022:結果と鶏卵と予定外
イダが繕い物を終えたのは三十分後だった。
ロッテに呼ばれた私は応接室を目指す。そこには大仕事を終えたような表情のイダと繕い物を続けているトルーデがいた。そうして私はイダから破れていた服を受け取って、服を机の上に置いた。近くで見れば縫った跡が残っているけれど、少し離れれば直したことは分からない。縫い目も綺麗だし、少し大雑把なところがあるイダなのに少し意外だった。
トルーデと私がお互いに視線を合わせると、イダが『なんだよ、あたしが綺麗に直したことが変なのかい!』と小言をロッテに向けている。ロッテはどうしようと答えかねているようで、あははーと乾いた笑いを出していた。
「問題ないかと」
「そうね。売り物になっている」
トルーデと私が上げた声を聞いたイダは側にいたロッテをぎゅっと抱きしめた。彼女の胸にロッテの顔が沈み込み、顔が見えなくなっているのだが大丈夫だろうか。イダは凄く喜んでいて、ロッテが息ができないことを分かっていない。
「イダ。嬉しいのは分かるけれど、ロッテを離してあげて」
「ん? あーごめん、ごめん、ロッテ! こういうこと初めてだからさ、つい嬉しくって抱きしめちまったよ」
イダから離れたロッテはすぐさま大きく息を吸い込んだ。
「く、苦しかったです」
「ロッテはすっぽり収まってくれるからさあ」
息を整えているロッテの肩をイダがほんの少しだけ申し訳なさそうにポンポンと叩いている。たしかにロッテは小柄だから抱き心地は良さそうだ。そんな光景を見ながら、さっそくイダに買い取った衣装をお願いした。
「うん。一晩なら二、三着ってところだねえ。少なくて申し訳ないけれど」
「いえ、十分助かります」
イダが手に持ったものは三着だった。おそらく彼女にとって無理のない範囲なのだろう。
「慣れるまでは難しいのとか、たくさん持って帰るのは止めとく。エレノアも自分ができる範囲を掴めると良いねえ」
それじゃあ、またあとでと告げたイダは一旦家に戻って行った。少し騒がしかったけれど、良い助っ人が現れたと私はトルーデと話しているとロッテは鼻息荒くして席に戻った。
「好敵手現る、です。私も頑張らないと!」
握り拳を作ったロッテに私はそんなに気合をいれなくても良いのにと言いたくなる。でもロッテにはイダの存在は良い刺激になるかもしれない。今は事業を大きくすることは考えていないけれど、将来大きく軌道に乗れたならばと私は願うのだった。
◇
おーい、ヴァルター!
私を呼ぶその声はいつもの仲間の声だった。しかし。
――エレノア殿が倒れたらしい。
仲間の第二声は私に衝撃を与えた。今日、彼が巡回中にエレノア殿の屋敷の近くで声を聞いたそうだ。
『エレノアが昨日倒れたからさ、今日は早めに屋敷へ行ってくる!』
偶然、彼が拾った声ではあるが、エレノア殿を指しているのは間違いない。倒れたと聞いた私は居てもたってもいられなかった。直ぐに屋敷へ駆けつけたい気持ちが暴れて、どうにも落ち着かない。仲間たちには『倒れたなら、急に屋敷へ訪問しても迷惑が掛かるだけ』と散々諭された。
次の日。私は急遽、時間を空けてエレノア殿の屋敷を訪ねることにした。エレノア殿に無理をさせる気はなく、ただ屋敷の者に彼女の様子を伺うだけと決めて。
私は騎士団の隊舎を出て商業区に足を運ぶ。なにか滋養に良い物はないかと医務官に聞けば、鶏卵でも差し入れろという助言を貰えた。商業区にある広場で、私はきょろきょろと視線を彷徨わせた。少し場違いな騎士団の衣装は目立つのか視線を集めている。
「鶏卵はありますか?」
という私の声に店主はぎょっとした表情になる。相手も商売人で平静を取り戻していた。周りよりも背の高い私に驚いたのだろうか。しかも騎士服を纏っているから不正販売を取り締まっているとでも考えたのか。
私はなんでもない体を装って、鶏卵を受け取った。そうして王都のはずれにあるエレノア殿の屋敷を目指す。少し距離があるものの、彼女が心配でいつもより時間が掛からず辿り着く。門扉の前で声を上げるか迷っていれば、アントンが私に気付いた。
「騎士殿、如何なされました?」
「エレノア殿が二日前に倒れたと聞いて、様子を伺いにきました。彼女は大丈夫でしょうか」
「……少し、お待ちを」
アントンを引き留めようにも、彼はさっさと玄関へと歩いて行った。彼にエレノア殿の容体を聞いて、鶏卵を渡すだけで良かったのに、という言葉が口から出そうになる。
ただ、彼女は応対してくれるのだろうか。それとも寝込んだままなのか。どんどん不安になる心を落ち着かせるようにと、良い医者はいるかと頭の中に羅列していく。だが私は騎士として働いている身だから市井にいる医者は知らない。
「ヴァルターさま? 如何なさいました? 約束の日はまだ訪れていませんが……」
琥珀色の目を見開いたエレノア殿が玄関から門扉へと小走りで駆けてくる。
――……あれ。
倒れていたのではないのだろうかという疑問と、無事で良かったという安堵が湧いて出てくる。少し拍子抜けした私は次の言葉を紡げない。ただ彼女は私の言葉を待ってくれていた。だからなにか言わなければと私は口を動かす。
「その……偶然、貴女が倒れたと聞いた仲間がいて。それで訪ねてみたのですが、元気であれば安心しました」
「大変申し訳ありません。少しだけ体調を崩してしまい……十分な睡眠と食事を取ればこの通り回復いたしました」
今はもう元気ですよ、と彼女が微笑んだ。
「せっかくこられたのです。中に入りませんか?」
彼女の提案は私にとって、とても魅力的なものだ。
「いえ。エレノア殿は病み上がりです。それにただこちらを届けようとしただけなので。貴女に直接渡すことができて良かった」
けれど私は、それでは迷惑が掛かると断る道を選ぶ。卵が入った篭を差し出せば、彼女は琥珀色の目を見開きながら篭の底を両手で持った。
「医者から、滋養に良いと聞いたので……では、また。約束の日に」
私は言い終えた後、逃げるように踵を返して門扉から離れていく。己の顔が熱くなっていることを隠すように。
◇
イダが今日納品してくれたことにより、今日の作業に余裕ができている。依頼の練習着も形見の服の修理も順調に進んでいた。私が少し体調を崩してしまったのは予想外だったけれど、イダからの提案は神からの贈り物だった。
一年近く、ヴァルターが屋敷に訪れたのは、きっちり一ケ月に一度という日を守っていた。
だというのに、彼は私が倒れたと聞き、翌日に飛んできてくれたようである。どうして知り得たのか気になるものの悪い気はしなかった。直ぐに戻っていったヴァルターに少し寂しさを覚えながら私は玄関で立ちすくみ、小さな篭の中に入っている卵に視線を落とす。
「卵って滋養に良いんだ……母さんが食べていたら……」
少し状況は変わっていただろうかという言葉を私は飲み込んだ。考えても答えの出ない後悔に沈みたくない。むしろ良いことを聞いたと考えようと前を向き、私は応接室にいるトルーデに声を掛ける。
「トルーデ。ヴァルターさまから卵を頂いたの。今日の夕飯に使えるかしら?」
「まあ、十個も!」
「私が倒れたと聞いて、お見舞いにきてくれたけれど直ぐに戻っちゃった。お礼がてら、中に入ってお茶でもと誘ってみたんだけれどね」
トルーデは私が持つ籠の中の卵に視線を落として、目を輝かせている。卵は贅沢品というわけではないが少し値段が張る。貴族やお金持ちの人はなにも気にせずに食べているけれど、庶民は家計を考えながら買わなければならない。ヴァルターが卵を十個も差し入れてくれたことに感謝しなければ。
「お優しい方ですね。では夕食と明日の朝食に使ってしまっても宜しいでしょうか?」
「ええ、お願い」
トルーデに卵を渡して、私は自室へと戻る。赤子用のベッドで眠るハンスの顔を覗きながら、私は小さく呟いた。
「どうして、飛んできてくれたのかしら?」
アドルフから猛アタックを受けていた時期に私は風邪を引いて寝込んだことがある。その時も何故かアドルフが話を聞きつけて、すっ飛んできてくれたなあとぼんやりと思い出した。
後日、アドルフに礼を伝えれば『好きな女性が倒れたなら、いても立ってもいられなくなるのは当然のこと。体調が戻って良かった』と口元を伸ばしていた。懐かしい記憶が蘇り私は撫で心地の良いハンスの頭に手を伸ばそうとして、ふと気付く。
「まさか……――夫を亡くした女に興味を持つ男性なんていないもの」
それにヴァルターの年齢は私より四歳下だ。仮にヴァルターが私に惚れていたならば、アイゼンベルク伯爵家に話を通すことになる。きっと年上の女を選ぶより、同じ年齢か十代の女の子と添い遂げろと言われるに違いない。仮に伯爵家からヴァルターに許可が降りたとして、私もハンスの世話と仕事のことで手一杯だから告白されても断る道しかない。
「私はハンスを育て上げて、みんなと仕事を盛り立てていかなければならないのだから」
ふうと私は息を吐いて、ハンスの頭を撫でる。心の奥底で芽生え始めている感情に蓋をして。




