010:修繕と食欲と売り先
事業を始めて少しすれば、ヴァルターが屋敷に姿を現し、私の近況を聞いて直ぐに出て行く。それが月に一度ある。そして私は妊娠六ヶ月目に入っていた。少し身体に変調があって、長時間椅子に座っていられないとか、荷物の持ち運びが億劫になりやすいとか不都合が出ている。
随分と暑くなった今日この頃。昼間は応接室に私とトルーデとロッテが集まって、買い取った服の修繕を行っていた。
事業の方は順調とは言えず、ゆっくりした進み具合である。代筆屋を行いつつ、集めた衣装の修繕とリメイクを行っている最中だ。私が袖口を縫っている横で、トルーデはほつれた襟を手際よく直していく。ロッテはというと、針を持ったまま眉間に皺を寄せていた。
「……難しいです」
「最初から上手くできる人はいないわ」
怪訝なロッテに私は片眉を上げる。
「トルーデさんはできてますけど」
すぐにロッテがトルーデに視線を向けた。
「年季が違いますから」
トルーデは涼しい顔で答え、するするとほつれた襟を直し終えて次の作業に入っていた。そんな日々を過ごしながら、数日前、月に一度の訪問に顔を出したヴァルターは私の目立ち始めたお腹を見て明らかに狼狽えていた。応接室に腰掛けた彼の薄蒼色の瞳が右へ左へと忙しなく動き、しどろもどろで口走る。
『様子を伺いにきたのですが……その……あ、いえ。こういうことを聞くのは……憚られると知っておりますが、聞かずにはいられないというか……』
詳しいことを聞きたいけれど、聞いて良いのか悪いのか凄く迷っているようであった。私はお腹の子を生むことを決めている。そして隠し通すには無理がある時期になっていると、覚悟を決めてアドルフの子がいると彼に説明した。話を聞いたヴァルターは凄く驚いた表情を浮かべ『アドルフ殿の子が!? しかし……魔法で……』と呟いた。その声は大きな呟きだったため私の耳にも届いている。
『何故、そのことを?』
片眉を上げながら問う私にヴァルターは物凄く気まずそうな表情を浮かべた。
『申し訳ありません。貴族として継承に関わることですから、アドルフ殿は上官や家の者から尋ねられたことがありました』
『もしかして騎士団の他の方も承知していたと』
我々ということは複数の騎士団の人たちがアドルフに迫ったようである。たしかに五年も子を儲けられないのであれば、私の身に異常があるのではと当然疑われるのだ。
『はい。口外しないこと、貴女の潔白を証明するためだと告げたアドルフ殿に教えて頂きました。しかし知っているのは上官と、ごく一部の側近だけです』
本当に申し訳ありません、とヴァルターは深く頭を下げる。もう終わったことだし、アドルフも騎士団の人たちの口の堅さを信じて告げたはずだ。事実を知っていたヴァルターを責めるのはお門違いだろう。
月に一度、律儀に顔を見せてくれるヴァルターのことは疎ましいというより、アドルフが部下から信頼を得ていたという事実を教えてくれる。ヴァルターの態度は誠実だから、私も彼には真摯に務めたい。
そんな会話を交わして彼は『また来月に』と言って屋敷を出て行った。トルーデもロッテも物腰柔らかいヴァルターに気を許しつつある。アントンはヴァルターの評価を『騎士として強いはず』と口にしていた。ゲオルグは『顔が良過ぎて、俺の自信が粉々に……』と自身の整った顔に両手を当て深い溜息を吐いていた。
暇な時間が少なくて良いことだと、私は息を吐いた。机ではロッテが読み書きの勉強の最中で、彼女の悩ましそうな声が上がる。私がロッテに大丈夫と声を掛けると、お手上げと言わんばかりにこちらを向いた。
「うう……エレノアさま、分からないです」
「どこかしら?」
ロッテの読み書きの勉強を見つつ、私は服の修繕をしていた。ロッテは物覚えが良く、文字を読むことは問題ないレベルになっていた。書くことは少し難しいのか少し習得ペースが落ちている。慌てることではないし、読み書きのできない人は多い。とはいえ読み書きができれば将来、得をすることが多くなる。だからロッテには諦めないで、勉強を続けて欲しいのだがどうなるやら。
ロッテは私の助言を聞いて少し考え込み、私が作った問題を解いていた。私は頑張れと声を掛けそうになってぐっと堪える。次の問題に取り組むロッテの邪魔をしてはならないと小さく笑った私は、不意に感じた違和感に衣装を直していた手を止めた。
「ロッテ、私は食糧庫に行ってくるから、続けていて?」
「あ、エレノアさま。私が行きます! なにが良いですか?」
椅子から立ち上がろうとした私をロッテがぱっと制して先に立ちあがった。
「果物があればお願い。勉強しながらロッテも食べましょう」
トルーデには内緒ねと冗談を私はロッテに言うものの、在庫管理をしているのは彼女だから直ぐにバレるだろう。片眉を上げた私にロッテは『行ってきますね!』と直ぐに部屋を出て行く。
ここ最近、私は空腹を感じることが多く間食が増えている。夕飯を食べたのは少し前だというのに、もうお腹の虫がなにか食べたいと訴えているのだ。でも、空腹を感じる割には、あまり量を食べられないことが不思議だった。
ロッテが戻ってくるのが少し遅いと首を傾げれば、廊下から足音が響く。どうやらロッテが戻ってきたようで扉が開き、ほくほく顔でロッテがお皿を持って私へと近づいた。
「トルーデさんが林檎を切ってくれました!」
嬉しそうにロッテが机の上にお皿を置く。お皿の上には綺麗に切り分けられた林檎が乗っていた。トルーデは一個丸々切り分けてくれたようで、結構な量がある。食べられるかなと私は首を傾げるものの、ロッテもいるから大丈夫だろうか。食べられなければトルーデにも食べて貰おうと考えて、私はロッテに頂きましょうと声を上げる。
切り分けられた林檎を手に取って口に運んだ。シャリという音が鳴り、林檎の甘味と匂いを感じられた。ロッテは凄く幸せそうな顔を浮かべて林檎を咀嚼している。ロッテの美味しそうに食べる姿は好ましい。
「美味しい?」
「はい、美味しいです! とても!!」
私の声にロッテが凄く嬉しそうに声を上げた。食べ盛りだろうからもっと食べてと私が勧めると、ロッテは少し遠慮して私に食べさせようとする。彼女の視線は私のお腹に向けられており、赤子のことを考えているようだった。
私はありがとうと口にして、残りの林檎に手を伸ばしたあとロッテにお皿を向けた。すると悩みに悩んだロッテは最後の林檎に手を伸ばし、また幸せそうな表情で食べ切るのだった。そうしてロッテは残りの問題を解き、私はまた修繕に取り掛かる。ロッテが問題を解き終えて、答え合わせをすれば終わりの時間が訪れていた。
「さて、今日はこれで終わりにしましょう」
「ありがとうございました、先生!」
私の声にロッテが答えてくれるのだが、先生と口にしたのは何故だろう。するとロッテは顔を真っ赤に染めて、恥ずかしそうにしている。もしかして彼女は学校に憧れでもあるのだろうか。孤児院から出て父が営む商家に住み込みで働くようになった子だ。なんとなくロッテが口にした意味を察した私は小さく笑って肩を竦めた。
「お疲れさまでした、ロッテさん」
そう私が口にすると、ロッテがぱあっと顔を明るくして深く礼を執り『また明日もよろしくお願いします!』と言って部屋を出て行った。弟が生きていれば、どこかの学校に通っていただろうか。不意にお腹の子も弟のように儚くなってしまうのではという不安が過り私は頭を振る。医者によれば順調そのものらしい。余計なことは考えるのは良くないと私が直した衣装を見る。
――売り先、どうしようかしら?
屋敷の庭で売ることも考えたけれど手狭過ぎる。それに店舗を構えるほどの服の量は今はない。そうなるとどこかのお店に販売を委託するか、市場の露店で売るかの、どちらかだ。
委託は預け先の店に手間賃を取られる。それなら多少のお金を出して、露店で売る方が良いだろうか。父に相談するのもアリだろうけれど、自身で立ち上げた事業である。失敗しても良いから挑戦してみようと、先ずは露店で売れるかどうかを確かめてみようと決意した。
さっそく動いてみようと決めた私は部屋の灯りを落としてベッドに潜り込むのだった。
翌朝。露店販売のため、取り仕切っている商業ギルドに向かうと屋敷のみんなに話せば、何故、私が直接向かうのかと抗議されてしまう。屋敷のことが疎かになるけれど、私の許可が出るなら売りに出るとトルーデとロッテが猛抗議し、アントンは沈黙を選び、ゲオルグも値段さえ決めて貰えば売り子をやれると飄々とした態度で口にする。
臨月になれば動くことが億劫になるから、今の時期に露店で売り捌くことに慣れておきたいのだが、みんなはソレを許してくれない。これはもう誰かに任せるしかないと、私はゲオルグに出店代を渡して商業ギルドに向かって貰う。事業を営む許可はすでに下りている。あとは露店を出すための場所代と申請だけだ。あとは露店を出したい日を申請して割り当てられた場所で売る。
さて、売り上げはちゃんと出るかなと私はゲオルグが商業ギルドから戻ってくるのを待つのだった。




