017:謎と茶化しと早々の依頼
ヴァルターの月に一度の訪問が終わり、私は訪れていた彼らを見送ろうと部屋を出る。
私は聞きたかったことがあると、ヴァルターを呼び止めた。すると一緒にきていた三人は意味ありげな表情で『先に行っていますね!』『子供じゃないんだし、一人で帰れるだろう』『ごゆっくり』と口にして、玄関を出て行った。しばらくすると門扉の金属が擦れる音が届く。静かになった玄関先でヴァルターと私は顔を見合わせた。
「聞きそびれていたことがありまして……アドルフはどうして天幕に指輪を残していたのでしょうか。いつも身に着けてくれていたはずなのに」
アドルフが死んだという事実を受け入れることに、これまでは必死だった。ハンスが生まれて、ようやくこの問いを誰かに向けることができたのだ。
――私の前では身に着けてくれていた婚姻指輪をアドルフが外したのは何故なのか。
アドルフがいなくなる一ケ月前、子供のことについて真剣に話し合ったことが駄目だったのか。それとも誰か好いた人ができたのか……ヴァルターは私の疑問に答えられる術を持っていないだろうけれど、誰かに聞かずにはいられなかった。
私の疑問にヴァルターが一瞬固まる。何故、身構えるのかと思うと同時に、なにか理由を知っているのだろうかという不安がある。お願いだから、私の予想が外れて欲しいと願っているとヴァルターが重い口を開いた。
「アドルフさまは何故、指輪を天幕に残していたのでしょうか?」
「戦いの前にはいつも外しておられました。指輪を傷付けてしまえば貴女が悲しむだろうと」
私の問いにヴァルターが目を伏せながら答えてくれた。アドルフは剣の柄や篭手で傷が入るからと指輪を外してから、訓練や戦場に立っていたそうである。
なによりも大切にしておられましたとヴァルターが告げるのだが、私は婚姻指輪よりも、アドルフが無事で戻ってくることをなによりも望んでいた。やはりアドルフはどこか抜けていると私は床に視線を落とす。するとヴァルターが遠慮気味に『その』と声を上げ、私は彼の声に釣られて顔を上げた。
「本当は貴女と初めてお会いした日に伝えるべきことだと考えておりましたが……今になってしまい申し訳ありません」
ヴァルターはアドルフの死を知った私を見て、指輪のくだりを伝えるのは酷な事だと判断したようである。そうかと私がまた視線を下げると、ヴァルターの手はぎゅっと握り込まれていた。
その事実にはっとした私はヴァルターの顔を見上げる。アドルフの死を悲しんでいるのは私だけではない。ヴァルターもアドルフという恩師を失くしている。けれど彼は遺族のためにと自身の時間を使い、様子を伺ってくれているのだ。
長くて短い、そして色濃い日々だった。
アドルフを亡くしたこと、妊娠したこと、ハンスが生まれたこと、商売を始めたこと、それらにより多くの人たちと関わることができている。
彼の姿を求めて、後ろばかりを見ている必要はないのか。 忘れることなんて、きっとできない。それでも、時々振り返りながら前へ進むことなら、私にもできるのかもしれない。
ハンスも問題なく成長しているし、私も悪露もマシになり、肥立ちも悪くないのだから。きちんと前を向いて感謝を伝えなければ。
「ありがとうございます。ずっと悩んでいたのですが、貴方に教えて頂いたお陰で心が軽くなりました」
私は笑えているだろうか。分からないけれどヴァルターははっとして、ふっと身体から力が抜けた気がする。
「いえ。役に立てたようなら良かった」
頭一つ分背の高い彼はゆっくりと左右に顔を振り、いつもと同じ台詞を口にしようとしていた。
「では、また――」
「――はい。また一ケ月後に」
今日は先に告げようと、彼の言葉に被せ気味で私は声に出した。彼は目を丸く見開いたあと、薄蒼色の目を細める。
「ええ」
嬉しそうに目を細めたヴァルターは玄関の扉を開いて踵を返す。西陽が彼を照らして茜色に染める背をしばらく眺めているのだった。
◇
エレノア殿の屋敷を出た私は供にきていた仲間に追い付こうと足早に道を歩いて行く。今日は集合住宅の二階の窓から顔を出してはいなかった。喧騒の中、私は陽に染まる仲間の背を三つ見つけて、彼らに追いつこうと走って行く。すると仲間の一人である男がこちらに振り向いて、にっと笑みを浮かべた。他の二人も釣られて後ろに振り返り、私を見て足を止めた。
「お、ヴァルター追いついたな!」
「良い顔をしているな。嬉しいことでもあったのか?」
「なにを話していたのかにゃ?」
三人がそれぞれ私に声を掛ける。皆、にやにやとしているが、特になにかあったわけではない。ただ、エレノア殿の気持ちが少し晴れたようで嬉しくなっていただけである。
彼女と初めて顔を合わせた時、婚姻指輪の件は必ず伝えるべきことだと私は意気込んでいた。だが結局、アドルフ殿の死を知って悲しみに暮れた彼女を見て私は怖気づいたのだ。いつか、伝えることができればとずっと悩んでいたことが、今日、叶えることができた。だから私が嬉しいという気持ちを抱えても誰も咎めまい。私は意味ありげな視線を向ける女性騎士に顔を合わせる。
「きちんとした言葉を使うべきではないか?」
「良いじゃない、勤務時間じゃないもの! 堅いこと言わないの!」
ヴァルターは本当に堅物なんだからと女性騎士が声を上げれば、今度は仲間の二人が顔を見合わせて口元を伸ばした。
「堅いこと言わないっていうなら、飯でも食いにいかないか?」
「お、良いな。傷んだ練習着に光が差したからな!」
二人は肩を組み『行こう、行こう』と私と女性騎士を誘う。女性騎士は一人の仲間に『物を捨てられない癖どうにかしなよって言い続けてたけど、服、どうにかなりそうで良かったね。よし、美味しい物食べに行こー! ほら、ヴァルターも行くでしょ?』と楽しそうにしている。楽しい雰囲気を駄目にしてしまうほど私は堅くないと頷き、美味い酒場があるという商業区へと足を向けるのだった。
◇
ヴァルターたちが月に一度の訪問を終え、私は夕食を摂っている。
ハンスは丁度寝ているからと、急いでご飯をお腹に納めている最中だった。同席しているロッテが首を小さく傾げながら私を見ている。どうしたのと私も首を傾げると、ロッテはスープを掬っていたスプーンを置き、口の中になにもない状態にしてから口を開いた。
「エレノアさま、嬉しいことでもありましたか?」
「え、どうして?」
「なんとなくですが、雰囲気がお変わりになられたなって」
ロッテの声に私が困惑していると、もう一人の同席者であるトルーデも『今日のエレノアさまは確かに雰囲気が違いますね』と呟いた。二人は私が少し心が晴れたことに気付いているようだ。感情を隠さなければならない相手ではないと私は食べている手を止め、二人としっかり視線を合わせる。
「ずっと気になっていたことが解決したことと新しいお仕事の道を見つけられたから、かもしれないわ」
ふふと笑った私にロッテも顔を綻ばせた。
「騎士団の人の練習着を直すって話ですよね!」
「そう。受けるかどうかは練習着の具合次第だけれど、二人ともよろしくね」
ロッテが握り拳を作って私を見ていた。今から気合を入れているようだけれど、ロッテにお願いできる仕事があれば良いけれど。ロッテは文字の読み書きの進み具合は、簡単な文字なら読めるようになっていた。
あとは難しい文章や文字を書くことが当面の課題だろう。トルーデとゲオルグも事ある度にロッテに『あれは読めるか?』と問うている。お針子の方もロッテは数をこなして腕を上げている。まだ合格点は与えられないとトルーデは口にしているものの、最初の頃より随分と上手くなっていた。
「もちろんです!」
「はい。頑張りましょう」
ロッテとトルーデの声に私は頷いて、食事の手を再開させるのだった。――翌日。
「ごめんください!」
朝起きて、ハンスの世話と朝食を済ませて、アントンとゲオルグが屋敷にやってきた三十分後、唐突に野太い声が屋敷の外から聞こえた。今の声はもしかして、昨日の男性騎士のものではなかろうかと、私はハンスのことをロッテに任せて玄関へと急ぐ。
するとゲオルグが私を呼びにきてくれたようで、姿を認めた彼は『騎士団の人がきたっす。昨日、お願いしたことを頼みにきた』と教えてくれた。私はやってきたお客さんを応接室に案内して欲しいとゲオルグにお願いする。私は一旦、自室へ戻って昨日、ロッテとトルーデと一緒に考えた値段表のメモ書きを手に取った。
「上手くいくと良いな」
独り言を呟き、机の上のアドルフの姿絵に視線を向ける。今までアドルフの姿絵には愚痴を零してばかりだった気がするが、今日は『見守っていて欲しい』と前向きなことを願えたかもしれない。私はトルーデと一緒に応接室へと向かえば、昨日屋敷を訪れた三人の内の男性騎士一人が椅子に緊張した様子で腰を下ろしていた。私とトルーデが応接室へ入ると、男性騎士は勢い良く立ち上がる。
「いても立ってもいられなくなり、昨日の今日で申し訳ない」
礼を執る男性騎士の前にある机には大量の練習着が置かれている。ざっと三、四十着あるのではないだろうか。
「凄い量ですね」
私の口から自然と言葉が漏れると、目の前の彼は頭の後ろに手を回した。
「どうしても物を捨てられない性分でして……仲間にも散々捨てろと諭されてきましたが、大事に取っておいたのです」
男性騎士は今回、修理を請け負って貰えたならば、直した練習着の大半を孤児院に寄付したいとのこと。自分では直せないが、直って綺麗な状態になったなら、喜んで貰えるかもしれないと。孤児院に寄付をしてみればと助言をくれた仲間には感謝しているそうである。さて、今の話を受けるかどうかは、目の前の大量の練習着次第だと私は気合を入れた。
「拝見させて頂いても宜しいでしょうか?」
「もちろんです。そのために持ってきたのですから」
私の言葉に男性騎士が力強く頷いた。彼の話を聞きながら、新品と見まごう程に直すのか、着れればよいという程度に直すのか相談していく。中には彼の体躯にそぐわない練習着もあるので、随分と昔の物も持ってきているようだった。
彼が言うには練習着のため、ほつれや破れが分かり辛くなれば問題ないそうである。急ぎで直して欲しい物は決まっているようで、他は時間が掛かっても良いとのこと。査定に時間が掛かったけれど、練習着は綺麗に保管されていたようで、破れやほつれ以外に虫食いや経年劣化は見られない。裾上げや袖絞りにサイズ直しもない。
「料金はこちらで如何でしょうか?」
私がざっくりとした金額を示せば、男性が紙を覗き込む。少し考える素振りを見せたあと『問題ありません、よろしくお願い致します』と頭を下げた。
「では急ぎの三着は十日後に。残りは出来上がったものからお渡しし、すべて仕上げるまで二か月ほど頂きたいのですが……」
「承知しました。お子の世話もありましょう、あまりご無理をなさらぬように」
待たせてしまい申し訳ないが、修繕を担えるのは私とトルーデ、それにまだ修業中のロッテだけだ。二か月という時間を貰えれば、普段の仕事を止めずに進められるだろう。彼の気遣いの言葉に私は感謝を述べ、ご依頼お引き受けしましたと礼を執る。
しかし……同じ直しでも急ぎの納期であるならば、料金を加算しても良さそうだと少しの気付きを得られるのだった。




