013:騎士と赤子と違和感
月に一度、屋敷を訪れるヴァルターがやってきた。
毎月同じ日、同じ時間に訪れる律儀な彼であるが、今日は数日早く訪れている。彼は門扉の前で凄く困り顔になりながら、大きな荷物を掲げていた。私が彼と顔を合わせれば、ありありと申し訳なさそうな表情を浮かべている。玄関前まで移動した彼はいつも背筋を伸ばして堂々としているのに、今日に限っては少し肩を前にして背を丸めていた。
「すみません。騎士団の者たちが、エレノア殿の様子を見てこいと躍起になっておりまして……」
背を丸めているヴァルターの鼻の先は朱に染まっている。今の彼の口振りを考えると、屋敷を訪れることに躊躇していたのではないだろうか。騎士らしくないヴァルターの姿に片眉を上げた私は玄関の中を手で示す。
「いえ、ありがとうございます。寒いでしょう、中へどうぞ」
「長居をするつもりはなく……仲間が貴女に渡して欲しいと受け取った品を置けば戻ろうと」
ヴァルターが掲げていた荷物を少しだけ持ち上げる。
「せっかく訪ねてくださったのです。アドルフさまの子を見てやってください」
ハンスの顔を見ずに帰れば、騎士団の人たちにヴァルターが責められる予感しかしない。ミュラー家の義両親から手紙が届いて憂鬱だったけれど、彼の訪問でほんの少し気が晴れた。
彼が持ってきてくれた品はおむつ用の布と産着だそうだ。数が合っても困らないだろうと女性騎士が提案してくれ、少しずつお金を出し合って買ってきてくれたそうである。受け取って良いのか私が迷っていれば、ヴァルターが片眉を上げた。
「騎士団の者は使わないので受け取っていただけると……」
どうやら持って帰っても処分に困るとヴァルターは言いたいようだ。私はそれならばと荷物を彼から受け取って、ゲオルグを呼び、食堂に運んで欲しいとお願いする。
あと男の人と自室に入るのは憚られると、トルーデとアントンも呼んでおく。そうして玄関から短い廊下を歩いて私たちは自室へと向かう。途中、ロッテがお辞儀をすればヴァルターは『お邪魔します』と律儀に言葉を返していた。
四人で自室に赴いてヴァルターを子供用のベッドの側まで案内する。アントンは部屋の隅で立ったまま待機し、トルーデは『お茶をご用意しますね』と告げ一旦部屋を出て行った。
私はハンスのベッドの隣に立って、ヴァルターへこちらへどうぞと導く。ヴァルターは恐る恐るハンスが眠るベッドに近づき、柵の中を覗き込む。ハンスは目が覚めていて、まだお腹は空いていないのか空中をきょろきょろと見つめていた。
「小さいでしょう? 生きていることが不思議ですよね」
本当にそう感じる。私のお腹から出てきたことも、こうして生きていることも奇跡のようなことだ。母が弟を生んでからベッドに寝ている記憶しか残っていない。
日が経つにつれてどんどん痩せいき弱っていく母の姿だけは、強烈なこととして私の中に残っていた。自身がそうなるかもしれないと不安に怯えていたものの、私はベッドから立ち上がり日常生活を送っている。ハンスの世話に追われているものの、母のようにはなっていないと少し安堵していた。
ヴァルターがハンスのベッドの側でじっと中を見つめていた視線を私に向ける。
「名は授けられたのですか?」
「ハンスと名付けました。男の子です」
私が答えるとヴァルターがまたハンスを見つめる。彼の優しい視線がハンスに伝わったのか、ベッドに寝ているまま手を上に伸ばした。
「指先だけ差し伸べると掴んでくれますよ」
私がヴァルターに助言を送れば、恐る恐る剣ダコのある左の手の指を伸ばす。そうしてハンスは差し出された指を握って、口元に寄せようとしていた。ハンスにとって意味のない行動なのだろうと私は笑う。ヴァルターは口元へ誘われる手をどうしようか迷いつつ、無下に引き離そうとはしなかった。ただ灰銀色の目を輝かせながら、私に視線を向ける。
「本当に小さいですね」
そうしてヴァルターは感嘆とした声を上げた。私は否定も肯定もせず、ただ小さく笑うだけに留める。だって赤子に対する気持ちなんて、人それぞれだろう。
ハンスを可愛くないと言い切る人もいるかもしれない。ただ、目の前のヴァルターが愛おしそうに見つめる姿は私にとって有難いことだった。アドルフの子だと喜んでくれているのだから。口元に手を持って行ったハンスはお乳ではないと分かったのか、ぺっと吐き捨てるようにヴァルターの指を離した。指を離されたヴァルターは片眉を上げながら困ったような雰囲気で私を見る。
「エレノア殿。なにか困ったことはありませんか?」
毎月のように決まった台詞をヴァルターが紡ぐ。彼が今一番、感情的に困っているのではないかと突っ込まずにはいられないが……黙っておくべきだろうと、私はゆっくりと首を振る。彼が『困りごとはないか』と聞いたあとは、決まって『またきます』と告げる前触れだった。だから私はいつもと少しだけ違う言葉をヴァルターに伝える。
「お忙しいところを毎月、様子を伺いにきてくださって、ありがとうございます。次は騎士団の方も連れてきてくださいませんか? きっとアドルフさまも喜びます」
他の方もアドルフの子を見たいとヴァルターに迫る姿が目に浮かぶ。それに、ヴァルターと顔を合われば、ミュラー家の義両親からの手紙のことを少しだけ忘れることができた。彼と顔を合わせる前は億劫だと悪態を就いていたのに、会って話をすれば気持ちが軽くなっている。月に一度の訪問はと私にとって丁度良い間隔のようだ。
「っ、そうします。皆が喜びましょう」
毎月、私がヴァルターに返す言葉ではないことに気付いたようで、少しお届きつつも数秒後にはいつもの騎士然とした表情に戻っている。それではと頭を下げるヴァルターと入れ替わりに、お茶を運んできたトルーデがやってくるのだった。
◇
季節は冬。もうすぐ夕暮れの時間に差し掛かる頃だ。吐き出す息は白くなっている。
エレノア殿の屋敷を出て、五分ほど歩いたところで私は立ち止まる。私はふと気になることがあって後ろを振り返り、エレノア殿が住まう屋敷へと視線を向けた。屋敷はもう見えなくなっていて、周りは集合住宅が立ち並んでいる。
「私の子、ではなく……アドルフ殿の子か……」
ぼそりと呟いた私の声は誰にも届かない。ただどこからともなく帰路へ就く子供の声や、夕食の準備のために各家から煙が出ていることが、どこか物悲しく感じてしまう。
いつもであれば騒がしい日常の光景だと笑みを浮かべることができるのに。どうして今日に限ってそんなことを感じてしまうのだろう。どうにも私はエレノア殿の『アドルフさまの子』と口にした言葉が引っ掛かって仕方ないようだ。
「ハンスは彼女と同じ、琥珀色の瞳なのに」
そう。ハンスの少しだけ生えた髪の色はアドルフ殿と同じく褐色であるが、瞳の色はエレノア殿の瞳と同じ琥珀色だった。だというのに彼女はハンスでもなく、私の子でもなく。アドルフの子と告げた。
――生きていることが不思議ですよね。
彼女のその言葉も気になる。ハンスは私の指を小さな手でぎゅっと握り込んでくれたが、なかなか離そうとしてくれなかった。
小さな存在が生きるために必死になっていることに、私はとても感動を覚えた。大きな声で泣くことも、母親の乳を飲むことも、寝ることも、全て生きるために必要なことである。だというのに、彼女は生きていることが不思議だと口にしていた。何故、そう感じてしまったのだろう。やはりアドルフ殿を失ったことで、彼女は心に大きな傷を抱えているのだろうか。
エレノア殿の言葉の裏になにがあるのか分からない。そう感じる私が細かいだけだろうか。考えても仕方ないと頭を振って、私は帰路へ就こうと歩き始める。視界の端には集合住宅の階段から降りてきた女性が二階の窓を見上げる。窓からは子供が四人顔をだしていた。
「じゃあ、行ってくる。あんたたち、大人しくしていなさいよ!」
「はーい、母ちゃん!」
各々声を上げる四人の子供の後ろから、三十歳くらいの男が顔を出す。
「イダ! 飯の準備は!?」
情けない声が聞こえれば、道に立つ女性が怒気を放った。
「アンタが作っても良いんだよ! あたしはこれから仕事なのさっ!!」
ありきたりな夕暮れ時の光景に私は目を細めて、今度は皆を連れエレノア殿の屋敷に向かおうと決めるのだった。
◇
ヴァルターが屋敷を訪れた三日後。
私が出したミュラー家の義両親へ向けた手紙の返信が届いていた。アドルフの子の誕生そのものは喜んでくれているようだ。しかし、男児となればミュラー男爵家の継承にも関わってくる。手紙だけで済ませられる話ではないらしい。 直接会って話したいと記されており、三日後には屋敷に顔を出すと告げられていた。
この件については私一人では片づけられないことだろうと、カウフマン家の父も召喚した方が良いだろうと判断した。ゲオルグに父に向けた手紙を渡せば、戻ってきた彼の口から返事があった。
「ご店主さま、同席するとのことっス。約束の時間の二時間前には屋敷に顔を出すそうっスよ」
予定の時間よりも父が二時間も前に屋敷を訪れるとは一体どういうことだろう。心強い味方ができたという安堵が一瞬湧いたけれど気分が重くなってきた。だというのに赤子用のベッドで眠るハンスはすやすやと気持ちよさそうに寝ている。こういう図太さはアドルフに似ていると笑みを浮かべていれば、困り顔のトルーデが部屋にやってきた。
「お嬢さま……ミュラー男爵夫人がご訪問されておられます。いかがなさいますか?」
その言葉に私は目を丸く見開いた。いかがなさいますと問われても困るのだが、私を訪ねてきた人を追い返すこともできやしない。眉尻を下げた私はトルーデに応接室にご案内をと告げるのだった。




