023:イダと修繕完了と思い出
ヴァルターが差し入れてくれた卵はトルーデにより美味しい卵料理に変わっていた。翌朝はスクランブルエッグになっていて、パンとハムと一緒に頂いている。ヴァルターが屋敷に訪れた時にはお礼と卵の感想を伝えようと決め、また日々が過ぎていく。
イダが仕事に加わって一週間が経つと、慣れてきたのか一日、二、三枚の服を持って帰っていたのだが、今は四、五枚を持って帰ってくれている。そのお陰か、騎士服の修繕と老人の形見の衣装の直しの進み具合が早くなっていた。私は以前より修繕の仕事は減らしており、ハンスとの時間が増えていた。
形見の服を正式に預かってから三週間が過ぎた頃、形見の服の修繕が終わり、騎士服の修繕も残り数着となっていた。
お昼前、応接室でトルーデが凄く満足そうに、机の上に広げた形見の衣装を見下ろしている。その横ではロッテが感嘆の声をあげそうなほど、キラキラした目を形見の衣装に向けている。
老人の奥方が纏っていた衣装は橙色のワンピースだ。形見の衣装にどんな思い出が詰まっているのかは聞いていない。聞けば、良い方にも悪い方にも仕事に支障が出ることがあるだろうから。ただ老人が虫食いの穴がある衣装を凄く残念そうに見ていたことだけは事実だった。
私は店の主人としてねぎらいの言葉を掛けるべく半歩踏み出す。
「お疲れさまです、トルーデ」
「いえいえ。私は普段通り仕事を成したまでです」
トルーデは普段より自慢気な顔になっている。事情が事情だったから、気持ちが籠っていたのかもしれない。
「少し早いですが、お爺さんにお知らせしないとですね!」
ロッテはぐっと拳を握り込んでいた。イダにも屋敷にきたら、知らせなければならないだろう。仕事仲間だから、誰がなにをどんな仕事をしているかは情報共有している。
彼女は早く手渡してやりたいと口にしたし、ゲオルグも修繕の進捗を凄く気にしていた。アントンは話を知っているものの私たちには口を出さず、代筆屋青い鳥の代読業と一言代筆に屋敷の警備に注力してくれていた。
アントンは過去、騎士団に勤めていたそうだ。ある時、怪我で退団したとも聞いている。騎士として報告書を提出していたから、一言であれば問題なくできると教えてくれたのだ。長文になると、情景や感情を乗せることが苦になるらしい。事実だけを羅列した手紙であればいけると口にしていたものの、それを望むお客は訪れていない。
応接室の扉の向こうからノックの音が鳴る。どうぞ、と私が声を上げると扉がゆっくりと開いた。
「邪魔するよー」
「イダ」
扉から、イダが修繕した服を持ち、すたすたと応接室の中に入ってくる。修繕の仕事を負うようになったイダは以前より、トルーデとロッテ、アントンとゲオルグとよく話している姿を見る。
四人も仕事仲間になったイダを受け入れてくれ、楽しそうに話をしていた。性格の不一致から剣呑になる可能性もあったけれど、イダの明るい性格はみんなに受け入れやすかったようだ。私もハンスのことを信頼して任せているし、本当にイダは私たちにとって大切な一員となっている。
「はい。昨日持って帰った分」
「ありがとうございます。確認しますね」
「ああ」
イダが渡してくれた衣装を受け取り、私は机に広げた。トルーデも一緒に確認をして、手早く済ませる。全て売り物になると判断した私は、用意しておいた硬貨を棚から出した。
「五枚分の修繕代です。受け取ってください」
「ん。ありがとねー!」
イダは硬貨の入った袋から取り出して、一枚、一枚、数えていく。私が数え間違いをしていることもあるだろうから、目の前で数えてくれるのは有難い。そうしてイダは数え終えて大丈夫と告げ、私は少しの疑問を投げる。
「イダ、無理はしていないですか?」
私に言われたくないだろうけれど、雇い主としての確認である。家に戻ったイダがどうやって時間を見つけて作業をしているのか、私には全く分からないのだ。五人の子供の面倒をみながら、繕い物をするなんて信じられない。私はハンス一人で持て余しているというのに。
「大丈夫。終わらなきゃ、納期伸ばしてもらってるでしょ!」
「分かりました。今日の分はどうしますか?」
ふふんと笑ったイダは私の言葉に『あ』と声を上げた。
「ちょっと今日は止めておく。近所の人が寝込んじまってね。子供、預かってんのさ」
「イダも私のことを言えないのでは……」
イダの言葉に私はつい、口答えのようなものを言ってしまう。ご近所の子供といえど、預かれば責任が生じるのではないだろうか。なにかあった時はどうするのだろうかと私は眉間に皺を寄せた。
「あたしは無理していないもの。できる範囲であたしが気になることを、気に掛けているだけさ」
彼女は事もなげに言ってのける。もしかして私が気にし過ぎなのだろうか。集合住宅に住んでいるなら、ご近所同士の付き合いがあると聞く。商家出身の私には少し分からないことだったのかもしれない。
「それじゃあ、あたしはハンスに乳をあげるから!」
そう告げたイダはベッドで起きているハンスに『上手に飲めるかなー?』と言いながら、慣れた手つきで抱き上げる。その様子を見ていたトルーデは『元気な方ですよね』と微笑み、ロッテは『好敵手にいろいろ負けているかも』と肩を落とすのだった。
――三日後。認めた手紙が届いたようで、老人が屋敷を訪れた。
応接室に通された老人はマネキン――不要になったと聞き、安く買い取った――に着せた橙色のワンピースを見て、信じられないようなものを見る目になっていた。
ゆっくりとマネキンへ近づいた老人はワンピースの襟にそっと手を触れ、目尻に涙を溜めている。応接室に一緒に入っていた私とトルーデとゲオルグは暫く黙っていると、彼はマネキンから手を話て私たちの方へと振り返った。
「すまないね。確認も取らないまま、触れてしまったよ」
「いえ。貴方のものですから、お気になさらないでください」
苦笑いを浮かべる老人に私はゆっくりと左右に首を振った。そうして私は老人に席を薦めると、丁度ロッテがお茶を持ってきてくれる。机に置かれたティーカップからは湯気が立っていた。
「先程、近くで見せて貰ったが、納得のいく仕上がりだった。君の店に任せて良かったよ。思い出の品だ。雑な仕事をされては困るからねえ」
そうして老人は『いただこう』と告げて、ティーカップの柄を持った。
「ああ、良い香りだ」
紅茶の香を楽しんだ老人はゆっくりと一口嚥下する。丁寧な動作でティーカップをソーサーの上に戻せば、私に真剣な目を向けていた。
「頼んだ品は私が初めて好いた人に贈ったものでね。彼女もずっと私との思い出だと言って、何年も捨てずに持っていてくれたんだ。それを私は大事に仕舞い過ぎていたのだろうね」
気付けば虫に喰われていたんだよと、老人が肩を落とす。
「だから、告げられた料金だけを君たちに支払うのは忍びなくてねえ」
どうしたものだろう、と老人が言いたげになっていた。するとゲオルグが壁際から身を乗り出す。
「じゃあ、修繕した衣装を売っている店が広場にたまに出てるって、近所の人に触れ込んでくださいよ!」
これなら爺さんにも負担が掛からないっしょとゲオルグが続けた。私もゲオルグの意見に続こうと、前に腰掛けている老人と視線を合わせた。
「そうですね。まだ出店が不定期ですので知名度は低く……徐々に店のことが広がれば、私たちも嬉しいですから」
「なるほど、承知した。それなら私にもできる」
うんと頷いた老人はまだ湯気の立っている紅茶を飲む。私はトルーデにマネキンから衣装を外すようにとお願いする。はいと告げるトルーデはマネキンに近づき、丁寧に衣装を外し老人の前に差し出す。
「ありがとう。こちらはお代だ。受け取って欲しい」
「中を確認させて頂いても?」
老人から代金を受け取った私は中身を確かめて良いか問うてみる。老人は当然と言わんばかりに目を伏せた。封筒に入っている硬貨を数えて、間違いがないことを伝えた老人に私は衣装の保管方法を告げる。被服店に赴けば、虫が嫌いな臭いを発する匂い袋があること、偶に風通しと日干しをして欲しことを伝えた。以前、私は匂い袋を作って売ろうと考えていたものの、まだ手を付けられる余裕はない。
そうして私たちは老人が屋敷を去って行く姿を玄関で見送る。無事に請け負った仕事が一件終わった私とトルーデとロッテは、なんとも言えない気持ちになっていた。
老人の奥方の形見の衣装だと分かっていたけれど、修繕したワンピースを愛おしそうに見つめる姿はくるものがあった。私も大切にしている品がいくつかある。机の上の姿絵や婚姻指輪を失くしてしまえばショックを受ける。だから……傷を負っていた老人の心が少しでも癒えたのなら、私たちは仕事を受けた価値がある。
すると庭の奥からアントンが姿を現して、小さくなった老人の背を見つめた。
「良かったですね」
「アントン。見ていたなら、応接室へくればよかったのに」
「ゲオルグがいますから」
私が向かえば客人が緊張してしまうとアントンが苦笑いを浮かべる。たしかにアントンが応接室に入れば、少し手狭というか、威圧感が高くなるというか。どう答えたものかと私が迷っていると、ゲオルグが背を伸ばしていきなり頭を下げた。
「エレノアさま、トルーデさん、俺の我が儘を聞いて貰って、ありがとうございました!」
ゲオルグなりに勝手に口を出してしまったことを反省しているのだろうか。私も失敗することがあるし彼を責められない。
「良いのよ。ゲオルグのお陰で今回の仕事を受けて、終わらせることができたもの」
少しずつみんなで進んでいこうと告げて、次は練習着の修繕を終わらせようと声を上げるのだった。




