第81話 フジャイラの王、ベルンハルトを視察する
合流した一団はドイシュ族の子孫ということであった。ソノワさんは彼らの話を聞きながら、新しい歌と劇を作成するという。
カミーラがアイディーの魔法を授け、彼らは街の住民となり、無料の食堂と共同浴場を使うことになった。
ドイシュ族は陶器作りを生業にしてきたと聞いて、以前、カミーラたちが住んでいた洞窟の傍に家を建て、住んでもらう事にした。
その洞窟ではケイ素混じりの土からガラスを作っているので、その残った土と動物の骨粉を混ぜ、新しい焼き物を作ってもらうことを提案し、それを実現するために登り窯をドイシュ族とともに築いていた。そして、その目途が立った頃、街道が完成したという報せが、トーリさんから届いた。
アルスブルクとベルンハルトを結ぶ道は、荷馬車が二台すれ違える広さで、雨に崩れないよう土魔法で固めてあるという。
僕はカミーラ王妃とともに、その街道を通ってベルンハルトへ視察に行くことにした。カルロスさんに領主代行を任せてから、初めての訪問となる。報告の手紙は毎週届いていたが、この目で見たかったのだ。
「アルス、先に言っておくが、粗探しをしに行くのではないぞ」
移動の魔道具の中で、カミーラ王妃が僕に釘を刺した。
「分かっていますよ」
「本当に分かっているのか?其方は気になると口を出す。任せたら、信じる。良いな」
「……善処します」
自分が言われた言葉を、そっくり返される日が来るとは思わなかった。
街道は綺麗に整備され、道の脇には距離を示す石標が等間隔に立っていた。これは僕の指示にはなかったものだ。訊けば、カルロスさんの発案だという。旅人が「あとどれだけか」を知れるだけで、歩く足は軽くなる——と。
僕は何も言わず、隣のカミーラ王妃を見た。王妃はにやりと笑って、口の前で指を立てた。
ベルンハルトの村は、見違えていた。
倒れていた家々は建て直され、畑には青い芽が並び、広場では子供たちが走り回っていた。その広場の隅に、人だかりができていた。近づくと、中心にカルロスさんがいた。
「——だから、東の井戸は朝、西の井戸は夕方に使うと決めたはずです。それを破って争いになったのなら、決めごとの方が悪いのかもしれません。もう一度、皆で決め直しましょう。今度は、水を汲む人が全員で」
水争いの裁定のようだった。カルロスさんは、罰を与えるのでも、どちらかに味方するのでもなく、決めごとそのものを作り直そうとしていた。
人だかりが解けて、こちらに気づいたカルロスさんが、飛び上がるほど驚いた。
「へ、陛下!?それに王妃様まで!ご連絡くだされば、お迎えを……」
「抜き打ちでなければ、視察の意味がありませんから」
僕は笑って答えた。
その時だった。人だかりの中から、年配の農夫が一歩、前に出た。
「王様が来なさったのなら、儂からも聞きたいことがある」
「止めろ、爺さん」
と誰かが袖を引いたが、農夫は引かなかった。
「アルスブルクでは、飯も風呂もタダだと聞いた。儂らも同じフジャイラの民になったはずだ。なぜ、儂らは畑を耕し、自分の飯を自分で賄う。儂らは二等の民か」
広場が静まり返った。カルロスさんの顔が強張るのが分かった。カミーラ王妃が僕を横目で見た。口は出さぬ、其方が答えろ——そういう目だった。
僕は農夫の前に立った。子供の背丈の僕を、農夫は見下ろす形になったが、僕は真っ直ぐにその目を見た。
「二等の民ではありません。ですが、ごまかさずに言います。今のベルンハルトを、アルスブルクと同じにはできません」
ざわめきが起こった。僕は続けた。
「アルスブルクの食事と風呂は、施しではないのです。何もない荒れ地に街を建てた者たちがいました。家を建て、畑を起こし、道を作った。無料の食事と風呂は、その働きへの、街からのお礼なのです」
農夫の眉が寄った。
「では、儂らは働いておらんと言うのか」
「いいえ。皆さんは今、まさに働いています。壊された村を建て直し、畑を蘇らせている。だから、約束をしに来ました」
僕は広場を見回し、声を張った。
「この村の畑が、支援なしで村の人々の食料を賄えるようになった日——その日に、僕はこの広場に食堂と共同浴場を建てます。アルスブルクと同じものを。それは施しではなく、この村を自分の手で立て直した皆さんへの、国からのお礼にします」
広場は静かだった。誰も拍手はしなかった。誰も歓声を上げなかった。けれど、誰一人目を逸らさなかった。
農夫はしばらく僕を見ていたが、やがて、ふっと息を吐いた。
「……子供の王様が、ごまかさずに『できん』と言いなさった。それだけで、儂は十分だ」
農夫は頭を下げ、人だかりの中に戻っていった。誰かが呟くのが聞こえた。
「その日は、遠いのかね」
答えたのは、僕ではなかった。
「遠くありません」
カルロスさんだった。畑へ目を向けた。
「今日の畑を、皆さんも見たでしょう。青い芽が並んでいる。秋には分かります」
その声は、領主の声だった。
その夜、ベロー村長とルドルフ隊長も交えて、夕食を共にした。
ベロー村長は、食糧支援を少しずつ減らし、村の畑の収穫で賄える割合が増えていることを報告してくれた。ルドルフ隊長は、警備隊に村の若者を五名採用したと言った。
「彼らは村を守れなかった悔しさを知っています。良い警備隊員になります」
その言葉に、リザードマンの夜を思い出した。守れなかった悔しさを力に変える——それはこの村全体の物語でもあった。
食事の途中、ベロー村長が頭を下げた。
「陛下、昼間は申し訳ありませんでした。あの声があることは知っておりました。私から先にご報告すべきでした」
「いいえ」
僕は首を振った。
「村長が声を抑えていなかったから、あの人は僕に直接言えたのです。不満が王に届く村は、良い村です」
食事が終わる頃、僕はカルロスさんに向き直り、姿勢を正した。
「カルロスさん。実務試験の結果をお伝えします」
カルロスさんの背筋が伸びた。ベロー村長とルドルフ隊長が固唾を飲む。
「石標も、井戸の決めごとも、僕は指示していません。そして今日の広場で、貴方は『秋には分かります』と言った。あれは、村の畑を毎日見ている者にしか言えない言葉です。貴方は、僕の真似ではなく、貴方のやり方でこの村を治めた。——実務試験、合格です。今日から正式にベルンハルト領主代行を任せます」
「……っ」
カルロスさんは何かを言おうとして、言葉にならず、深く、深く頭を下げた。テーブルに、ぽたりと音がした。
「顔を上げろ、カルロス」
カミーラ王妃が言った。
「私からも言っておく。良い領主の顔になった。誇れ」
「……はいっ」
絞り出すようなその声を、僕は忘れないだろうと思った。
帰りの街道を、僕たちはあえて移動の魔道具を降り、少しだけ歩いた。
等間隔に立つ石標が、夕方の光に長い影を落としていた。
「アルス、昼間の答えは良かったぞ」
カミーラ王妃が、石標のひとつに手を置いて言った。
「同じ国の中に、違う暮らしがある。それを隠せば毒になり、認めて約束にすれば力になる。其方は約束にした」
「秋が来たら、忙しくなります。食堂と浴場を、二つも建てるのですから」
「二つ?」
「ベルンハルトの分と——いずれ、その先の村々の分も。約束は、一つでは終わりませんから」
王妃は声を出して笑った。
「また仕事が増えたな、アルス」
「はい。でも」
僕は街道の先を見た。道はまっすぐに、アルスブルクの方へ延びていた。
「この道の先に、同じ食卓が増えていくなら、良い仕事です」
その道を、荷を積んだ馬車が一台、こちらへ向かってゆっくりと登ってくるのが見えた。




