015:確認書と相談と騎士団の仲間
屋敷の応接室で父が確認書を整えて顔上げた。
「では、双方、納得したということでよろしいでしょうか」
父の声にミュラー家の義両親と夫人が頷いた。私は気になることがあるため、義両親と夫人の方へと視線を向ける。
「ミュラー男爵閣下のご意思は?」
「息子は男爵領の引継ぎと戦後処理に追われていてね」
「連日、王城にある貴族局へ赴き、いろいろと」
私の疑問にミュラー家の義両親が肩を竦めた。戦争が終わって随分と時間が経ち、緊急的な事務処理は終わっているものの、被害報告や各領地の主が供出した費用の清算などを行っているそうである。私も手伝えることがあればと思うが、ミュラー男爵家の籍から抜けている身だ。関わることはできないと少しだけ肩を落としていると、夫人が扇を開いて口元を隠す。
「夫は貴女が生んだ子がアドルフさまの子ならば、継承権を認めて良いと口にしておりましたわ。あとで必ず、今のお話を夫に伝えます」
夫人の言葉を信じれば、ミュラー男爵はハンスの継承権を認めてくれるようである。本当に継承権を認めて良いのだろうかという気持ちと、ハンスの将来の選択が一つ増えたという気持ちもある。ただ義両親もミュラー男爵夫妻もハンスを亡き者にしようと考えなくて良かった。欲深い貴族は継承権を持つ人の暗殺を企てることだってあるのだから。
「よろしくお願いします」
私は夫人と義両親に頭を深く下げる。そうして顔を上げれば、義両親が顔を綻ばせて、子供用のベッドに視線を向けていた。
「話はこれで終わったな」
「貴女の子を抱かせて頂戴……と言いたいのだけれど、眠っているところを起こすのは悪いわねえ」
義両親はベッドで眠るハンスに視線を向けて、今度は凄く残念そうな表情を浮かべる。確かに寝ている子を起こすのは可哀そうだけれど、側に寄り少し触れ合うことならできるだろうと私は席から立ち上がる。
「少し騒がしくなってもハンスは起きないかと。様子を見てくださいませんか?」
私の言葉に義両親が顔を見合わせて頷き、夫人は仕方ない人たちと言いたげに扇を閉じた。夫人についてきたマーサも私に視線を向けて、なにか言いたげにしているが、今はその時ではないと弁えているようである。あとでマーサに声を掛けようと決めれば、椅子から立ち上がった義両親が子供用のベッドの側まできた。義父はベッドの柵に腰掛けて、ハンスの顔を覗き込む。
「アドルフの幼い頃にそっくりだ!」
「そうかしら? エレノアにも似ているわ」
口元を伸ばしながら笑う義父と首を傾げた夫人が視線を合わせて『アドルフだろう?』『アドルフにもエレノアにもですわ』と再度声を上げる。父もベッドに近づいて、なにか言いたいようだが我慢をしている雰囲気があった。
「それにしても小さいな。赤子というのは、こんなに小さかったか……」
「あなた。二年前に初孫を抱いておりますし、実子も二人抱いているではないですか。今更なことを仰らないでくださいませ」
ハンスを見ながら目を細める義父に義母が肩を竦めていた。たしかにハンスは……赤子は小さくて儚い。病気にならないようにと気を払っているけれど、思いがけず病を患うことはあるのだろう。
医者からは順調に育っていると言われているものの、毎日、ハンスが病気にならないようにと気を払っている。布おむつが濡れていないかと頻繁に確認したり、冷えていないかと、ハンスの肌に触れてみたり。正しいか分からないけれど、思いついたことは全部行動に起こしている。イダはそんな私を『気にし過ぎ! 子供なんて、ご飯さえ与えてりゃ勝手に育つよ!』と笑い飛ばした。そして。
――赤子が亡くなる話なんて、どこにでも転がっているさね。
お貴族さまの子だって死んだりするんだよ、とイダは少し声色を落として続けたのだ。イダにもなにかあったのだろうかと問いたくなる気持ちを我慢して私は『そうかもしれませんね』と答える。イダは私がハンスを構い過ぎていると言いたいことは理解して。
とはいえ私は生まれて間もないハンスを適度に放置するなんてできない。加減が難しいなと片眉を上げていると、いつの間にかマーサがこちらへきている。どうやら彼女は仕える主から離れる許可を取ったようで、夫人は私を見て頷いていた。
「マーサ。久しぶりね」
「お久しぶりでございます、エレノアさま。アドルフさまのお子が生まれたと聞き、マーサは居ても立ってもいられず。同行許可を頂いた次第です」
やはりマーサは私のことが気になり、夫人にわざわざ同行を願い出たようである。本当にようございましたと、マーサは目尻に涙を溜めていた。
「抱いてやってと言いたいところだけれど」
目尻に涙を溜めている彼女を見ながら私は声を上げた。
「ぐっすりと眠られておられますもの。起こしてしまうのは可哀そうですし、大旦那さま方より先に私が抱いては障りがありましょうから。あとでお顔を見せてくださいませ」
マーサの願いに私はもちろんと答える。変わらずハンスが眠るベッドの側では義両親が話をしている。息子二人がハンスと同じ頃はどんな様子だったかと懐かしんでいるようだ。しばらく義両親のやり取りを見つめていればハンスが目を覚まして大泣きを始めた。どうやらお腹が空いたようだと笑えば、義両親と夫人と父は笑いながら『我々は戻ろう』と声を上げる。
別れ際、マーサに泣いているハンスを少し見て貰い、集まった人たちは帰路へ就く。私は部屋に戻って、ハンスのお腹を満たさなければと応接室を急いで出るのだった。
――数日後、現ミュラー男爵から返書が届いた。
署名を添えた確認書の写しと、話し合いに顔を出せなかったことへの詫びが、几帳面な文字で綴られている。私は最後まで読み、ハンスの眠る顔を見た。ようやく、あの子の将来について皆が同じ認識を持てたのだと、肩の力が抜けた。
私はハンスの面倒を見る傍ら、代筆業と修繕した衣料品の販売をぼちぼちと行っていた。売上は少しずつ右肩上がりになっているものの、家計の足しになる程度の儲けである。
トルーデとロッテとアントンとゲオルグの派遣をいつ父が打ち切るか分からない。だから使用人四人を雇えるくらいの儲けは欲しい。修繕した衣料品の販売以外になにか手があると良いと思うものの、ハンスの世話で手一杯になっている。
なかなか思い通りにはいかないと笑っていれば、ゲオルグが広場の露店から戻ってくる。売上金を渡そうとしたゲオルグが真面目な表情で私を見ていた。どうしたのかと私が小さく首を傾げると、ゲオルグは意を決したように言葉を紡いだ。
「エレノアさま。ちょいと相談が」
「どうしたの?」
私が声を上げれば、ゲオルグは少しだけホッとした表情になる。
「知らない爺さんから、思い出の品を直してくれないかって聞かれたんスけど……今日はトルーデさんもいねえし、勝手に受けるわけにはいかないって断ったんスよね」
ゲオルグに声を掛けたご老人は奥さまに先立たれて随分と時間が経っているそうである。形見にと残していた奥さまお気に入りの服が虫に喰われてしまったそうだ。
「エレノアさまの許可が降りれば、広場の近所に住んでる爺さんらしいから、また店を出す時に探してみてえなって」
言葉を続けたゲオルグが手を後ろに回して頭を掻いた。服の状態が分からないし、どこまで直して欲しいのかによるだろう。ご老人が新品のように直して欲しいと乞えば、かなり難しいことに挑戦することになる。
だから安易に引き受けるわけにはいかない。とりあえず話を聞きたいこと、次にトルーデがゲオルグと一緒に店番をする際にご老人を探し出せたなら、トルーデと話をして欲しいとお願いする。
衣料品の修繕の腕はトルーデが一番高い。私が平均程度で、ロッテが駆け出しの初心者といったところだ。虫食いの痕が完全に分からないようにというお願いであれば、話はなかったことになるとゲオルグに伝えておく。トルーデでも難しく、専門の服飾店にお金を積むしかない、と。
「分かりました! 俺の話を聞いてくださり、ありがとうございます!」
礼を執って部屋を出て行くゲオルグに私はお疲れさまと告げて、自室の椅子に腰を掛けてベッドで天井を見つめているハンスに視線を向けた。
「せっかく直した衣料品が虫に喰われたら勿体ないわよね」
私の独り言はハンスに届いているのだろうか。変わらずハンスは天上を見つめながらベッドの中で『あうー』と言葉にならない声を出している。
「匂い袋を売ってみようかしら。大事な衣料品を守るためにって。どう思う、ハンス?」
庭に虫が嫌う匂いを出すハーブを詰めれば、多少は効果があるはずだ。あとは天日干しや風通しを定期的に行えば痛みにくくなる。保存のコツを記した紙をゲオルグに渡して、ご老人に会えたら手渡して貰っても良いだろう。お金にはならないけれど……話を聞いてしまったら気になってしまう。だからご老人が対処法を知っておいて損はない。
しかしゲオルグが自らお客を得ようと動いてくれているとは驚きである。困っている老人を助けたい一心のようだけれど、商売に新たな切っ掛けになることになりそうな予感がする。
私は屋敷で働いてくれているトルーデとロッテとアントンとゲオルグと過ごす時間を、かけがえのないものだと感じ始めている。四人は父が雇った使用人で、私が雇用しているわけではない。これからどう生きていくのかは自分で選ぶと決めたのだ。いつか、彼らの直接雇用を成し遂げたいと、ひとつの目標に定めた。
そうして時間は過ぎていき。
ヴァルターが一ケ月という時間をきっちり守り、お昼過ぎに屋敷へと顔を出す。前回、私の騎士団の方と一緒にどうぞという言葉に則り、彼の後ろには騎士服を纏った男性二人と女性一人が門扉の前に立っている。
玄関に彼らを迎え入れて初対面の方と挨拶を済ませれば、王都にある菓子店の人気商品を渡してくれた。前回はハンスに向けての品だったから、今回は私に向けての品ということである。
私が丁寧に頭を下げれば、アドルフに世話になっていたから気にしないで欲しいと彼らは笑う。戦争中、助けて貰ったとか、訓練で助言をたくさん貰って強くなることができたとか。
そして、抜けているアドルフに驚くことがあったとも。やってきた三人はアドルフの話で盛り上がっていると、ヴァルターが半歩前に足を進める。私の前に立つヴァルターは頭一つ分背が高い。こんなに近くに立ったのは初めてではないだろうか。調子が悪く、私が彼に受け止めて貰った時は例外だと思い出していれば、ヴァルターは片眉を上げていた。
「これでも人数を絞ったのですが……騒がしくて申し訳ありません」
背を丸めて謝るヴァルターに私は気になさらないでくださいと笑を作れば、そーだそーだと三人が声を上げる。これは賑やかな顔合わせになりそうだと、肩を竦めるのだった。




