第82話 フジャイラの王、姉弟に間違われる
馬車は僕たちの少し手前で速度を落とし、止まった。御者台から降りてきたのは、日に焼けた恰幅の良い男だった。荷台には樽と木箱が積み上げられ、布がかけられていた。
男は僕たちを旅の姉弟とでも思ったのか、気さくに声をかけてきた。
「やあ、旅の方かね。この先がベルンハルトかい」
「はい、そうです。村までは、あと石標三つ分です」
僕が答えると、男は嬉しそうに手を打った。
「そうそう、それだよ、それ。あの石標ってやつは大したもんだ。儂は行商を三十年やっとるが、あと何里で村か、日暮れまでに着けるか、いつも勘で歩いてきた。それがこの道は、石を数えるだけで分かる。おかげで今日は、日のあるうちに商いを終えて、日のあるうちに宿へ戻れる算段が立つ」
男は街道を見渡して、しみじみと続けた。
「道も良い。雨上がりだというのに、轍が沈まん。荷を倍積んでも馬が疲れん。こんな道は、王都の目抜き通りでも見たことがないよ。いったい、どこの誰が作ったんだか」
僕とカミーラ王妃は顔を見合わせた。王妃が笑いをかみ殺しているのが分かった。
「行商の方は、ベルンハルトへ何を売りに?」
「塩と針と布だよ。あの村はリザードマンにやられて、儂もしばらく足が遠のいていた。だが、復興して景気が良いと聞いてね。久しぶりに商売ができると思ったんだよ。それに、この道ができたおかげで、アルスブルクとやらの帰りに寄れるようになった。一度の旅で二つの町を回れる。商人にとって、道は命だ」
「アルスブルクにも行かれたのですか」
「行ったとも。いや、驚いた。あの街は別世界だ。夜でも灯りが消えん。それに、あの甘い飲み物——健康飲料とか言ったか。あれを樽で仕入れたくてな。だが、フェルプス商会が卸を仕切っていて、一見の行商には順番が回ってこん。参ったよ」
男は頭をかいて笑った。それから、ふと真顔になった。
「ただな、坊や。一つだけ困ったことがある。この道、良すぎるんだ」
「良すぎる、ですか?」
「ああ。良い道には、人が集まる。人が集まれば、商人が集まる。商人が集まれば——盗賊も集まる。儂ら行商は、それを骨身に染みて知っとる。今はまだ静かだがね、この道が賑わえば、必ず悪い奴が目をつける。それと、もう一つ。この道の途中には、宿がない。日が暮れたら野宿だ。良い道に、休む場所と守る者。それが揃って、初めて道は商いの道になる」
三十年の行商の言葉は、どんな進言よりも重かった。僕は深く頭を下げた。
「貴重なお話を、ありがとうございました。今度、アルスブルクに行ったら、銀行でお金を預けると良いですよ。お金を持って歩かなくていいので、盗賊に襲われても渡す物がないので、全財産を盗まれることがありませんよ」
「なんだい、坊や、そんなのあるのか?一回使ってみるかな。貴重な情報ありがとよ。ほれ、飴でも舐めな」
男は僕とカミーラ王妃に飴玉をひとつずつ握らせ、御者台に戻った。
「じゃあな。良い旅を」
馬車はベルンハルトの方へ、石標を数えながら遠ざかっていった。
しばらく無言で見送ったあと、カミーラ王妃が飴玉を口に放り込んで言った。
「アルス、良い話を聞いたな」
「はい。宿と、警備です」
「其方のことだ、もう考え始めているのだろう」
「石標五つごとに、休憩所を作ります。屋根のついた小さな小屋を水の魔道具で水を出し、灯りの魔道具。そのうちの一つを大きくして、宿場にします。食事を出し、馬を替えられるように。警備はルドルフ隊長の警備隊に、街道の巡回を加えてもらいます」
「ふむ。それで?」
王妃は僕の顔を覗き込んだ。まだあるだろう、という目だった。僕は白状した。
「……宿場に、ドイシュ族の焼き物と健康飲料を置きます。道を通る商人が、そこで仕入れられるように。さっきの方のような一見の行商でも、順番待ちをせずに買えるように」
「道が、店になるのか」
「道が、店になるのです」
王妃は呆れたように笑い、それから、僕の頭にぽんと手を置いた。
「また仕事が増えたな」
「増やしたのは、あの飴玉のおじさんです」
口の中の飴は、素朴で、懐かしい甘さがした。
アルスブルクに戻ると、僕はさっそくトーリさんとルドルフ隊長に相談し、街道の休憩所と宿場の建設、警備隊の巡回計画をまとめた。図面を引きながら、ふと気づいた。
宿場で物を売るなら、売り買いの記録がいる。記録があるなら、お金の出し入れを預かる場所があった方が良い。——銀行だ。フェルプス会長の銀行の、最初の支店を宿場に置けば良い。
「フェルプスさん、喜ぶだろうなぁ」
僕の独り言に、横で図面を見ていたカミーラ王妃が言った。
「喜ぶというより、飛んで来るな」
数日後、報せを聞いたフェルプス会長は、本当に移動の魔道具で飛んで来た。
フェルプス会長は宿場の計画図を見るなり興奮した。
「アルス様! これは宿ではありません! 交易都市の始まりです!」
彼は次々と提案した。
宿に、厩舎、倉庫、商店、それと銀行支店であった。
僕も頷いたが、一つだけ気になることがあった。
「フェルプスさん。商人は大量の現金を持って旅をしていますよね?」
「その通りです」
「それが一番危険では?」
僕は前世知識から提案した。
「アルスブルクの銀行にお金を預ければ、宿場で紙一枚と交換できるようにしませんか?」
フェルプス会長は首を傾げた。
「紙がお金になる?」
僕は説明した。
「はい、アルスブルクの銀行にお金を預けると、銀行で受け取りの証明書を書きます。それを銀行ではお金とともに保管し、その写しを預けた人に渡します。そして、この証書に本人を証明する魔力を登録し、本人の魔力でないと預けた数字が出ない仕組みにするのです。
そして、本人が証書を持って、宿場にある銀行支店に行き、写しの証明書に魔力を注入し、預入額を表示させます。そして、銀行側は、証明書下のフェルプス銀行のマークがあるところに、特定の魔力を注入すると預入額の下に同じ数字が表示されるので、それが一致すれば、現金化できるという仕組みにします。そうなれば、商人は重たい現金を持ち運ぶ必要がありませんし、証書の書き換えもできません」
フェルプス会長は震えた。
「……盗賊に襲われても紙なら盗まれても無効にできる。それに、証明書に間違った金額を書いても銀行は不正を見つけられる」
「ええ」
「アルス様……これは革命です」
あの飴玉をくれた行商人がアルスブルクを訪れた。銀行員が対応した。
「今回は百Gお預かりします」
と言われ、
「こんな紙だけ持って旅に出るのか?」
半信半疑のまま、行商人は渡された証明書を持って旅に出た。数日後、宿場の銀行窓口で紙を見せると、銀行員が言った。
「確認できました」
行商人に金貨が渡された。
「本当に換えられた……」
彼が呟くと、宿にいた商人達がざわついた。
「俺も預けたい」
「私も」
口コミで一気に広がっていった。
旅人を狙う盗賊もいた。
商人を襲っても少額の現金しかなかった。代わりに、金になるという証明書を何枚か持っていた。これを交易都市にある銀行に持って行けば金に換えることができるというので、命だけは取らなかった。
しかし、盗賊は後悔した。使い方が分からず、交易都市の銀行の窓口でその証書を見せたのだ。銀行員はにこりと微笑むと、
「待っていて下さい」
と言った。盗賊が待っていると、警備員に捕まってしまった。盗賊が騒ぎ出すと、警備員に言われた。
「この証書は本人が魔力を出さないと預けた金額が表示されない。お前の魔力ではここに数字が表示されない。盗んだものだろう。どこで盗んだ?」
このことは瞬く間に伝わった。
その話はアルスブルクにも聞こえて来た。カミーラ王妃が僕に話し出した。
「アルス」
「はい?」
「今度は盗賊の敵になった」
僕は答えた。
「フジャイラに盗賊がいなくなれば、それがまた、この国の魅力になります」
「次は何をするんだ?」
カミーラ王妃は容赦なかった。僕は少し考えてから言った。
「次は情報です」
「情報?それはなんだ」
カミーラ王妃が聞いてきて、僕は前世の知識から答えた。そして、彼女の顔が変わっていくのが分かった。




