030:求める医者と探す者
屋敷を出た際にアントンから『エレノアさま、どちらに!?』という声が届いて、私は振り返ることもなく医者を探してくると伝えて門扉を出ていく。屋敷を出てすぐ、イダの顔が視界に入った。
「ちょっと、エレノア!?」
イダの伸ばした腕は空を切って、私の肩を掴むことはなかった。絡みそうになる足に、子供の頃はもっと上手く走っていたのにと自嘲しそうになる。今は転倒しても、無様な走り方を笑われても良いから、王都の街にいる医者を探さなければ。近所の医者はもう既にハンスを診て貰っている。だから屋敷の反対側に位置する場所を私は目指す。
商業区の人通りの多い場所に入れば、昼食を食べようと店を探している人が多くいる。私は彼らを縫っていくことが億劫だと声を上げる。
「どいて!」
私の強い言葉に通行人がぎょっとする。そして条件反射なのか道を開けてくれた。よし、と私は足を動かして先を急ぐ。でも、また人の壁に阻まれそうになっていた。
「どいてください!!」
とまた声を上げると、巡回中の騎士が視界の端に移る。見知った顔だけれど私は無視を決め込んだ。でも巡回中の騎士三人は私を見て、こちらに向かって走り出す。
「エレノア殿! 如何なさいました?」
「エレノアさん? そんなに急いでどこへ向かわれるんですか?」
男性騎士と女性騎士の声に街の人たちが騒ぎかと足を止めた。私は先を急ぐなら好機だと、止めていた足に再び動かそうと気合を入れる。
「え、ちょ!? どこに行くんです、エレノアさん!?」
もう一人の男性騎士が私に手を伸ばそうとして空を切っていた。
「あーもう! 追いつけないじゃん!!」
そんな声が聞こえてきて、先を急ぐからという声は出ないまま、私は三十分近く走り続けていた。
屋敷の反対側の区域に辿り着く。道行く人に『医者はどこにいますか?』と問えば、怪しい者だと思われたのか無視されてしまった。けれど反対側の土地勘がない私には、誰かに聞き続けるしかない。軒下で物乞いをしている人を見つける。片足がないから傷痍軍人であろうか。私はその人の下にしゃがみ込んで、空き缶に銅貨を二枚入れた。
硬貨が入った音と私の『すみません、医者の居所を知りませんか?』という声に物乞いは顔を上げる。
「どうしたね?」
「子供が病に罹りました。治せる医者を探しております」
自然と私の言葉は早口になっている。ふむ、と考え込む物乞いはゆっくりと腕を上げ、私が進もうとした先に指を指す。
「そうか。質を問わないなら、そこの角。少し先へ行ったところに、もう一軒、医者の看板を下げているところがある」
「ありがとうございます!」
もう一枚、銅貨を入れて私は急いで立ち上がった。走り慣れていないせいか、足がもつれるけれど気にしていられない。そうして教えて貰った質を問わない医者の家の前で、私は勢い良く扉を叩いた。
「すみません! 子供を診ていただけませんか!?」
そう告げたあと、私はまた扉を何度も叩いた。すると煩いなと言いたげに、髭を生やした医者――多分――が扉から顔を出す。
「症状は?」
医者の言葉に私は近々のハンスの様子と症状を口にする。すると医者は凄く面倒そうな表情を見せて、手で追い払う仕草をしながら言葉を放つ。
「他の医者もそう言ったなら風邪だ、風邪。放っておきゃあ治るさ」
それなら次だと、私はもう一つ教えて貰った医者の下を目指した。少しは知れば、医者の看板が出ている。先程の人より信頼できるかもしれないと胸が高鳴った。
また同じように医者の家の前で扉を叩けば、誰かが不思議そうに顔を出す。どうしたと告げられる前に私は『子供が病に罹りました。診てくださいませんか?』と声を上げた。すると症状はと聞かれて、また同じことを私は説明した。すると対応してくれた人は真面目に話を聞いてくれ、私が伝え終わると難しい顔になった。
「子供に偶に現れる症状だな。十年数前に少し流行ったが、治療法は見つかっていない。残念だが、ご夫人。幼い子には時折あることだ。覚悟をしておきなさい」
目の前の人が軽く左右に首を振る。その言葉が、ハンスを諦めろと言われたように聞こえた。
「っ……!!」
また涙が溢れ出そうになって、私は医者の下から踵を返す。どうすれば良いのだろう。また他の医者を探しても同じことを告げられるのではないだろうか。断られてしまうのではないだろうか。ギリと歯が軋む音が届いて苛立ちを覚える。けれど、一番苦しんでいるのは私ではなくハンスだ。私はどうなっても良いから、ハンスだけは救わなければ。
――まだ、諦められない。
そうだ。
――諦めては駄目だ。
まだ、方法はあると、今度は貴族街を目指して走り始めた。ミュラー男爵家のタウンハウスに。貴族向けの医者は街にいる医者よりも質が良い。
事情をミュラー男爵かベアトリーチェに相談すれば紹介してくれるかもしれない。お金は掛かるけれど、ハンスの命と引き換えならば私の一生を掛けて返してみせる。だからお願いと疲れた足に激を送り、私はまた十五分ほど走ることになった。
「お願いします! ミュラー男爵さまか夫人にお目通りを!!」
門扉の前で私が大声をあげれば、数人の護衛が庭から駆けて出てくる。そして私の顔を見るなり驚いた顔になった。一人は屋敷に向かい、残りの二人は門の向こうから私に声を掛けた。
「貴様、名乗れ!!」
「エレノア・カウフマンでございます。どうか、どうかお願い致します!」
殺気立つ護衛に私は必死に頭を下げていると、屋敷から急いでこちらへとくるベアトリーチェとマーサと屋敷へと向かった護衛の姿が見えた。ベアトリーチェが少し離れた位置から『剣の柄から手を離しなさい!』と告げる。すると二人の護衛は女主人の声を聞き届けて小さく息を吐いていた。
「中にお入りなさい。話を聞きましょう」
屋敷には入らず、庭で立ち話になった。
「お願いします! ハンスが病を患いました。医者を紹介して頂けませんか?」
「……相応のものが必要になりますわよ?」
わずかに息を飲んだベアトリーチェは私に結構なお金が掛かると言いたいらしい。
「いくらでもお支払いいたします。お願いです、ハンスを診て頂ける医者を教えてください……!」
「承知致しましたわ。急ぎ、貴女の屋敷に向かわせるように手配いたしましょう!」
「ありがとうございます!」
私は身体を翻して門扉の隣にある小門を目指す。小門ならば自力で開けられると知っているからだ。
「お待ちなさい、どこに行くというのです……!!」
ベアトリーチェの声が聞こえるけれど、私は屋敷を後にした。走って貴族街を抜けて、十分ほど経てば今度は集合住宅が建ち並ぶ区域になった。道行く人に『医者はどこ?』と聞き回る。また、二軒ほど医者がいると知った私はひた走る。
けれど結果は変わらなかった。風邪だろう、治らないだろうと。希望は少し見えているけれど……確実にするために、いくつもの可能性を手繰り寄せておきたい。商業区にある広場を見つけて中に入ろうとすれば、見知った人が視界の端に映る。でも、私は今はなによりもハンスを優先させなければいけない。
「――ア殿……エレノア殿!!」
広場に入ろうとした私は誰かに腕を引かれる。止めないでと抗議しようと振り返れば、ヴァルターが思い詰めたような視線を向けていた。
「話はお聞きしました。ハンスが寝込んでいると。医者を探しに貴女が屋敷から出て行ったとも」
掴まれた腕を振り払おうとすれば、ヴァルターの話に私の動きが止まってしまう。
「何故、その話を知っているのかと言いたげですね。騎士団の仲間が巡回中に貴女を見つけて声を掛けたものの、直ぐに立ち去ってしまったと」
そして緊急事態ではと判断したあの三人は屋敷に事情を聞きに行く人と私を探す人、騎士団に向かいヴァルターに知らせる人と三手に分かれたそうである。
「知っているのならば、何故、私を引き留めるのですか!? ハンスが死ぬかもしれないの! あの時と同じことを繰り返したくないの!! だから治せる医者を探しているというのに!!」
勝手な言い分だと分かるのに言葉が止まらない。私は自棄になっていると自覚しながら、我慢していた言葉を吐き出す。
「話を聞き、騎士団付きの医者を手配いたしました。ハンスが倒れた原因が分かるかもしれません。だから、少し落ち着いてください、エレノア殿」
「え?」
どうしてヴァルターが騎士団付きの医者を手配したのだろうと頭に疑問符が浮かぶ。でもさっき、一人は屋敷に向かい事情を聞いたと言っていた。そういうことかと、膝から崩れ落ちそうになる。
「エレノア殿?」
ヴァルターの両の腕が伸びてきて、私を抱きしめた。
「申しわけ、ございません……以前も似たようなことがありましたね」
以前のような、ふらついた私を抱き留めるような仕草ではなく、彼の両の腕がしっかりと腰に巻きついている。
「こちらこそ、申しわけありません。いけないと分かっていながら……」
「いえ」
彼の胸に手を当ててそっと離れた。私が顔を上げれば、笑っているとも怒っているとも判断のつかないヴァルターがいる。そして彼の後ろには『どこに行くんです、エレノアさん!?』と呼び止めた男性騎士がいて息を整えていた。どうやら先程まで、私を探すために街中を走り回っていたそうである。
「良かった……見つかったあ……!」
息を整え終えた彼はヴァルターと私の下へと小走りでくる。ヴァルターは私の背にそっと手を当てる。
「屋敷に戻りましょう。きっとハンスはエレノア殿を待っています」
嗚呼、そうだ。ハンスと離れることはなかったから寂しがっているだろうと、私はヴァルターの声に素直に頷くのだった。




