第80話 フジャイラの王、街道を整備し、豊かさを広げる
トーリさん達は街道を整備していた。その様子を眺めながら、僕は、これからどうすべきかを考えていた。
ウン族のソノワさんが書いた、一族の流浪を語る『五つの川の歌』の劇は、アルスブルクの街で上演された後、王都で上演することにした。僕がフェルプス商会の力を借りて、劇場を一月ほど借り切り、エルザさんの店で無料券を配り、宣伝もしてもらった。無料がよかったのか、宣伝が効いたのか、その歌劇は王都で評判となり、王都の劇場は満員だった。最後の『五つの川の歌』が終わると、観客は誰一人席を立たない。やがて一人が拍手を始め、それは波のように劇場全体へ広がった。
鳴り止まぬ拍手の中で、ソノワさんは涙を流していた。
今では専属の興行主がつくほどになっていた。フェルプス商会はこの分野にも進出しようと提案してきたが、興行の経験が無い者にはやれない仕事だと説き、諦めてもらうことになったほどだ。
アルスブルクの街は試験の話で持ちきりで、試験を前に活気づいていた。そして、延期されていた春の試験の日取りを、僕はついに告示したのだ。試験会場は議会場とし、机を並べ、番号札を置いた。僕はそれから夜遅くまで試験問題を考えていた。
前世の知識を思い出しながら考えたのは、暗記を問う問題ではない。
「村に橋を一つ架けられるお金があります。東の村への橋は百人が使い、西の村への橋は三十人が使いますが、西の村には病人が多くいます。貴方はどちらに架けますか。理由とともに答えなさい」
正解はない。いや、人を治める者に正解など存在しない。大切なのは、何を守ろうとして、その答えに至ったかだ。どう考えたかを見たい。この国の幹部に必要なのは、知識より、人のために悩める頭だからだ。
試験の朝、会場の前には長い列ができていた。
列の中には、鍛冶職人のガーリさんがいた。学校で教える罰を受けたあの人だ。ウン族の若者も数人並んでいた。エーベルシュタイン家の使用人だという女性もいた。ガレオンから来た腰の曲がった薬草に詳しい老人もきていた。声をかけると、
「わしの薬草の知恵が、この国の役に立つかもしれんと思っての」
老人は歯の抜けた口で笑った。年齢も身分も関係ないと言った言葉が、本当に届いていた。僕は胸が熱くなるのを感じた。
すると、列の最後尾に、見覚えのあるフードの人物が並んでいた。フードの隙間から覗く金の髪。僕は近づいて、小声で言った。
「マーガレット王女、何をしているのですか」
「しっ、静かにしろ。私は今日から受験生のマギーだ」
「王女は顧問です。幹部候補生になる必要はありません」
「顧問だからこそだ。この国の者たちがどんな試験を受けるのか、身をもって知らねば助言などできぬ。それに」
マーガレット王女はフードの中で笑った。
「面白そうではないか」
僕はため息をつき、受験を認めた。ただし、と付け加えた。
「合格しても幹部にはなれませんよ。人質が幹部では、マギビスタ王に叱られます」
「分かっておる。腕試しだ」
試験が始まった。会場は静まり返り、羽根ペンの走る音だけが響いた。
僕は試験場を眺めて回った。ガーリさんは太い指でペンを握りしめ、額に汗を浮かべて書いていた。ウン族の若者は、橋の問題に「歌を作って皆の気持ちを聞く」と書いていた。それも一つの答えだと僕は思った。
カミーラ王妃も試験官として会場を回っていた。途中、僕の横に来て、囁いた。
「アルス、良い顔が並んでいるな」
「はい。皆、真剣です」
「これが其方の言った競争か。奪い合う競争ではなく、高め合う競争だ。良いものだな」
王妃は満足そうに会場を見渡した。
数日後、合格発表を議会場の前に貼り出した。
合格者は十二名。
貼り紙の前で、ガーリさんが両手で顔を覆って泣いていた。落ちたのかと思って声をかけると、逆だった。
「儂は、字を覚えたのが去年です。罰で学校に立たされて、教えるうちに、儂が一番教わっておった。それが、それが、合格とは」
大きな体を震わせるガーリさんの背中を、周りの職人たちが叩いて祝っていた。
薬草農家の老人も受かっていた。エーベルシュタイン家の使用人の女性も受かっていた。彼女の合格を、主人であるレオポルド子爵が誰より大きな声で祝っているのが、この国らしいと思った。
そして、貼り紙の隅の名前を見て、僕は頭を抱えた。
「マギー」
しかも席次は一番だった。フードの受験生は隣で腕を組み、得意げに胸を張っていた。
「ふふん、見たか、アルス。私を嫁にすれば、この国は安泰だぞ」
「……成績と嫁は関係ありません」
その夜、カミーラ王妃が「マギーの答案を見せろ」と言い出した。仕方なく、回答を見せた。
彼女の回答は王女らしい、迷いのない答えだった。
『私は西に架ける。命は数字で測れない。だが来年は東にも架ける』
カミーラ王妃は何度もその一文を読み返した。
やがて静かに紙を机へ戻す。
「……負けた」
ぽつりと漏らしたその一言には、悔しさと少しの嬉しさが混じっていた。その様子に、僕は何か声をかけようとしたが、かけそびれ、そっと部屋を出た。
合格者を集めた最初の講義の日。僕が最初の話として、この国の在り方と国の将来の話が終わった時に、街の門番から報せが届いた。
「陛下、旅装の一団が門の前に来ております。二十名ほど。怪しい者ではなさそうですが、妙なことを申しております」
「妙なこと?」
「はい。『歌を聴いた』と。『五つの川の歌が、俺たちを呼んだ』と、そう申しております」
僕とカミーラ王妃は顔を見合わせた。
劇場の方から、報せを聞いたソノワさんが駆けてくるのが見えた。その顔は、泣いているようにも、笑っているようにも見えた。僕とカミーラ王妃も街の門へと急いだ。
僕らは歌を聞いて集まった一団を迎え入れたあと、戻って、展望レストランで食事をしていた。
「ソノワは嬉しそうだったな」
カミーラ王妃が食べるのを止めて、ポツリと言った。僕も、それに答えた。
「そうですね、彼の夢がかなったのですね。でも、まだ、ひとつの氏族です。先は長いと思います」
「そうだな、長そうだな」
カミーラ王妃が答え、そして、ガラス越しに広がる山々、王都の方角を眺めていた。そして、言った。
「フジャイラの民はどうして来ないのだろう?ガレオンのようにフジャイラを良く思う国民が少ないのだろうか?」
王妃の悲し気な物言いに僕は答えた。
「まだ、この国が『帰る場所』だと思ってもらえていないのでしょう」
その言葉に、王妃が僕の方を向いた。僕は続けた。
「カミーラの父であるフジャイラの王は良い事も悪い事も国民にしたのかもしれません。過去を後悔しても過去は消せません。しかし、未来は作ることができます。それが、僕とカミーラに与えられた仕事だと思います。僕らの作るこの国が良い国だと分かれば、自然と旧フジャイラの国民も集まってくれると思います」
王妃の顔に少しだけ明るさが戻った。僕はさらに続けた。
「ソノワさんにこのフジャイラの国の歌劇を作ってもらいましょう。幸い、王都でも彼らの歌劇は評判です。次作にこのフジャイラ国物語を上演してもらいましょう」
「そうか、そうだな。良い考えだ。ガレオンの街の人のように今を満足している旧国民もいるが、そうでなく、辛い生活をしている者達もいるだろう。そういう者たちが住みたい街にしていかなければならない」
「そうです。そのためにはまだまだ足りない物があります。旧フジャイラの国民が長く住めるような国にしていきましょう」
僕の言葉にカミーラ王妃がそっと僕の手を握った。
「ありがとう、アルス」
握られた手の温もりだけが、未来への約束のように残っていた。




