033:告白と保留と決意
――貴女が好きです。
今まで引いていた一線をヴァルターが踏み越えてきた。陽が暮れ始めた屋敷には茜色の光が差し込んでいる。彼の薄蒼色の瞳が私を捉えていた。ヴァルターからの告白を受けた私は嬉しい気持ちと、駄目だという気持ちがせめぎ合っている。
「貴女と出会い、時が経つにつれて自然と惹かれていました。笑う姿も、なにかに打ち込む姿も、ハンスのことに悩み、泣いて、彼を育てていく貴女が目に焼き付いて仕方ないのです」
ヴァルターは眉間に皺が寄せながら、思いのたけを振り絞った。そんなに私を思っていてくれたのかと、彼の声に胸が高鳴る。私は未亡人だし、子供を育てているからと溢れ出る感情に蓋をしようと頑張っていたのにヴァルターが開けようとしていた。私の気持ちの嘘を吐き通すのか、きちんと気持ちを打ち明けるのか……少し迷った。
「私もヴァルターさまのことが好きです。でも……私はアドルフを今でも愛しています。そして店もあって目標もある。そしてなにより、ハンスを育てていかねばなりません」
だから貴方の思いに答えられないと告げた。これで私が抱いていた淡い恋は終わる。ヴァルターも私という存在から解放されるだろう。しばらくの間は辛いかもしれないが、きっと彼にはもっと良い女性が現れるはずだ。
「それで構いません。貴女がアドルフ殿を愛することを私は止める気はないのです。私も彼を尊敬しております。その気持ちは一生変わることはないのですから」
そう告げたヴァルターが右手を私に向ける。握り返して返事をして欲しいということだろうと、私はゆっくり顔を左右に振った。するとヴァルターは私に差し出した右手を引っ込めて、片眉を上げる。
「答えを急かすつもりはありません。今日はエレノア殿の気持ちを聞けて良かった。では、また。一ケ月後にお会いしましょう」
今にも泣きだしそうな顔でヴァルターが踵を返そうとする。私は彼を引き留めるかどうか迷って……――また一ケ月後にと声を上げるのだった。
ヴァルターの背を見送り、門扉から出た彼の背が見えなくなるまで私は玄関に佇んでいた。そうして私は玄関先でしゃがみ込み、両手で顔を覆った。どう答えることが正解だったのだろう。ヴァルターの告白を受け入れれば良かったのか、はっきりと答えることはできないと伝えれば良かったのか。中途半端なことを言って、ヴァルターを傷付けてしまったかもしれない。
「エレノア」
イダの声で私は手を顔から離して顔を上げる。いつの間にか彼女が前に立っていて、彼女の影は私へと伸びていた。
「イダ。どうして?」
「仕上がったから日が暮れる前に届けて、仕事を貰おうってね」
左手の篭をイダは持ち上げた。そして右手を伸ばして、私は彼女の手を取って立ち上がる。
「ごめん。覗いちゃった」
イダは両肩を竦めて、少しでも軽い雰囲気を出そうとしていた。私が話し易いようにと。
「いいの。玄関先でやり取りをしていたのだから……」
「相手はお貴族だから、あたしが簡単に言えたことじゃないけどさ。一緒にいることくらい良いんじゃないの?」
あーと声を上げながらイダは右手を後ろに回して頭を掻いた。ヴァルターが平民なら話は簡単だったかもしれない。ヴァルターは伯爵家の三男だから、もっと相応しい人が彼にいるはず。それに。
「うん。でも私にはやらなきゃいけないことがあるから」
繰り返しになりそうだけれど、私には仕事と育児をやっていかなければいけない。アドルフから猛アタックを受けていたような時間の余裕は今の私にはない。
「あーもう! エレノアは本当に真面目だねえ! 言い方を変えるよ。やりたいことがあって恋を諦めるっていうならさぁ、全部叶えちまいなよ。あんたにはさ、全部条件が揃っているんだよ?」
「全部、叶える……」
「そうだよ。どうして諦める必要があるのさ。あんたは騎士さまのこと好きなんだろ?」
ずっとヴァルターに対する気持ちに蓋をして、彼を真正面から見ては駄目だと心に言い聞かせて諦めようとしていた。
「顔、赤いよ。エレノア」
にっと笑ったイダが屋敷の中へと入って行った。そうして玄関先で立ち尽くす私へと振り返る。
「ま、考える時間も必要だろうさ。次に会った時、返事ができると良いねえ。あたしはトルーデにお願いして、お代と仕事を貰ってくるよ!」
笑うイダに頷いて、私は日暮れ時の外を見上げた。一ケ月後には答えを出そうと決めて。
◇
ついに先程、エレノア殿に私の気持ちを吐露してしまった。結果は。
――首の皮一枚繋がった、というところだろうか。
日暮れ時の王都の街を歩きながら私は帰路へとついていた。別れ際、一ケ月後にまた告げた私は彼女に『一ケ月と言わず、また訪ねてきてください』と言われることを期待してしまっていた。
ものの見事に期待は外れたものの、また一ケ月後の定期訪問で会おうということになったのだ。落ち込むことはないと前を向く。まだハンスは病から立ち直ったばかりで、彼女も考える余裕はなかったかもしれないのだ。
「言いわけだな」
行き交う人々の中で私は立ち止まり、見えなくなった彼女の屋敷に顔を向けた。
「ヴァルター、どうしたんだ?」
そんな所に立ち止まってと言いたそうに騎士団の仲間の一人が私に声を掛ける。
「なんか、落ち込んでいないか?」
うんと仲間が訝し気に私の顔を覗き込む。その仕草が少し面白い。彼は一ケ月前にエレノア殿を街中を探し回っていた。私が彼にエレノア殿を探してくれてありがとうと、隊舎で告げれば『気にするな!』と明るく笑って返してくれた気の良い者である。だからこうして私にも声を掛けてくれたのだろう。
「少しだけ」
「うわ、本当に落ち込んでいるのか。本心を語らないヴァルターが素直に頷いた」
目を見開きながら仲間は驚いていた。
「私はそんなに自分の気持ちを誰かに伝えることはないのか?」
「だって、そうだろ。ヴァルターはさ、一歩引いてるじゃん!」
たしかに私は周りの者たちが楽しそうにしていると、一歩引いて見守る立場を取っていた。彼らには私が距離を取っているとずっと気に掛けてくれていたそうだ。アドルフ殿も仲間の輪に加われと、私に対してよく口にしていた。どうやら私は周りに溶け込んでいるつもりでいて、できていなかったようだ。
「ま、嫌なことがあったなら、酒でも飲もうぜ……って飲まないしなあ、ヴァルターは」
「酒は飲まないが、少し私の話を聞いてくれないか?」
「お、良いぜ! そんじゃあ、飲みに行きますかー! 話を聞くんだ。酒代は良いが、飯代は出してくれよー!」
肩を組んだ彼の言葉に私は分かったと笑うのだった。
◇
ヴァルターがハンスの様子を伺うために屋敷へ毎日訪れることはなくなっていた。
少し寂しい気もするが、役目を終えたのだから仕方ない。きっと、一ヶ月に一度の定期訪問もそのうちなくなってしまうのだろう。会えなくなることに気落ちしそうになるが仕事と育児に打ち込んでいれば忘れてしまうだろう。
「たー? たーー?」
ハンスが屋敷の中をうろうろしながら、ヴァルターを探していた。私はハンスの姿を見て胸が痛んだ。ヴァルターはあと一ヶ月経たないとやってこないとハンスに伝えても意味が分からないだろう。今にも泣きだしそうなハンスの前に立て、ロッテが手作りの玉を差し出した。
「ハンスさま。私と遊びましょう? ほら、玉蹴りですよー?」
ロッテが笑みを作れば、泣き出しそうなハンスの目に涙が溜まっていく。ロッテは『駄目かあ』と声をあげてハンスを抱き上げた。抱きかかえられたロッテの首に両手を回したハンスは肩へと顔を埋める。
「毎日こられていましたから、ハンスさまにとって楽しかったのでしょうね」
あらあらと困ったようにトルーデが私の隣で声を上げる。食堂での一幕だった。
ヴァルターが屋敷を訪れなくなった二日目もハンスは彼の影を探している。物音がすれば『たー?』と私の顔を見上げ、違うと分かれば残念そうに床に顔を向けた。私より小さいハンスの方がヴァルターがこなくなって悲しんでいる。まさかこんなことになるなんて誰が思うだろうと、自室にいるハンスの下に私は膝を突いた。
「ねえ、ハンス。ヴァルターさまがこなくなって寂しい?」
「かか」
ハンスは私のことだけを呼び、ぎゅっと腰に手を回した。お腹にぐりぐりと顔を擦り付ければ、お腹を満たしていたせいか眠りに落ちている。幸せそうな顔で眠るハンスを抱き上げた私はアドルフの姿絵に視線を向けた。
「アドルフ。私はどうすれば良かったの?」
イダにはすべて手に入れれば済むことだと言われた。けれど本当にそんな欲を張ってしまって良いのだろうか。ハンスの病気が治ったことで、弟に対して抱いていた後悔は少し薄れていた。
王立医師会で弟のことも発表されると聞いて、少し報われたような気がしたのだ。これから先、弟やハンスと同じ症状に罹った人が救われる未来へとなったのだと。悲しい記憶が少しだけ明るいものになった。だというのに、それ以上のことを……ヴァルターとの恋まで求めてしまっても良いのだろうか。
――君は次の幸せを手に入れてくれ。
アドルフの声が聞こえた。けれど、今のは幻聴である。だって、手紙に記されていた言葉と全く同じだもの。きっと私が都合よく解釈しようとして、勝手に声が聞こえたのだと頭を振った。アドルフは私の側にいない。だから答えは自分で見つけて、先へと進まなければいけない。ヴァルターの手を取れば、どんな未来が待っているのだろう。
アドルフとは押し切られる形で婚姻を結んだ。もちろん、私が彼を受け入れていたからで添い遂げた。でも、今度の恋は私から思いの丈をぶつけてしまっても良いのだろうか。ヴァルターの気持ちを知っているから、私が覚悟を決めれば良いだけだけれど……私はアドルフの姿絵を伏せようとして止める。
もしかすると伯爵家に反対されるかもしれないし、父も反対するかもしれない。けれど……ハンスの気持ちでもなく、私の気持ちは?未来はどうなるか分からないから怖い。でも今の中途半端な気持ちのままではいけないことは、私にとっても、ヴァルターにとっても良くないだろう。
「アドルフ。私は前に進むわ」
私の言葉をアドルフがどう感じるかなんてわからない。そして、これから先も、亡くした夫のことを思い返す日はあるだろう。でも……前に進もう。新しい道を切り拓こう。




