026:思わぬ言葉と美味しいお菓子
朝、エレノア殿の屋敷に赴き、用を済ませた私は騎士団で仕事に励んでいる。今は皆が訓練場に集まり手合わせをしていた。――カンと鳴った訓練用の木剣が放物線を描きながら地面に落ちる。
私の目の前には木剣を飛ばされ、驚いた顔をありありと浮かべる騎士団の同僚の姿があった。目の前にいる彼は私と同じ十人長の階級であり『ヴァルターは私の好敵手だ』と言って憚らない。
どうして私に拘るのかは分からないが、訓練での手合わせの勝率は私が八、彼が二であるというのに、諦めることを知らないらしい。とはいえ、勝ちたいと願い私に木剣を向けてくる彼の気概は嫌いではなかった。
騎士は国を、主人を守ることが仕事である。剣を失っても、手や足があるなら勝負を捨てるべきではない。だが、目の前の彼は私が木剣を払ってしまい、驚いたまま次の動きを取ろうとしない。
「続けますか?」
私が持っている木剣を構え直せば、目の前の彼が小さく頭を下げた。
「ま、参った!」
続けないのかと、私は少し残念な気持ちに襲われる。アドルフ殿なら同じ状況に陥っても諦めることはなく、笑みを浮かべて近接戦を挑んできていたというのに。私は息を吐いて、構えた木剣を腰の横に移動させて開始線へと戻った。すると審判をしていた仲間の騎士が『お互いに、礼!』と告げれば、周りで見ていた者たちがわっと沸き上がる。
「お、おい……今日のヴァルター、凄い勢いがあったな?」
「分かりやすいじゃない。エレノアさんの所に行って、ご機嫌なんでしょ?」
「女性一人で堅物ヴァルターが変わってしまうとは。独り身仲間として寂しいのだが……」
同じ隊の仲間三人が私のことを揶揄っているが、決して朝にエレノア殿の屋敷に訪れたから私の機嫌が良いわけではない。たしかに私を見送るだけだった彼女が珍しく『お仕事、頑張ってください』と声を掛けてくれた。そんな単純なことで強くなれるのであれば苦労はしない。いや、否定はできないだろうか。
エレノア殿に頑張ってくれと声を貰った私は、先程の手合わせの前に千人長に勝っていた。
恥ずかしいところは見せられないと、普段よりも気合が入った。私がその千人長に勝ったのは初めてのことで『強くなったな、ヴァルター。剣筋がアドルフに似ていた』と声を掛けてくださった。
本当に千人長は強い方であり、目標としている者が多いのだ。そんな彼から有難い言葉を頂けたのはアドルフ殿のお陰だろうか。それともエレノア殿のお陰なのか……――よく、分からない。
ただひとつ。はっきりとしていることは、またエレノア殿の顔が見たい。声が聴きたい。笑っている姿を見たい……という気持ちがとめどなく溢れてくることだ。一ケ月に一度、彼女の屋敷に行くだけでは物足りず、なにか理由を付けて私は屋敷を訪ねている。今日のことも、頂いた菓子を理由にして朝に向かってしまった。
しかし、遠慮しつつありがとうございますと告げた彼女の顔が綻んでいた。私は彼女の悲しそうな表情を多く見ている。ハンスを生み育てられるかと悩んでいる姿も。
始めた商売が軌道に乗るかと不安になっている姿もみてきた。だから――。
「――ヴァルター、俺たちとも手合わせをしてくれよ!」
ふいに仲間からの声が掛かって我に返った。
「ああ、分かった」
どうにもエレノア殿のことを一度気に掛けてしまえば、思考の海に落ちることがある。
騎士たる者、常に周囲に目を向けていなければならないのだが……――これが誰かを好きになるということかもしれない。
初めて誰かを好きになった私は気持ちの処理の仕方が分からず『好きだ』と彼女に叫びたい衝動に襲われたり、振り向いてくれなければどうしようと悩んだり……この一年間、忙しない気持ちに翻弄されていた。
「始め!」
「よっしゃ、いくぞ、ヴァルター!!」
けれど彼女はアドルフ殿の元奥方。邪な気持ちを抱いてはならないと、木剣をぎゅっと握りしめる。
「痛てぇ! ヴァルター、手加減してくれ!!」
眼前で上がった大声に私はまたはっとした。考え事に気を取られ打ち込みの力加減を誤っていたようだ。目の前の彼は少し涙目になりながら木剣を構え直す。私も上の空で手合わせの相手を務めるのは礼儀に欠けることだと、木剣を握り直して深く大きく息を吐き前を向いた。
「すまない……集中力が途切れたようだ」
「良い目になったな! それじゃあ、いくぞ!!」
一歩、二歩と彼が私に迫ってきた。私が彼の隙をつける場所は、手、足、脇腹……――そこか。肉付きのよい太ももを狙って私は木剣を操る。両手に伝わる鈍い衝撃と同時。
「っ!?」
仲間の動きが止まった。そうして『参った』と彼が声を上げる。お互いに礼を執れば、手合わせを見ていた仲間二人が私を見て肩を竦めた。目の前の仲間に『悪い』と告げた私は、彼と共に二人の下へと向かう。
「今日のヴァルターは浮き沈みが激しいわね」
「む。なにか悩んでいるのか? 独身仲間として話を聞いてみようか」
「逆にお前が落ち込みそうだけれどな!」
三人は昼を食べに行こうと声を上げた。私がエレノア殿に向ける気持ちは恋である。恩師の元妻に恋をするなど……――アドルフ殿に顔向けできないのではないかと、晴れた空を見上げる。
「ヴァルター、行くぞー!」
「分かった」
呼ばれた声に私は歩を進めていく。今はただ、騎士団のしきたりを守るためと己に言い聞かせて、エレノア殿に会いに行こうと。
◇
お昼の時間が随分と過ぎていた。休憩をしようと私とトルーデとロッテは食堂に集まってお茶を飲んでいる。側ではハンスが端切れで作った玉を蹴っていた。
今朝、ヴァルターが差し入れてくれたクッキーを茶請けにしている。白いお皿の上に置かれたクッキーはいろいろな味がついているようだ。ロッテが顔を綻ばせながら、クッキーを食べている。口の中のものを嚥下したロッテは私の方を見た。
「美味しいです!!」
「良かったわ。次にヴァルターさまがこられた時に、一緒にお礼を伝えましょうね」
「はい!」
美味しいと行列のできるお店のクッキーなので、評判通り味はとても良かった。トルーデも美味しいようで、お皿の上の手がどのクッキーを取るべきか迷っていた。
ヴァルターは甘い物に興味がないようなのだ。だから、なにか別の彼の好きな食べ物を用意できないだろうか。しかし男性の好みというのはどんな物だろう。食べ物を頂いたのだから、食べ物でお返しする方が良いはずだと私はまずロッテに視線を向ける。
「ロッテは男性が好みそうな品は分かる?」
「難しいです。アントンさんとゲオルグさんはお酒をよく飲んでおりますが……」
うーんとまだ悩んでいるロッテから私は少し考え込んでいるトルーデへと視線を向けた。
「お酒のアテは如何でしょう? 豆類であれば、甘い物ではないですし。チーズやハムでもよろしいのでは?」
私はたしかに良いのかもしれないと頷いた。ヴァルターは飲酒に問題ない年齢だ。貴族として夜会に参加しているならお酒を嗜めるはずだ。男性貴族の付き合いとして、飲めなければ『アイツは下戸だ』と噂が回る。
私が社交界に関わることがないため、ヴァルターの事情を知る由はない。ただ無理に飲んでいる可能性もあるから、次の機会にそれとなく聞いてみよう。少し考えこんでいれば、私の服を誰かに引っ張られていた。
「かか、ちょーらい!」
ハンスが私の足下で指を咥えて見上げていた。
「みんな食べていたら、欲しくなるのは当然よね。ハンスはどれが良いかしら?」
私はハンスを抱き上げて、お皿の上のクッキーが見えるようにした。ハンスは嬉しそうに『きゃー!』と声を上げて、両手を伸ばしている。
「全部は食べられないわよ。私たちもこれで終わり」
すると横にいるロッテが凄く残念そうな顔になった。また後で食べる機会を設けるつもりだが、ロッテには足りなかっただろうか。トルーデはそんなロッテを見て苦笑いを浮かべている。ハンスは眉間に皺を寄せているから、ひとつしか食べられないことを理解したようである。悩みに悩んだハンスが『こりぇ!』と大きく声を上げて指差した。
「苺のジャムが乗ったクッキーね。少し待っていて」
私はそう告げてハンスを床に下ろして、クッキーを四分の一に割った。
「ご飯が食べられなくなるから、一枚だけね」
「あい!」
ハンスは機嫌良く片手を挙げたあと四分の一に割ったクッキーを手に取る。少し騙しているが、ハンスは気付いていない。クッキーの破片を落としながら必死に食べているハンスを見た私たちは顔を見合わせた。
「エレノアさま、お客さんっスよー」
食堂の扉から顔をだしたゲオルグがこちらに歩いてくる。
「ハンス坊ちゃん、美味いですか?」
ゲオルグはハンスに声を掛けながら、代筆屋にお客さんがきたと教えてくれた。
「ありゃ。聞こえないほど、美味いみたいっスねえ」
ハンスを見下ろすゲオルグが片手を腰に当てる。私はトルーデとロッテにハンスの面倒をお願いして食堂を出た。私の後ろをついてくるゲオルグに『男の人が欲しいものってどんなものかしら?』と聞いてみる。
「どういうことっスか?」
「今日の朝のお返しを考えていて」
私の声にゲオルグが目を見開いて、歯を見せながら笑う。
「おお、そりゃ大事なことっスねえ!」
「大袈裟にするつもりはないの。良ければ、アントンにも考えて欲しいと伝えておいて」
私の言葉にゲオルグが分かりましたと告げる。そうして応接室で待っていてくれたお客と私は、手紙をどう記すかを決め一件の仕事を終えた。
ヴァルターに対する気持ちに私は気付いている。次の幸せを手に入れて欲しいとアドルフに願われているけれど……裏切りのようで、今以上の感情を抱くことに躊躇していた。だから、今以上に気持ちが大きくならないようにと、神へ祈りを捧げるのだった。




