002:義両親と離婚と実家
2026.10.07 2/4回目
私の夫であるアドルフの戦死の報を受けた義両親は、ミュラー男爵領から急いで王都入りを果たしタウンハウスを訪れていた。事前に知らせを受けていた私は義両親を受け入れる準備を進める。マーサが私の体調を気遣ってくれ、家宰も私に負担が掛からないようにと動いてくれていた。まだ悪阻が始まった初期段階である。
流産する可能性もあるから、私はマーサにも家宰にも、そして義両親にも妊娠していることをまだ伝えていない。妊娠について告げるかどうか迷っていれば、義両親はタウンハウスの来賓室へと案内されていた。
私はすうと息を吸い込んで覚悟を決める。
義両親がなにを考えているのかはなんとなく分かる。アドルフと私の間には子を儲けることができなかった。その事実は貴族として重い意味を成すことになる。周りは戦争が終わったと喜び合っているのに、夫を失くした私は悲しみに暮れる間もなく、いろいろなことに振り回されている。
ただ一つ、アドルフの死に深く悲しむことができないのは救いだったのかもしれない。私は大きく息を吐いて、ドアノブに手を掛けた。そうして義両親の前まで進んで礼を執る。義父はそんな私を制して、着席するようにと促す。彼の隣には義母が泣きはらした目で腰を下ろしている。私は指示に従って、対面の椅子に腰を下ろす。
「エレノア、大事な話がある」
前置きの挨拶もないまま義父は本題に入るようだ。
「はい」
了承した私の返事を境に、義父は人払いを命じる。私と一緒に来賓室へ入っていたマーサと家宰に、義両親が連れてきていた護衛は礼を執って部屋の外へと出て行く。
「本題から伝えよう。エレノア、君をミュラー男爵家の籍から外したい。当主の座はアドルフの弟に任せる。これを――」
そうして義父が胸元から一枚の手紙を私に差し出す。すると義母が涙を流しながら嗚咽を耐えていた。私は差し出された手紙に視線を落とす。そこには『エレノアへ』と書かれた文字が踊っていた。
「……アドルフの字」
勝手に私の口から声が漏れていた。筆圧の高い少し乱れた文字はアドルフが記したものだと直ぐに分かった。戦場からマメに届く彼からの手紙に何度も目を通していたのだから間違いない。
「読んで、くれないか?」
少し言葉が詰まった義父の声に戸惑うも、意を決して私は手を伸ばす。震える手で中身を取り出して、記された文字を目で追っていく。
内容は、日々悪化していく戦況を鑑みたアドルフが、私との間に子を儲けることは酷なことだと悩んでいたこと。だから避妊をしようと、アドルフ自身に魔法を施していたこと。もし、もし仮に王国が勝利すれば、戻ってから私を説得して子を成そうとしていたこと。
婚姻して五年が経っても私が子を"成さない"理由をミュラー家には伝えていたこと。私を一人残すことになるかもしれない。だから、もし俺になにかあれば……君には俺のことだけを考えて生きて欲しくないと。
そして最後にこの手紙を君が読んでいたならば――
――愛していたよ、エレノア。君は次の幸せを手に入れてくれ。
決別の言葉が記されていた。その最後の一文字は何故か滲んでいる。そして、私の涙でアドルフが記した下手糞な文字が滲んでいった。どうしてアドルフは戻ってこないのだろう。どうしてアドルフが戻ってこないというのに国は勝利に酔っているのだろう。
考えても仕方のないことが次々と頭に浮かんで、不条理な世界を恨んでしまいそうになる。ただ人払いを済ませた部屋で誰も私に手を差し伸べる人はいない。だから自分の頭で考えて、義父に答えを出さなければと持っていた手紙を膝の上に置き私は前を向く。
これで私の胎に子がいることは言えなくなってしまった。アドルフは私のことを考えて、自身に避妊の魔法を施していた。どういうわけか私は今アドルフの子を成しているが、義両親は私が子を成すことがないと信じ込んでいる。
それに――まだこの子が無事に生まれる保証すらない。
「エレノア。君の考えは?」
眉間の皺を深めた義父の視線が顔を上げた私に刺さっている。きっと彼は自身の意見を変えることはないのだろうと私は悟ってしまった。ミュラーの名を捨てるということは、アドルフの妻ではなくなるということだ。
でも、アドルフの子を……跡取りを残せていない私はミュラー家にとって価値はない女だろう。もし私が商家に嫁入りをして、商いを手伝っていれば話が違っていたかもしれない。もしもなんて過去と未来は存在しないと、私は一つ頷いた。
「お義父さま、お義母さま、今までお世話になりました。ミュラー家の籍を出て私は実家に戻ります」
私はこうするしかないだろう。ミュラー家の籍を出た私に実家で居場所があるか分からないけれど、頼れるところは家族の下である。義両親は既に私がミュラー男爵家の籍から外れる手筈を整えており、あとは私の返事次第であったようだ。
随分と手が早いと訝しむものの、もう彼らとは縁を切る関係だと私は膝の上にあるアドルフからの手紙に視線を向ける。この手紙は私が持っていても良いのだろうかと、ふと顔を上げれば、義父が膝の上に置いている手をぎゅっと握り込む。
「本当に済まない。だが亡きアドルフの意思を私は叶えたい。不誠実なことは承知しているが……君にはミュラー家の未亡人として残りの人生を過ごすには長すぎる」
そう告げた義父は私に金貨三十枚の支給と、三年間は毎月、金貨一枚を送ることを約束してくれた。どうして義両親はそこまで私を支援してくれるのか分からない。意味のないものになりそうだと私は自重交じりの笑みを無理矢理に浮かべた。
「ご厚情、感謝申し上げます。ただ一つ私から、ミュラーさまにお願いがあります。アドルフ……アドルフさまの遺品となる婚姻指輪を譲って頂きたく」
これだけは手元に置いておきたいと私は義両親に願い出る。すると義両親は顔を見合わせて、こちらを向いて頷いてくれた。良かったと婚姻指輪の箱に私は視線を向けた。
これを持って、我が身を投げるのも一興かもしれない。そうすればきっと楽になれる。父親のいない子を生まずに済むと考えていれば、いつの間にか義母が私の横に移動して腰を下している。すっと伸びてきた義母の腕が私を包み込んだ。
「エレノア。アドルフの後を追っては駄目ですよ、絶対に」
憔悴しているはずの義母がはっきりとした意思を持つ声で私に語り掛け、アドルフと同じ緑色の瞳で私を見ている。
「はい」
義母には勝てないと私は返事をして肩の力を抜こうと息を吐いた。死んでしまえば良いという私の安易な考えは彼女に見透かされていたようだ。でも私の中で死なないという道を選ばないという自信はない。ただ義母を悲しませないために、反射的に吐き出した言葉なのかもしれないけれど……――そのまま義父は語り始めた。
既に義両親は私の父にも報告を入れ、話を済ませているそうだ。そして私が戻ってきても良いように準備を始めているそうである。アドルフの両親には全く困ったものだ。これではミュラー家の籍を追い出されてしまったと恨みを抱くこともできない。
私は暫く義母の腕の中で肌の温かさを感じながら、義両親とこれからのことを話し合う。決して、仲違いしたわけではないこと。私はミュラー家の籍から離れるけれど、縁は切れることはないと。そして貴族関係で困ったことがあれば、ミュラー家を頼れば良いと申し出てくれる。
取引としては悪くない条件だろう。ただ人の情としては、身勝手だと憤るのかもしれない。正解は分からないけれど……――お互いに納得をして、私はミュラー男爵家の籍から外れることになった。
――一週間後。
王都で執り行われた戦死者の追悼式に参加をしたり、身の回りの片づけを行っていた。
体調不良を起こしていた私の身には悪阻の症状が現れ始めている。それでも日々は過ぎていき、私は王都のミュラー男爵家のタウンハウスから出て行く準備が終わっていた。五年という月日を過ごした愛着のあるタウンハウスに私は今日別れを告げた。
戦争が始まり屋敷でアドルフと過ごした時間は短いけれど、休暇で戻ってきたアドルフが安らげる場所だと笑っていた場所だ。本当は離れたくはないけれど……もう決めたことだから、前に進んでいかなければ。義母とも生きることを諦めないと約束したから、破るわけにはいかないと玄関ホールに見送りにきてくれているマーサと家宰に私は笑みを向ける。
「奥さま……」
「今までありがとうマーサ。貴族のしきたりに疎い私が貴族社会でやっていけたのは、いろいろ教えてくれた貴女のお陰よ」
お茶会に参加した私に商家の娘だと馬鹿にする人もいたし、アドルフが私を見初めて婚姻を果たしたことで嫌味を言ってくる人もいた。そんな私にマーサは毅然とした態度でいれば良いと、お茶会で乗り切るコツを教えてくれたのだ。
一番効果があるのは、彼女らが発した口撃を平然として受け止められることが屈辱になると。そうして社交界では生き抜いていくのだと。私は恰幅の良いマーサに腕を回して別れの抱擁をした。そして抱擁を解いた私は家宰とも視線を合わせた。
「貴方も頼りない私にたくさんのことを教えてくれて感謝しています。ここで教えられたことを糧にして、これから生きていきますね」
「エレノアさま、どうかご無理をなさらずに」
家宰の声に私は『ええ』と告げれば、マーサが『お体に十分お気をつけて』と声を上げた。そうして私は踵を返し玄関ホールを出て行く。手には大きな革鞄が一つだけ。夜会用にと買い揃えていたドレスは必要ないものとなり、中身は普段着や小物が入っているだけだ。
大事なアドルフの婚姻指輪と、小さな彼の姿絵も一緒に納めている。私自身が身につけていた婚姻指輪も外し、その隣に入れた。
アドルフの本葬儀はミュラー男爵領で静かに執り行われるそうだ。体調不良を起こしているので、領地には向かえないと義両親には手紙で断りを入れている。お腹の子については、結局言えずじまいだ……いつか彼の墓前に立てるようにと願いながら私は家紋のついていない馬車に乗り込む。
王都の貴族街を抜け、高級商店が立ち並ぶエリアに馬車は辿り着いている。その中の一角に私の実家があった。馬車から降りれば、迎えの下働きの女性が私を待っている。
下働きの女性は御者から私の革鞄を受け取り、少し驚いた表情を見せていた。荷物はこれだけかと言いたそうだが、少し逡巡した彼女は御者から離れて私の下へとやってきた。私は御者に頭を軽く下げると、彼もまた頭を下げてミュラー家のタウンハウスへと戻って行く。馬車を少しだけ見送っていれば、下働きの女性が私に視線を向けた。
「お嬢さま、お帰りなさいませ。旦那さまがお待ちでございます」
お嬢さまと呼ばれるのは五年振りだと、私は片眉を上げる。私の実家はミュラー家の伝手を頼り、婚姻前より商売を手広くしていた。父はミュラー家からの打診を飲んでいると義両親は言っていた。果たして父の本心はどこにあるのだろうと私は店を見上げる。
「行きましょうか」
私はそう告げて一歩足を踏み出した。何故、戻ってきたと父に罵倒されるだろうか。カウフマン家の恥晒しと罵られるだろうか。そして私が子を成していると知った父はどう出るだろうかと悩みながら。




