028:お出掛けと偶然
お試しの作業を受ける前に私は貴族の女性の間で流行っているドレスを調べた。ベアトリーチェからも情報が齎され、社交界を離れて久しい私には少し新鮮なことだ。また、お試しのドレスの直しの方向性も話し合いの末に少し方向性が変わっていた。最初はレースを流行りに施し直すだけであったが、他にも直すべきところが増えていた。
夕方。私の自室にはエンパイアラインのドレスが、マネキンに着せられている。今、社交界の女性の間で流行っているものは、飾っているドレスよりも腰の位置が低くなったものだ。
今、目の前にあるドレスを夜会で身に纏えば『まあ。素朴な味わいのあるドレスね』と遠回しに古臭いと言われることだろう。ドレスの腰の位置の直しについてはトルーデに任せて、私は流行りの刺繍をドレスに施すことにした。細かい作業は苦ではないから、あとは纏まった時間が取れるかが問題といったところだ。
ベアトリーチェは急がないと言っていたが、これは私たちの試金石でもある。
ドレス一着の修繕に対して、どれくらいの時間が掛かり、人手を掛けたかの標準となるはずだから。私は自室でドレスを眺めながら、どの位置に刺繍を施そうかと頭を悩ませる。どの方向から見ても美しく仕上がるようにしなければ。手抜きは一切できないと鼻息荒くしていると、私の服の裾を引っ張る誰かがいた。
「かか?」
「どうしたの、ハンス?」
私は玉を持ったハンスの下にしゃがみ込む。
「たー、あしょぶ?」
「ヴァルターさまはもう少しすれば、屋敷にきてくださるわ。その時にまた、遊んでとお願いしましょうね」
私の言葉にハンスがしょぼんと視線を下げるのだが、直ぐに私を見つめ返した。
「るー?」
「ルシアンさまはドレスが直れば、きてくださるかもしれないわね」
ハンスとルシアンは一度会っただけで、直ぐに仲良くなっている。お互いに同年代の子と触れ合うのは初めてだったから、別れ際、双方が大泣きしたことは将来に笑い話となるだろう。
頻繁に会わせてあげたいところだが、私が男爵家のタウンハウスへ向かうのはなにか違うはず。とはいえ次の機会にルシアンが我が家に訪れる保証はない。ベアトリーチェ次第だが、まだ理解は難しいだろうと私はハンスの頭を撫でた。
ハンスは手に持っていた玉を投げて、一人で遊び始めた。そろそろ夕食の時間だから、ハンスには動いてたくさんお腹を空かせてほしい。
私はハンスを横目で見ながら、頭の中でドレスの刺繍を大まかにデザインしていく。細かいデザインはあとで紙に書き起こそう。必要な材料費はベアトリーチェに請求することになっているから、素材の買い出しに遠慮しなくても良い……とはならない。良い素材を安い値段で仕入れ、彼女に依頼をしたことを後悔させないように努めなければ。
「明日は買い物に出掛けようかしら。随分と久し振りだわ」
刺繍に必要なものを手に入れなければならない。商業区に向かうのは久しぶりだ。ミュラー家にいる時は家の者が欲しい品を買ってきてくれていた。籍を抜けてからは、妊娠して出産、育児を挟んでいたから今まで屋敷の中で過ごしてきた。外に出る良い機会になりそうだと少し心が軽くなる。一人で笑っているとハンスが不思議そうに私をじっと見つめていた。
「ハンスも一緒に出掛けましょうか。外を知る良い機会だもの」
ハンスは私がなにを言っているのか理解していないようだ。ただ私の気持ちが上向いているということは分かるのか、へらりと笑っていた。するとロッテが『夕食の時間です』と自室に顔を出す。私はありがとうと返事をして、ハンスにも声を掛け食堂へと向かうのだった。
――翌日。
朝食を終えた少しあと。屋敷の玄関前でみんなと顔を合わせていた。
「あまり長居をされませんように」
「スリには十分お気をつけくださいね!」
トルーデとロッテが久しぶりに外に出る私を随分と気に掛けてくれている。体力が落ちているから無茶をしないようにと言いたいらしい。
「アントンがいるから心配していないわ。よろしくね、アントン」
「承知しました」
私がアントンに小さく頭を下げると、ゲオルグは両手を頭の後ろに回す。
「俺は屋敷に残って、トルーデさんを守り、ロッテの面倒をみてるっスね」
「私の面倒は私がみれますよ!?」
ゲオルグの冗談にすぐ反応したロッテを見た私たちは笑うと、ハンスが私の腕の中で首を傾げている。商業区までは三十分ほど歩かなければならないから、さっそく行きましょうと私はアントンに声を掛けた。
そうして商業区へと向かい、先ずは必要な布や糸を手に入れようと手芸用品店を目指す。ハンスは人が行き交う街並みを顔を忙しなく動かしていた。彼がこんなに人がいる場所にくるのは初めてだ。怖くて泣いてしまわないか心配だったけれど、興味の方が勝っているようだ。ただ今からこの調子だと屋敷に戻る頃には疲れ切っているかもしれない。
商業区を進んでいれば、手芸店の看板を見つけた。早速入ってみようと私は後ろを振り返る。
「アントン、あの店に入ってみましょう。社交界の情報も聞けると良いけれど」
「はい」
そうして私はお店の中に入り、店員に一声かけてから商品を見させて貰う。店員は私が初見だと理解したのか、そそくさと寄ってきてお薦めの品を口にする。私が必要なものを伝えると、にこりと笑みを深めた店員が別の場所へと連れて行ってくれた。
刺繍糸を多く取り揃えている店のようで、まさか一軒目であたりを引くとは思わなかった。商家の娘が社交界に出ると伝えれば、店員は流行りの模様を教えてくれる。私が抱っこしていたハンスはアントンに任せていた。ハンスは彼の腕の中で静かにしている。色とりどりの布や糸に目を奪われているようだ。
「良いものだけれど……予算で収めたいところね」
「では、こちらは?」
「色味が合わないの。ごめんなさいね」
直しをお願いされたドレスの色は赤だ。それも鮮やかな赤である。薦められた糸は少し濃さが足りない。そう口にすれば、店員はふむと考える素振りを見せた。
「ならば、こちらをお薦めしましょう」
「たしかにこれなら、予算にも色味も合うものね」
安い品ではあるものの、十分にドレスの直しに使える糸があった。そうして店を隅々まで見させて貰いながら、必要な品をいくつか買って店を出た。
「うん。良い物が買えたわね」
修繕の仕事を初めてから、私は糸や布の相場は細かく把握している。産地や製法で値段や質が変わるから、今の店では良い買い物ができた。以前、老人から受けた形見の衣装を直す糸と布を探すことをゲオルグではなく、私が担っても良かったのかもしれない。とはいえ、もう過ぎたことだし老人の衣装を直す仕事を切っ掛けを持ってきたのは彼である。今はベアトリーチェさまのドレスの直しに注力しよう。
「すみません、私はよく分からないので」
「アントンが気にすることはないでしょう? ハンスを預けられるから助かったわ」
アントンと些細なことを語りながら、他の手芸店も見回ってみた。一軒目に尋ねた店が一番品揃えが良く、店員の質も良かった。次も一軒目の店で品物を探そうと決める。ハンスは疲れてしまったようで、アントンの腕の中で眠っていた。
「広場がどんなところか見てみたかったけれど……戻りましょうか。ハンスをベッドに寝かせないと……――」
「――エレノア殿?」
私たちの目の前に私服姿のヴァルターが立っていた。薄蒼色の瞳がまんまるになっていて少し面白い。
「ヴァルターさま。意外ですね、こんなところで」
「ええ。少し必要な品の買い出しに」
そう告げたヴァルターは紙袋を軽く掲げる。中身は果物のようだ。きっと身体が資本の騎士だから、いろいろな品を食べているのだろう。
「私服姿、新鮮です」
騎士服以外のヴァルターを見るのは初めてではないだろうか。私の屋敷を訪れる際の彼は公人として勤めているようだ。出会ってから随分と時間が経っているのだから、もう少し気を抜いてくれても良いのではないかという気持ちが湧いてきた。とはいえ口に出してはいけないことだと私は二の句を告げなかった。
「私服に拘りはないので少々気恥ずかしいですが……――エレノア殿もいつもと雰囲気が違っておられます」
「久方振りに商業区を訪れましたから。良い機会でした。せっかく……いえ、なんでもありません」
こうして顔を合わせたのだから屋敷に遊びにこないかという言葉を私は飲み込む。彼と穏やかに世間話をする時間が、いつの間にか私には尊いものになっていた。けれど。アドルフのことを思い続け、ハンスを育てていくのであれば彼に深りすべきではない。そして彼の人生もあると自分に言い聞かせる。
「それでは、また……屋敷でお会いしましょう」
「ええ、また……エレノア殿」
別れ際、彼に名前を呼ばれたのは初めてだと気付くものの、期待をするなと私は足早に商業区を抜けていく。彼ともっと一緒にいたいという欲を抱きつつ、仕事と子育てをしなければならないという理由を付けながら。
◇
王都、商業区。昼前に私は偶然にもエレノア殿に会うことになった。紙袋を手に抱えていたから、買い物に出掛けているのだろう。うしろに護衛を控えさせているが、以前のように心がざわつくことはない。
袋を抱えて歩く彼女の姿がとても嬉しそうに見えて、私はつい声を掛けてしまった。私の私服姿は珍しいと彼女が微笑んで、騎士服ではなくて良かったと感じてしまうのは凄く単純だろうか。そうして私は屋敷に彼女を見送ったところである。
「……」
久方振りに外へ出たという彼女はそのあと私になにかを伝えようとしていた。なにを言おうとしたのかは分からないが期待してしまう私がいる。だからつい、別れ際に言わないはずの彼女の名前を口に出してしまった。気持ちを彼女に知られることは構わない。ただ、彼女に応えてほしいと求めることにはためらいがある。
それに彼女と付き合えば、確実にアドルフ殿に負い目を感じてしまう。そんな状態で付き合えるはずはないと、私は彼女が去った道を私はしばらく眺めていた。




