのだから、ハンスが懐くわけないでしょう」
義両親は挨拶もそこそこに、ハンスを可愛がりたいようである。私とヴァルターは義両親の優しさに感謝しながら、夕食までお世話になってしまった。次の日の朝、丁寧にお礼を告げた私たちは領主邸を出て、領都の教会横にある墓地へと向かった。
一番奥の広い場所にアドルフの墓があると墓守に教えられた。
墓石に刻まれたアドルフの名前を私はしゃがみ込んでそっと手で触れる。ヴァルターは少し離れたところで待機してくれていた。
「アドルフ。今までありがとう。私に新しい道を作ってくれて……ハンスを残してくれて……」
どうして、貴方だけ逝ってしまったのだと震えた声を飲み込んだ。隣にはハンスがいるから、泣くわけにはいかない。
「貴方の子。ハンスよ。大きくなったわ」
私はハンスの背中に片手を置き、墓石の前に立たせた。ハンスはよく分かっていない顔をしている。それもそうだ。ハンスは墓地にきたのも初めてなのだから。死者が眠る場所とすら分かっていないだろう。
「それと……これを返しておくわね」
私は婚姻指輪の箱をそっと墓石の前に置いた。ヴァルターとの婚約を結んだから、これはけじめのようなものである。アドルフの姿絵を片付けるつもりはない。ヴァルターも承知してくれている。けれど、これだけはアドルフに返さなければと持ってきたのだ。
「今まで、ありがとう。――私は貴方を愛していました」
流れる涙をそのままに、私は言葉を続ける。
「アドルフとの時間は幸せでした。これからはハンスとヴァルターさまと、そして屋敷のみんなと共に生きていきます」
必ず幸せになるからと、声には出さずにアドルフに伝えた。
「戻りましょうか、ハンス。また、節目に」
じゃあね、アドルフと心の中でさよならをした私はハンスと一緒にヴァルターの下へと歩いて行った。
「私も少しだけ、宜しいでしょうか?」
「ええ、もちろん」
そうして入れ替わりでヴァルターもアドルフの墓前に立つ。なにを話しているのかは分からない。時間は二、三分だろう。彼は騎士の礼を執って私の下へと戻ってきた。少しだけ晴れやかな顔をして。お互いにアドルフとなにを話したのかは聞かない。墓地を去る前、墓守に婚姻指輪をアドルフの下に埋葬して貰うように頼んでおいた。
「戻りましょう、エレノア」
ハンスを片腕で抱えるヴァルターが私を見下ろす。
「ええ、私たちの家に帰りましょう」
私はヴァルターの空いている手をそっと握った。はっと驚くヴァルターに私は無言で『駄目?』と問う。するとヴァルターは黙ったまま軽く首を左右に振った。
ヴァルターのごつごつした手は温かい。ハンスよりも温かいようなと私が彼を見上げると、顔を真っ赤に染めている。そんなに照れなくてもと笑いながら、三人で乗合馬車広場を目指し、王都に向かう馬車へと乗り込む。
たった二日間だったけれど、屋敷を離れて戻ってきたことに凄く安心感を覚えた。そうして私とヴァルターとハンスは……――
――ただいま、と屋敷のみんなに告げるのだった。
最終話です。ここまでお読みいただき、ありがとうございます! 悪い人を出さないようにしようというコンセプトで書いてみました。面白ければ感想や評価を頂けると嬉しく思いますー!!




