018:老人と布と糸
騎士団のとある男性から受けた依頼と露店で売る商品の手直しを同時に進めている。急ぎの三着は引き渡し予定日より二日前に修繕を終えていた。
私も三着の内、一着を担当させて貰ったのだが、やはりトルーデの腕には敵わないというか。ロッテはまだまだ四苦八苦しつつも、簡単な修繕であれば一人で判断して仕事を捌いている。できないものはできないと言ってくれるので、ロッテを教える身としては凄く楽だった。
そうして騎士団の男性が急ぎの三着を受け取りにきた次の日の夕方のことである。
「エレノアさまー! 爺さん、やっと見つけたっス! 広場の近くに住んでるって言っていたのに、全然遠いところにいるんスよ! そりゃ会える機会はめっきりこないなって……でもまあ、見つけられて良かったっス。爺さん、まだ困ってるって」
ゲオルグが広場の露店から戻ってきて、屋敷の廊下をドタドタと歩いて私の部屋の前でノックしたあとに話した言葉である。凄く嬉しそうにしているゲオルグにアントンが屋敷の中はもっと静かに歩けと諭していたが。私はゲオルグの話を聞かなければとトルーデとロッテを呼んで、ゲオルグから老人の話を聞き取る。内容は以前彼と話したことと大差がない。
「どこの店にも無下に断られるか、値段が高くて直せないって困ってたから、どうにかならないですかねえ?」
ゲオルグが困り顔を浮かべると、トルーデが神妙に口を開いた。
「直して欲しい衣装と同じ糸があればまだ……」
トルーデの最後の方の声が萎んでいった。たしかに綺麗に直したいなら、衣装と同じ色、同じ大きさの糸があれば話の進みが早くなる。屋敷にないのであれば、王都の街で同じ糸が売っている店を探せば良いが根気が必要そうだ。あとは同じ布もあれば希望が見えてくるけれど……あとは依頼者がどの程度直したいのかによるなとゲオルグと顔を合わせた。
「爺さん、明日屋敷に顔を出すって。店主に直接お願いするのが筋だって言うんですよ。頑固っスよねえ」
肩を竦めるゲオルグに私とトルーデとロッテは視線を合わせて頷く。さて、ご老人の依頼の衣装はどの程度の傷み具合かと気にしていると、部屋にいるハンスが『お腹空いたー!』という鳴き声を上げるのだった。
――次の日。
老人が屋敷に顔を出したのはお昼前のことだ。丁度、ハンスの授乳を終えたイダが門扉の所でばったり出くわし、ご老人は彼女によって屋敷の玄関へと案内される。イダは家のことがあるからとさっさと戻って行く。ありがとうと私が伝えると、こちらを振り返らないまま片手を上げて振っている。なんとも彼女らしいと笑みを浮かべて、私は店を訪れた老人と視線を合わせて礼を執る。
「ようこそいらっしゃいました。話はゲオルグから聞いております。本日はよろしくお願いいしたします」
「よろしく頼む、お嬢さん。あまり丁寧な接客は必要ないよ。ゲオルグくんのように気さくに接して欲しい」
ロマンスグレーの髪をした老人が笑う。私は応接室へと案内して、トルーデを呼んだ。ロッテにはお茶の用意を頼み、ゲオルグは気になっているのか同席しても良いかと私に問うために部屋を訪れる。
「爺さん、直ると良いな」
へへっと笑うゲオルグに老人は静かに頷く。そうして大事そうに包んだ袋から奥方さまの大事な衣装を机の上に置く。
「拝見させて頂きます」
私は声を掛けてから、形見の衣装に触れる。虫食いの穴が方々にあって、根気が必要な作業になりそうだ。トルーデにも状態を確認して貰えば、真剣な眼差しで服に視線を落としていた。
老人に失礼ではあるものの、私はトルーデに声を掛ける。自分たちで直せるか、直せないか、どれくらいの時間が必要になるのか。そして屋敷にある材料で直せるのかと。ロッテがお茶を用意してくれ老人に差し出せば、彼の緊張が少しほどけたようである。
「妻に先立たれて十年が経ったが、共に過ごした日々は色褪せることはないが……まさか、形見の服が先に駄目になってしまうとはねえ」
言葉を紡いだ老人はどこか遠くを見る目になっていた。老人は自分の記憶が曖昧になった時、奥方との時間を思い出せるようにとお気に入りだった服を形見として取っておいたそうである。だというのに先に服が傷んでしまった。直しを考えてもなかなか直してくれるところが見つからない。困り果てていた時、広場で手直しした衣料品を売るゲオルグを見つけて声を掛けたとか。
「まさか一ケ月も経って、わざわざ探し出してくれるとは」
ふふと小さく笑った老人はゲオルグへと視線を向けた。ロッテが『ゲオルグさんが、良いことをしている……信じられない』という顔になって、老人とロッテの間に走るゲオルグに対する温度差が少し面白い。
「そりゃまあ、大事な物が駄目になったって聞いたら気になるっしょ」
ゲオルグは褒められて恥ずかしいのか両手を頭の後ろへ回して天井を見つめた。その姿に応接室にいるみんなが笑う。老人が直して欲しいという衣装は一着だが、虫食いがそこら中にあった。トルーデが『随分と時間を頂ければ、直すことはできますが……』と言葉に詰まる。そして『衣装に合う糸と布がない』と彼女は軽く首を左右に振った。そうかと私はトルーデから視線を外して前を向く。
「申し訳ありませんが、今日のお話は――」
「――待ってくださいよ! 糸と布がないなら、探せば良いじゃないっスか!!」
なかったことにして欲しいと言おうとした私の声はゲオルグの声に被された。いつも軽い調子の彼がいつにも増して真剣な表情で訴えている。
「ゲオルグ!!」
すぐさまトルーデが主人の話を遮ってはならないと言いたげに、ゲオルグの名を呼んだ。一瞬、ゲオルグがトルーデの声に引いたけれど、そんなことは越権行為だと分かっていると言いたげに歯を噛みしめる。
「トルーデさんは口出ししないでください! 俺、糸と布を探してくるっス! だからこの依頼、受けてください!!」
「ゲオルグ。糸と布が必ず見つかるという保証はないし、貴方が王都の店中を駆け回るという手間を掛けた分、料金が上がってしまうの」
今にも走り出しそうなゲオルグを私は引き留めて、受けられない理由を告げた。老人が料金に納得できるというならば、受けたい気持ちはあるものの、糸と布が見つかる保証がどこにもない。
探した分の手間賃も頂かなければならないし、あとで料金を上乗せするのはお客に対して不誠実である。そうなるくらいなら先に断るのが、店の主として、私としての判断だ。ゲオルグの気持ちは痛いほど理解できるけれど、と言おうとすれば老人が軽い咳払いをした。
「店主殿。もし、追加料金が発生するなら、どれくらい掛かるのかな?」
老人が私たちのやり取りに平然と口を挟み首を傾げている。私は探す手間を掛けた分の料金を目の前の彼に告げる。
「出せないことはないね。先ずは糸と布を探し出してくれないだろうか」
穏やかに老人が告げた。私はゲオルグにどうするかと無言で『探せるか』と問えば『もちろん!』と大きく縦に頷いた。となれば更に直すことに時間を頂くことになると私が老人へ伝えると、今更だから構わないという言葉が返ってくる。それならばとお引き受けいたしましょうと頷けば、老人が手を差し伸べてくる。私は老人の手を握り返すのだが、生きた時間が長い所為なのか手の皮が厚い。不意に触れた中指にはペンダコができている。
もしかして長年筆を握っていた方なのだろうか。それならばどこかのお店で働いていたか、役所で文官でもしていたのか……いや、お客の詮索は商売人としてしてはならぬことである。握手を解いた私はもう一度礼を執る。
「よろしくお願いします」
「直して欲しいとお願いしたのは私だよ。糸と布が見つかれば、知らせて欲しい。改めて依頼を出そう」
少し苦笑いを浮かべる老人は壁際に控えているゲオルグに言葉を向けた。
「ゲオルグくん、ありがとう」
目を細めて笑う老人にゲオルグはぶんぶんと左右に首を振る。
「時間が掛かっちまうけど、絶対に探し出すので諦めないでくださいよ!」
ゲオルグに老人は気長に待たせて貰うと告げた。私は老人を玄関先まで見送ろうと、机の上の服を丁寧に畳んで包み直す。ゲオルグも珍しくお客を見送るようで、一緒に付いてきた。
「またな、爺さん!」
「また、お会いできることを心より願っております」
玄関の外で別れの挨拶を告げる私たちに老人は顔の皺を深めた。
「再会の約束を取り付けられるのは嬉しいことだねえ」
意味のありそうな言葉を紡げば、老人は形見の服を包んだ布を大事に抱えて門扉へと歩いて行く。そうして彼が門扉の外へ出ると、こちらへ振り返り被っている帽子を上げて『また』と告げている。私は軽く礼を執り、ゲオルグは大きく片腕を振った。そうして老人の姿が見えなくなった頃、凄く真面目な表情でゲオルグが思いっきり私に頭を下げる。
「話を遮って申し訳ありませんでした! さっきのことはご店主さまにご報告いたします。エレノアさんもご店主さまにご報告を!」
「承知しました。でもね、ゲオルグ。貴方が言い出してくれなければ、私は断る道しか選べなかったの。そうなれば、この先ずっとあの方の顔を忘れられないまま生きることになったでしょうね」
私が老人の依頼を断っていたら、どうにかなってのではと頭の中でぐるぐると考え込むことになりそうだ。だから、まあ。父にゲオルグの一件を報告することにはなるけれど、事情があるし、私も認めたのだから、酷く叱ることは止めて欲しいという言葉も添えよう。
「でも、また同じようなことがあれば、次はどうなるか分からないから気を付けてね」
「ウスっ!」
私の言葉に頷いたゲオルグは既に笑っている。本当にお調子者だなと私が笑えば、ゲオルグは仕事が休みの日に王都中を駆け回ってみますと宣言する。それなら、依頼を受けた品に似た色の布か糸を探して、あとは色の濃淡を伝え、同じ太さの糸を持たせれば少しはゲオルグが楽になるはず。屋敷の中へと戻った私とゲオルグは早速トルーデを捕まえるのだった。




