019:発見とやってみたいこと
ハンスの面倒を見つつ、ロッテの読み書きの勉強に、お店のこと、依頼のこと。
騎士から受けた急ぎの三着は二週間前に引き渡しを済ませて、あとは残りの三十着の修繕に取り掛かっていた。買い取った衣装を直して再販売を行っている露店に出す頻度は少し落としている。代筆屋の仕事も一番最初に受けた方が再利用してくださっているし、他のお客さんも増えている。たった一文を送るために青い鳥に足を運ぶ人もいた。届いた手紙を読んで欲しいと乞う人もいる。
意外だったのはアントンが手紙を読む際に凄く良い発声をすることだろうか。何故か彼の低い声は耳に心地良く、聞き取りやすいのだ。手紙をスラスラ読めるためか、口に出している先の文章を読み、感情も乗せてくれていた。
アントンとお客のやり取りをこっそり覗いていた私とロッテは本当に意外だと感心していれば、隣の彼女が声をあげる。
『アントンさん、見た目は凄く怖いのに凄く意外ですよね』
ロッテの無邪気な言葉は、自身の強面を認識しているアントンに届いたようである。
『っ!』
手紙を読んでいる声が一瞬だけ止まって、後は何事もないように読み進めていた。無遠慮に感じたことを口に出すロッテの癖も直さなければなと私が目を細めていたのが少し前。
もう直ぐ、またヴァルターが屋敷に顔を出す頃だった。
どたどたと廊下を走る音が聞こえて、ゲオルグが応接室で作業をしていた私たちの下へ息を切らしながら顔を出す。
「エレノアさん! トルーデ!! 見つかった! 見つかったんスよー!!」
部屋に入ってきたゲオルグは机の上に紙袋を丁寧に置いて中身を出した。
「これなんすけど、いけるっスか!」
出してくれた布と糸に視線を降ろせば、老人が手にしていた形見の衣装と凄く似た色である。私が横に顔を向ければ『これで依頼が受けられますね』とトルーデが口にする。ロッテも『これでお爺さんの希望が叶うんですね! 本当に良かった!』と安堵の息を吐いていた。ゲオルグは私たちの声に照れ臭そうに鼻の下を人差し指で掻きながら、反対側の手をズボンのポケットに突っ込んだ。
「エレノアさんが俺のために布と糸を持たせてくれたお陰っスよ。店の人に俺が情報を詳しく口にする必要がなくなったっスからね!」
そう告げたゲオルグはポケットから形見の服と似た色の布と糸を出す。いやー助かったと告げるゲオルグに今度は老人に知らせなければと口にする。老人の住所は聞き出しておいたから、見つかった旨の手紙を書いて送ろう。
代筆屋の腕を見せる時がきたかもしれない。ただペンダコのある老人に私はきちんと手紙を記すことができるだろうか。少し不安になりながらもゲオルグとロッテは『早く知らせましょう!』と私を急かす。
はいはいと苦笑いを浮かべて部屋へと戻った私は手紙を認めた。そうして私は郵便取扱所に向かって欲しいとロッテにお願いすれば、我が儘を通したのは俺だからと横からゲオルグが手を差し出す。公私は分けるべきと考えるものの、折角申し出てくれたこと。練習服の修繕と通常の作業でロッテを失うのは手痛いと、私はゲオルグにお願いするのだった。
そうして数日が過ぎれば、屋敷に老人からの丁寧な手紙が届く。
老人からの手紙は誰が読んでも問題ない内容のため、勉強がてらにとロッテにも目を通して貰った。応接室で作業をしていた手を止めたロッテは真剣な顔で手紙を読んでいる。
「これで話が進みますね! 本当に良かった!」
へらりと笑うロッテに私とトルーデも自然と笑みが零れていた。老人の依頼も入るのであれば、今ある仕事を少しでも捌いておこうと三人で顔を見合わせる。
黙々と作業を続けつつ、ハンスに授乳をしたり、おむつを替えたり、寝たのを確認したり、顔が布団で覆われて息ができなくなっていないかと確認していると、イダが屋敷にやってきた。応接室を覗くイダは私たち三人を見渡して片手を腰に添える。
「ねえ、あんたたち、明らかに疲れてないかい?」
イダの言葉に私たち三人は首を傾げる。忙しくしていたつもりはないし、やるべきことをやっているだけ。私たちの様子を見たイダはありありと息を吐いた。
「手を抜くってこと知らなさそうだものねえ……まあ、疲れていないって言うなら良いのさ。じゃあ、あたしはハンスにお乳をあげるから」
応接室にドカドカと足を進めたイダはハンスを上手に抱え、立ったまま器用にお乳をあげている。でもまあ、たしかにトルーデとロッテにはいろいろとお世話になっているから、休日を増やしても良さそうだと私は考えを改めるのだった。
――約束の日がやってきた。
手紙が届いた数日後、老人が屋敷に顔を出す。手には形見の衣装を抱え、応接室で『よろしくお願いします』と凄く丁寧に彼は頭を下げた。形見の服は何か所にも虫食いがあることと、他の作業もあるからと修理に一ケ月半の時間を頂いた。
手付金を頂き、あとは完成品を見て修理代を払って貰う予定だ。老人は帰り際、形見の衣装との別れを告げるように、じっと見つめて帰路へとつく。本当に彼にとって大事なものだと理解した瞬間でもある。丁寧な仕事を心掛けつつ、少しでも早く老人に引き渡せるようにと私たちは願うのだった。
「お邪魔します。仲間の練習着を修繕していただき感謝いたします……ご無理はなされていないでしょうか?」
ヴァルターたちが訪れてから一ケ月が経っている。律儀にヴァルターは同じ日、同じ時間に今回もやってきていた。けれど、玄関先での開口一番の挨拶がいつもと違っていた。私を見下ろすヴァルターは眉尻を下げている。そんなに顔に出ているのだろうかと私は不思議に感じながら、ヴァルターに視線を合わせた。
「ハンスにまだ手が掛かる時期ですから。疲れているのは仕方のないことかと」
ハンスが生まれて二ヶ月、少しずつ首がしっかりとしてきたけれど、まだまだ安心できない状況だ。世の母親は赤子の面倒を一人で見ていることもあると聞いた。私には協力してくれる人が絶対に必要である。
生活費を出してくれているミュラー家の義両親に父、そしてトルーデもロッテも、アントンとゲオルグもイダも欠かせない人たちだ。偶にこうして様子を見にきてくれるヴァルターも彼らと同じだろう。本当に大丈夫だろうかと言いたげなヴァルターに私は再度声を上げる。
「中へどうぞ」
そうして彼を応接室へと案内した。先程まで作業をしていたから、ハンスは応接室のベッドで寝息を立てている。
「顔つきがしっかりしてきましたね。身体も随分、大きくなりました」
ベッドの中を覗いたヴァルターは大きな声を出してはならないと、いつもの声量より小さいものになっていた。たしかに生まれた頃のハンスと比較すると本当に大きくなった。たった二ヶ月、もう二ヶ月と言ったところだろうか。順調に育っているけれど、なにか起きた時が怖い気持ちは私の中でまだ残っている。でもハンスを身籠った頃よりも不安は解消していた。
「そうですね。ハンスが大きくなれたのは周りの方たちのお陰です。ヴァルターさまにもいろいろと気に掛けて頂き、感謝しております」
「いえ、私は騎士の務めを行っているだけ。それより、騎士団の仲間が貴女に無理を言っていないか心配です」
ヴァルターが屋敷を訪れた時と同じことを口にした。少し言葉の内容は変わっているけれど、私が仕事を請け負い過ぎではないかと彼は気になるようだ。
まさか男性騎士が三十以上の練習着を持ち込むとは予想外だったらしい。たしかに依頼数は多かったけれど、とても良い取引ができている。修繕の時間は掛かってもしかたないと飲んでくれているのだから。本当になんでもないし、大丈夫だと伝えるとトルーデがお茶を運んでくれる。そうして椅子に腰を掛けた私たちは世間話を始めた。
「なにかお困りごとはありませんか?」
またヴァルターが同じ言葉を紡ぐ。本当に毎回同じ言葉を紡ぐものだから、世間話を開始する合図になっていた。
「困りごとはないですが、少し嬉しいことがありました」
私はヴァルターに老人から形見の服の修繕を頼まれたこと、ゲオルグが苦労をして同じ布と糸を見つけ出してくれたこと、そして練習着の修繕も順調に進んでいることを告げる。仕事について他の方に喋るのは如何なものかとも考えるものの、こうして律儀に訪れてくれているヴァルターに対する私なりの誠意だ。
「ヴァルターさまには、お困りごとはないのですか?」
私の言葉にヴァルターは目を二度、三度と開けたり閉じたりを繰り返す。どうやら、いつもと同じではつまらないという私の考えは、見事にヴァルターへと刺さったようだ。私がヴァルターを見て笑えば、彼は困ったなと照れ臭そうにしている。彼の口からはどんな言葉が飛び出すのだろうと、私は少し期待して背を伸ばした。
「困りごとというわけではありませんが、ハンスを抱き上げてみたいという願いがあります……まだ首も座っていないので少し怖いというか」
まさかヴァルターがそんな些細なことを求めていたなんて。アドルフの死を私に伝え、状況を鑑みて伝えるべきこと、伝えない方が良いことを判断できる人なのに、こんな些細な願いを今まで口にできずにいたらしい。何故、そんな小さなことを困りごととして口にしたのだろう。ただ、抱きしめたいと申し出てくれれば良いだけなのに。もしかして今まで遠慮をしていたのかと私は少し可笑しくなる。
「屈強な騎士の方がそのようなことを仰るなんて。私も最初はおっかなびっくり抱いておりましたが、じきに慣れましょう。ゲオルグ、屋敷の者も最初こそあたふたしておりましたが、今では様になっていますもの」
ふふふと私が笑みを深めると、ヴァルターは逆に困っている様子をありありと見せた。
「力加減をどうすれば良く分からなくて」
彼は鼻頭を指で掻きながら恥ずかしそうに教えてくれる。アドルフも生きていれば、今のようなやり取りを私としていただろうか。なんとなくそんなことを考えながら私は言葉を紡ぐ。
「全力で抱きしめなければ平気かと」
「なるほど……しかし今のハンスはぐっすりと眠っています。寝る子を起こすような愚行は避けましょう。では、また一ケ月後に」
お決まりの台詞を口にしたヴァルターは席から立って、応接室を出ようとしている。私は彼を見送ろうとハンスはトルーデに任せた。そうして屋敷の玄関に立ち別れの挨拶をする。次に屋敷にを訪れたヴァルターがハンスを抱けるようにと祈りながら。




