016:興味と琥珀とお願い
ヴァルターと一緒にやってきた三人は部屋でベッドに横になっているハンスを覗いている。私は少し離れたところで彼らを見守り、ヴァルターも彼らが粗相をしないかと気を張っていた。当の三人は赤子が珍しいようで、顔を輝かせている。ハンスは目が見えるようになってきたのか、側に寄った三人をじーっと眺めていた。
トルーデから人見知りを避けるためには、幼い頃からたくさんの人と触れ合った方が良いと助言を貰っていた。イダも『ああ、ウチの子、下の子たちの方が人懐っこいねえ』と言っていたから、今日はハンスにとって初対面の人がたくさんいるから良い機会となるのだろう。
気が早いかもしれないが、ハンスが生き辛くなってしまうようなことは避けておきたい。ハンスを覗き込む三人はどんな反応を見せてくれるだろうと私が首を傾げれば、彼らは顔を輝かせたまま言葉を紡いだ。
「ちっさいなあ!」
「だなあ!」
「アドルフ隊長に似ている気がする」
女性騎士が顔を綻ばせ、一人の男性騎士は大きく頷く。義父母と同じ言葉をもう一人の男性騎士が口にした。たしかにハンスはアドルフ似だろう。彼らには見えていないハンスの身体には、アドルフと同じ位置に斑がある。やはりハンスはアドルフの子だと更に思い至ったのは、出産を終えて暫くしてのことだ。
「男の子だし、性格も似るのかな?」
「アドルフ殿に似れば、きっと将来は引手数多になるだろうな」
「けど、どこか抜けているところは似て欲しくないな……」
ベッドの中を覗き込んでいる三人が言葉を紡いで『確かに』と視線を合わせている。すると私の横にいるヴァルターが彼らの下へと向かった。今まで見守って彼が動いたことに私は首を傾げる。
「エレノア殿にも似ているだろう。目の色が同じ琥珀だ」
ヴァルターが三人にちゃんと見て欲しいと口にする声を聞き、ふと気付く。ハンスの目の色は私と同じ蜂蜜色だったなと……目の色なんて気にしたことがなかった私はアドルフに『君の目は蜂蜜色だな。琥珀でも良いが……俺は蜂蜜色と表現する方が好きだ』と猛アタックを受けていた時に自分の目の色を意識した。ハンスが生まれてから今日まで、自分が生んだ赤子の目の色に気付いていないなんて母親失格だろうか。私は四人を見ていた視線を床に落とす。
今まで子育てに必死だからと言い訳することもできるけれど……――。
「あ、本当! 綺麗な色」
「たしかにエレノア殿と一緒だ」
「言われてみれば、エレノア殿に似ているところが多々あるな」
三人の声で私は顔を上げる。駄目だ、なにかに引っ張られて考え込む癖は直さないと。ロッテの誤り癖を直さなければ、なんて偉そうなことを考えていたけれど、これは私の考え癖を先に直さなければいけないのかもしれない。
イダにも赤子はご飯さえ与えておけば育つと言われているのに。とはいえ気になるものは気になってしまうと、騎士の皆さまに視線を向けるとハンスが小さくなにか言い始めた。
「うぇ……う、うっ、ぎゃぁあああああああ!!」
ハンスが大声で泣き始めた。彼らがくる前に授乳を済ませたから、おむつが気持ち悪いのだろうか。私はごめんなさいと断りを入れて、ハンスの首を支えながら抱き合げる。私が身体を上下に揺らしても、ハンスは泣き止むことはない。
やはりおむつかなと私がハンスのお尻に片手を添えれば、じんわりと生温かい感触が伝わってくる。これは、うん。気持ち悪いと訴えて泣いていたようだと私は苦笑いを浮かべた。そんな私を見た三人が途端に眉尻を下げている。どうしたのだろうと私が少し顔を傾ければ、彼らは肩を落として言葉を紡いだ。
「わ、私たちが怖かったのでしょうか?」
「悪いことをしてしまった……」
「ご迷惑を掛けてしまいました、エレノア殿」
三人が私に頭を下げる。彼らが悪いわけではないし、ヴァルターに騎士団の人もきて欲しいとお願いしたのは私だ。責めるつもりはないのだが、ハンスはおしめが気持ち悪くて泣いていたことを伝えれば、彼らは明らかにホッとしていた。
ヴァルターは以前の訪問でハンスから同じ洗礼を受けていたため落ち着いていた。とりあえずハンスのおしめを替えたいから、申し訳ないけれど部屋を出るようにと四人に伝える。四人は真面目な顔で『出て行かなければならないですか?』と声に出す。まだハンスの側にいたいから、追い出さないで欲しいということらしい。
私はおしめの臭いが気になるだろうと声を掛けただけで、決して追い出そうとしていたわけではないと告げる。すると三人は安堵し、ヴァルターは片眉を上げながら小さく笑っている。
女性騎士は今後の参考になるとおしめの替え方を見たいそうである。そういうことなら自分たちもと男性陣三人も名乗りを上げた。誰かにやって貰うより、先ずは手本を見せた方が良いのだろう。次の機会はあるか分からないけれど、なにも知らないよりマシである。
「初心者なので私も上手くはできませんが、よろしくお願いいたします」
私が礼を執ると、四人も礼を執った。一先ずおしめを取って汚れた身体を拭いてあげれば、ハンスは機嫌を戻したようである。大人五人に囲まれたハンスはきょろきょろと忙しなく手足を動かしている。私は新しいおしめを取ろうと、ハンスを寝かせているベッドから離れた。棚の中から新しいおしめを手に取れば『あ』という声が聞こえてくる。誰のものかは分からなかった。
「ああ」
あ、という声のあと、ヴァルターが短い声を上げた。私が後ろを振り返ると、ヴァルターの服の袖口が濡れている。もしかして……と私が顔を覆いたくなっていれば、ケラケラと笑い声が上がった。
「ハンスがヴァルターにおしっこ掛けた!」
「ハンスは元気だな!」
「もっと掛けてやれ!!」
三人がヴァルターに視線を向けて、はははと凄く元気な笑い声を上げる。私は呆けている場合ではないと部屋の扉を開け、大きく口を開いた。
「トルーデ、ロッテ! 水と、綺麗な布をお願い!!」
私の声にトルーデとロッテから『承知致しました』『は、はい!』という声が食堂の方から届く。
「ヴァルターさま、申し訳ありません!」
私がヴァルターの下へと寄り頭を下げれば、三人が『気にしなくて良いんですよ』と彼より先に答える。
「彼らの言う通りです。気になさらないでください。その、私が動いてしまい掛かっただけですから。責任は自身にあります」
私はそれでもと棚の中にあった適当な布を取り出して、ヴァルターの袖口についたものを拭っていく。押し付けてはしみ込んでしまうと軽く叩いた。私が慌てて拭いているとヴァルターは『赤子がしたことです。怒るのは筋違いでしょう?』と薄灰色の目を細める。それはそうだが、アドルフを慕っていた人に失礼なことをするわけにはいかないだろう。ハンスが掛けたものが大体取れると、トルーデとロッテが部屋にやってくる。
「失礼致します」
「水と布をお持ち致しました!」
いつものように落ち着いているトルーデと少し緊張しているロッテが礼を執り、部屋の中へと入ってきた。トルーデは状況を見て直ぐになにが起こったのか理解できたようだ。
ロッテにハンスのおしめを付けて貰うことをお願いして、私とトルーデでヴァルターの袖口を拭っていく。アントンとゲオルグから追い剝ぎしようかとも考えたが、流石に二人に悪いだろう。それならば、買い付けた品の中に彼が着れそうな代わりの服はなかっただろうか。脱いで貰った騎士服を洗濯をして返した方が良いだろうと、先ずはトルーデに声を掛けた。
「代わりになりそうなお召し物はないかしら?」
「背丈のある殿方の羽織物は……修繕したものの中なら見つかるかもしれませんが」
私たちのやり取りにヴァルターがもう一度『気にしないで欲しい』と告げる。あまり長々と同じ話題を続けては不快になるかもしれないと、これ以上は口にしない方が良さそうだ。ただもう一度私はヴァルターに申し訳ございませんでした、と頭を下げた。すると一人の男性騎士が首を傾げる。
「修繕したものっていうのは?」
「あ、ええ。不要になった衣料品を買い取り、補修や修繕をして露店で販売しております」
私の言葉にヴァルターが連れてきた三人が『ほう』と言いたげな顔になる。女性騎士は意味を理解できてきたのか、へらりと笑っていた。
「へー! 面白そう! でもまあ、私は針を持つより、剣を持つ方が性に合ってるけれど」
彼女の声にもう一人の男性騎士は眉間に皺を寄せた。
「たしかに針を持つのはな……あ!」
「どうしたの?」
眉間の皺を解いた男性騎士に女性騎士が首を傾げている。私もどうしたのだろうとヴァルターから男性騎士に視線を変える。
「エレノア殿。不躾なお願いかもしれませんが、練習着の補修や修繕を受けて頂くことはできませんか? もちろん修繕代は支払います!」
その声にトルーデとロッテが反応していた。有難い話ではあるものの、練習着の破れや傷み具合によっては直せないものもある。ゲオルグが少し前に口にしていた老人の話もまだ進んでいない。私は前を向き、一人の男性騎士に視線を合わせる。
「お話、ありがとうございます。ですが、軽々しく引き受けて直せないという状況は避けたいですね。痛みや破れ具合によっては引き受けられないものも出てくるでしょうし、なにより料金も決まっておりません」
引き受けるかどうかは今後次第といったところではないだろうか。少し詳しく話を聞いてみると、騎士団では下働きの人に洗濯物を頼めるが、繕いものは各自で行うことになっているそうだ。騎士団の衣装が痛めば申請すれば交換をしてくれるそうである。ただ練習着は自前のもので、繕いものが苦手だと凄く四苦八苦するそうだ。
「お金で解決できるのであれば、有難かったのですが……」
話を持ち掛けた男性騎士が肩を落とすと、何故か残りの二人も肩を落としていた。ヴァルターは王都にある伯爵家のタウンハウスに戻れば、使用人が直してくれるそうである。
「お暇な時に修繕品を持ってきて頂ければ、見積もりを致します。望まれている直し方によって値段も変わってくるかと。昼間は代筆屋を営んでおりますので、遠慮なく訪ねてきてください」
私が話を持ち掛けてくれた男性騎士に答えると、何故か三人共『はい!』と声を上げる。まさか直ぐに依頼者が増えるとは。まだ受けるかどうか分からない話だけれど、無茶を言われない限りは頑張ってみよう。
トルーデとロッテの方に視線を向ければ力強く頷いてくれた。ヴァルターは仲間が迷惑を掛けて申し訳ないという表情になっている。またひとつ、始めた商売に道筋がつくかもしれないと私はハンスの頬を撫でる。するとハンスはご機嫌にきゃっっきゃと声を上げるのだった。




