032:謝罪と看護と一線
ヴァルターと騎士の三人は医者と騎士団の隊舎には戻ってはいなかった。私は彼らにもなにか言葉を掛けなければと部屋を出る。短い廊下を歩けば、玄関先で四人が一斉にこちらを向く。私は四人の前まで歩いていき、頭を下げる。
「ヴァルターさま、皆さん、ご迷惑をお掛けしてもうしわけありません」
「気にしないでください」
ヴァルターはハンスが無事なら構わないと。そして私が落ち着きを取り戻したなら良かったと続けた。
「我々は当たり前のことをしただけです。練習着の件もありますしな」
「ええ、そうです! 謝罪より、お礼の言葉の方が嬉しいですね!」
「ですです。本当に良かったっす!」
三人は言葉が重くならないようにと凄く気を使ってくれている。私は今度は『ありがとうございます』と口にすれば『では、戻ります』『たまに様子を見にきますね』『他の連中も心配してるんすよ』と手を振りながら玄関を出て行く。残っていたヴァルターは彼らの背を見送り、私も手を振り返した。三人が門扉を抜けるところを確認して、私はヴァルターを見上げる。
「ありがとうございました。ヴァルターさまが街で呼び止めてくださらなければ、私はまだ医者を求めて彷徨っていたでしょうから。それに貴方に八つ当たりしてしまいました」
私はヴァルターから視線を外して唇を嚙む。すると彼の右手が私の左の二の腕を軽く掴んだ反動で私は視線を上げることになる。
「あまりご自身を責めないでください。医者も言っていたでしょう、偶然が重なっただけだと」
真剣な表情だった。いつも穏やかな彼には珍しい。
「……仕事を残しているので、戻ります。医者の言葉もありますが、ハンスが気になるので……また明日、屋敷に顔を出します」
少し名残惜しいですがとヴァルターが右手を離して目を細める。私がはいと言葉を返せば、ヴァルターは普段より間を取ってから玄関を出て門扉を抜けていく。また明日、彼に会えることに、私の心が凄く安心感を抱いていた。ヴァルターのことは好きだ。けれど彼は伯爵家の三男で、私は平民として仕事を始めたばかりだ。もしこの想いの先に婚姻があるのなら、今の暮らしをそのまま続けられるのか分からない。
気づけば、アドルフを失って二年以上経っている。
最近、彼の姿絵に祈ることが少なくなっているなと……はたと気付いた。決してアドルフへの思いが褪せたわけではないと玄関の床を見つていれば、イダが私の肩をぽんと叩いた。彼女の左手には修繕の服がいくらか入った篭が握られている。
「あんたは根が真面目で、思い詰めちまうところがある。まあ、前より少しだけマシになったのかねえ?」
「イダも気に掛けてくれて、ありがとう」
「あたしゃ、なにもしてないさ。ただ小金を稼ぎにきただけだもの。ほら、ハンスのとこに戻りな! じゃ、またね!」
へらりと笑うイダは私にちゃんと食べて寝るんだよーと告げ玄関から出て行き、門扉を抜けて歩いていく。今は自分の気持ちよりも、ハンスを優先させなければと自室へと戻った。するとトルーデとロッテとアントンとゲオルグが厳しい表情で私を見ている。いきなりのことでどうしたのかと私が問うと、とりあえず休めということを言いたかったらしい。
「みんなもありがとう。急に飛び出して、心配を掛けてごめんなさい」
そういえば街中を走り回っていたと改めると、どっと疲れが出てきた気がする。ハンスの様子はあまり変わらないものの、対策を取ったのだから今以上に悪くなることはないだろう。
「ハンスさまは私とロッテで様子を伺っておきます」
「エレノアさまは一休みしましょう!」
それなら休ませて貰おうと素直に『お願い』と私はみんなに頼んだ。
「私は警備に戻ります」
「俺も。なにかあれば呼んでくださいね」
アントンとゲオルグも屋敷の中を気に掛けてくれるとのこと。そうして男性陣は部屋を出て行き、私は着替えてベッドに寝転がる。トルーデも夕飯の用意があるからと、部屋を出て行った。
ハンスの面倒はロッテがしばらく見てくれるそうだ。容体の変化があれば、直ぐに知らせてくれるとのこと。だから大丈夫と私は目を閉じた。ハンスが早く元気になりますようにと何度目か分からない祈りを捧げながら。
次の日の朝。ハンスの様子に変化はない。
昨日、仮眠を取った私は夕食を済ませてからは、ハンスの側につきっきりだった。医者からは直ぐに改善の傾向はみられないと言われていたから当然だが、本当に治るのかと疑いの芽が生えてきそうになる。絞った果物がまだ足りないのだろうかと不安になりつつ、知識のない私はハンスに教えられたことを実践するしかない。口の中の様子も、身体の痣も昨日と同じだ。私はベッドで眠るハンスの顔を覗き込む。
「ごめんね。ハンスが一番つらいのに」
はあと溜息を吐いた私は、ハンスの頬を撫でる。するとハンスが目を開けて微かに笑った。ここ最近、ハンスが笑ったところを見ていない。
「ハンス! ごめんね。つらいよね。できることなら代わってあげたい……でも、できないから……ハンスの側にいることだけは許して……」
私の涙がハンスの頬に落ちていく。するとハンスは嫌だったようで、身体を捩らせた。すぐに私は手を伸ばして落ちた涙を拭う。
「……か?」
なにかハンスが言っているけれど、小さすぎる言葉ははっきりと聞こえなかった。私は袖口で涙を拭って鼻を啜る。すると部屋の扉の向こうからノックの音が二度鳴った。どうぞ、と告げればトルーデが顔を出す。
「エレノアさま。ヴァルターさまがいらっしゃいました」
「今、行きます」
私はトルーデと入れ替わりで部屋を出て行く。いつもより短い廊下を歩く時間が短かった。玄関には紙袋を三つ腕に抱えるヴァルターが困り顔で立っている。
「おはようございます。その、騎士団の者たちが持っていけと……」
はあとヴァルターが軽く息を吐いた。彼は騎士団の人たちの勢いに押されて仕方なく持ってきてくれたようだ。少し可笑しくて、私は少しだけ心が軽くなった。大丈夫。ハンスを心配してくれる人はたくさんいるのだと。
「凄い量ですね。しばらく果物に困ることはなさそうです」
「ハンスだけではなく、エレノア殿にも食べて欲しいと」
えと私が目を見開けば、ヴァルターは気付いていなかったのかと言いたげだった。ヴァルターは一拍置き、女性には失礼な言葉だけれど、少し頬がこけていると教えてくれる。
振り返ると体調を崩したハンスを心配するあまり、自分のことが疎かになっていた。屋敷のみんなが過剰に心配していたのは、これが原因のようだ。私は紙袋を一つ持ち、ロッテを呼んだ。一つロッテに預け、ヴァルターにはそのまま一つ持ったまま調理場まで運んで貰った。それから三人で自室へと入る。トルーデは『お茶を淹れて参ります』と告げて部屋を出て行った。
ヴァルターがハンスが眠るベッドの柵に手を掛けて顔を覗き込む。大きな右手を伸ばしたヴァルターはハンスの頭を優しく撫でた。
「昨日より、息が落ち着いておりますね」
「え?」
ハンスの変化はあまり見られない。トルーデとロッテも同じ見解だったのに、ヴァルターは何故、私たちと違うことを感じたのだろう。
「私は時間を空けているので、ハンスの変化が分かりやすいのかもしれません。気のせいという可能性も捨てられませんが」
たしかに毎日顔を合わせている人の少しした変化は分かり辛い。以前より髪が伸びたとか、少し太ったとか痩せたとか。なるほどと私は頷いて、ハンスの顔を見る。すると隣にいるヴァルターはハンスの頭を撫でる手を止めた。
「ハンス。また私と遊んでくれ」
遊ぼうではないのだなと、少し可笑しかった。
「私はハンスの様子を医務官に伝えます」
「はい。お願い致します」
そうしてヴァルターは見送りは不要だと告げて部屋を出て行った。ヴァルターの背を『では私が!』と告げたロッテが追いかける。
医者に診て貰ってから、二日目。
朝。ヴァルターがまた訪れてくれる。ハンスの口の中の腫れが少し引き、出血が少なくなっていた。目に見える効果が出てきたと私は安堵する。
三日目。朝にヴァルターが顔を出す。昼過ぎ、ハンスが『かか?』と声をだし、しっかりと視線を合わせてくれた。
「ハンス! ハンス! 良かった……!」
また私は泣きながら、抱きしめたくなるのをぐっと堪えてベッドの柵を強く握り込んだ。
四日目。
またヴァルターが朝に屋敷を訪ねてくる。ハンスは少し機嫌が良かったのかベッドの中で『たー!』と声を上げる。その声にヴァルターが『ハンス。少し元気になったな』と笑った。身体に出ていたハンスの痣が薄くなっている。
五日目。朝、屋敷に訪れたヴァルターがハンスとなにか語り合っていた。明日は夕方に顔を出すと告げて、騎士団へとヴァルターは向かう。夕方、ハンスがベッドの中でゴソゴソと動き始めている。そして外に出て遊びたいと訴える。ただまだ無理はさせられないと、どうにかハンスに言い聞かせた。
ハンスは願いが叶わず泣くかと思えば、ベッドにゴロンと寝ころんだ。まだ調子は戻らないらしい。ふと私はあることを思い出す。
六日目。ハンスの口の中が綺麗になり、身体の痣も消えかけている。そのことに屋敷のみんなで喜んで、ヴァルターがやってきた。
「あの、ヴァルターさま」
昨日、私が思い出したことを伝えようと、帰り際のヴァルターを玄関先で呼び止めた。
「弟が亡くなった年は果物の値段が高く手を出し辛いと大人が口にしていました。大したことではなく、記憶頼りの昔の話ですが……お役に立つのであれば、騎士団の医務官さまにお伝えいただければと」
私は十数年前に弟がハンスを同じ症状で亡くなったことをヴァルターに伝えた。
「なるほど。少し調べれば、当時の市場が分かるはずです。医務官に伝えてみますね。ようやくあの時の疑問が晴れました」
ハンスが掛かった病気について、もう少し詳しく分かると良いけれど。海がある外の国では解明されつつあるようだし王国でも情報が広まれば嬉しい。ヴァルターは広場の前で私が取り乱した原因が分かったと告げ、大丈夫かと私に問う。
「弟は戻ってきませんが、ハンスは回復していますから」
「良かった。では、今日はこれで。また、明日」
そんな日々を一ケ月近く繰り返して、ハンスはいつも通り部屋や庭先で元気に走り回れるまでになっている。一ケ月の間に騎士団の医務官とベアトリーチェが呼んだ医者も三度ほど屋敷を訪ねてくれた。
回復しているハンスを診て、効果があると確信してくれたそうである。医務官は昔の情報も役に立つと言ってくれ、弟が亡くなった年は悪天候により果物が育たず市場の値段が上がっていたそうだ。柑橘類以外でも回復できるような品がないか探してみるとも。
昼頃、ヴァルターが屋敷を訪ねてきた。元気になったハンスは勢い良く部屋を出て、玄関にいるヴァルターの下へと急ぐ。私はハンスの後を追いかけて、毎日ヴァルターが訪問を続けていた日々が終わると物寂しい気持ちに襲われる。
いつも通り、お互いに挨拶をすれば、ヴァルターが足下のハンスを抱き上げる。左腕にハンスのお尻を乗せたヴァルターは、以前の様に固まることはなかった。
「……今日で私が毎日屋敷に訪れるのは終わりにしましょう」
「たー!! あしょぶ!!」
ヴァルターが右の拳を握り込んでいた。なにかを決意するように。私は顔を上げて、口元を伸ばして笑みを作る。
「ハンスも元気になりましたから……」
私の言葉に頷いたヴァルターはハンスへと視線を移す。
「はい。さあ、ハンス。私と庭に出て玉蹴りをしようか」
ヴァルターの提案にきゃっきゃと声を上げるハンスと黙り込んだままの私が対照的だった。遊び終えたハンスとヴァルターが中へと戻ってきて、今日は帰ると告げた彼を見送るために私は一緒に玄関に出る。二人で玄関の前に出ると、ヴァルターが足を止めて私を真っ直ぐ薄蒼色の目が見つめていた。
――貴女が好きです。
お互いに引いていた一線をヴァルターが踏み越えてきた。




