渡辺さんは秋葉原に行きますが?
例の事件から二か月後、渡辺は全快とまではいかないものの、多少歩ける程度にはなってきたため、とうとう退院の日を無事迎えることができた。
そのころには、和田も陣の社宅での生活に慣れきったようで、新しい登下校路もすぐに覚えた。
学校には事件の事情を話しつつ、クラス内では「交通事故にあった」ということにして、混乱を招かないようにしてもらった。
――というのは、じつは渡辺の案であったりもした。
クラスが混乱しないようにというのは、実は建前であって、和田のことを「父親に虐待されたかわいそうなやつ」とみるような連中を生み出さないため、というのが本音であった。
そうして、渡辺と和田にとっての何気ない日常が戻ってきたのである。
それを何より一番喜んだのは、陣だった。
渡辺が退院する当日、「快気祝いはなにがいいっすかね」などと受付前で言う始末であった。
渡辺たちが社宅に帰ってからも、その話は続いた。
「快気祝いっていったら、ケーキとかがテンプレっすよねぇ。」
「別に…いいですよ。そんな…。治療費も保険があるとはいえそれなりの額を陣さんに払わせてしまいましたし。」
渡辺は今まで陣にお金の工面をさせていたことがどうしても気に病んでいた。
「じゃあ、渡辺さんの好きなところに行くとか?」と和田は案を出した。
「んー…。遊園地?」
「行きません。」
「お化け屋敷!!」
「非科学的です。」
「寺社仏閣?」
「陣さんってスピリチュアル好きなんですか?」
「ホストクラブはどうだっ!!」
「私のことなんだと思ってるんですか…?」
次々と出される陣の提案を悉く拒否する渡辺。
ようやく子供らしさが板についてきたのか、と陣は内心期待と感動を抱いていた。
「んー、確かに渡辺さんってアウトドアなイメージ無いしなぁ。」
和田は思い悩んだような表情でそう言った。
「あとは…渡辺さんのしたいこととかする…とかかなぁ。」
その和田の一言に反応したのは渡辺だった。
「…プログラムを作りたいです…。あと、ちゃんと動作する環境でテストもしてみたいかも。前のパソコンは退社するときに会社に返品しなくちゃいけなかったので。」
「渡辺さんらしいねぇ。じゃあパソコン買う、でいいかー。」
和田はようやく渡辺が提案を承諾しそうなことに安堵を覚えた。
「はい。でも、予算は十万円以内にしましょう。私の銀行の預金残高がそれぐらいだったので。」
「快気祝いで祝われる本人のお金使うってなかなかないけど、渡辺さんはそれがいいんですよね。」
陣のその言葉に、渡辺はこくりとうなずいた。
「じゃあ、秋葉原行こ。渡辺さん。」
陣のそのひとことにより、週末の秋葉原探訪が決定したのだった。
電車で揺られること一時間。渡辺たち一同は秋葉原の地を踏んだ。
「おぉっ!ここが秋葉原っ!!名前だけは聞いたことあったけど…。」
和田は初めての秋葉原に興奮が冷めやらない様子であった。
「本当にエッチな女の子の絵がいっぱいあるぅ~!」
「陣さん…やはり和田さんの教育上あまりよろしくなかったのでは…?」
渡辺は心配そうに陣に耳打ちをした。
「まぁ、たぶん大丈夫…なはず。パソコン買うだけだし…。」
「それならいいのですが…。」
「ん?どうしたの?」
「い、いえ。なんでもないです。とりあえず、電気街の方を見てみましょうか。」
こうして、渡辺らの秋葉原探訪の険しい道は幕を開けることになった。
まず電気街の店を回ってみることにした彼女らだが、彼女らが一番最初に直面した問題があった。
それは圧倒的なパソコンを取り扱う店舗数の多さであった。
かるく駅周辺を探索しただけでもパソコン販売店は、20~30、パーツ店も含めればそれ以上であった。
なので彼女らは「駅から約500m圏内、大通りにある店」に限って、相場の調査を始めることにした。
「しかし、秋葉原なんて久しぶりですね。」と渡辺はつぶやく。
「あれ、渡辺さんって来たことあるんすね。」と意外そうにする陣。
「昔、たまに来てはゲーセンとかで遊んでましたよ。私。」
「ゲーセンで遊ぶ渡辺さん…。想像つかないっすね。」
「弾幕STGとか好きでしたね。きれいで。」
「あれ怖くないっすか?アリの巣みたいな…。」
「『ハチの巣』の間違いじゃないですかね。」
一人勝手に戦慄している陣を横目に、渡辺は和田に目をやった。
和田は非日常を味わっているらしく、ぼーっとしているようだった。
「和田さん?大丈夫?」
「んー。なんか…エッチな絵だけじゃなくて、エッチなお姉さんもいっぱいいるなぁって…。」
渡辺は、やはり和田を連れてきたことについて反省と後悔の念にさいなまれるのだった。
「Execuse me?(ちょっといいですか?)」
突然の英語にびっくりし、陣が振り返ると、外国から来た観光客と思われる人が
後ろから声をかけてきた。
「Sure.Can I help you something?(はい。どうなさいましたか?)」
陣が「そーりー、あいきゃんとすぴーくいんぐりっしゅ」などと言うよりも先に、
英語で応えたのは渡辺だった。
「Thank you. Let me know where the indie game shop is?
(ありがとうございます。同人ゲームの販売店がどこかお尋ねしたいのですが…。)」
「Do you have map of here?
(地図などはお持ちですか?)」
「No.I have just heared about it from my colleagues.
(いえ、同僚から聞いただけでして。)」
「So...Do you know the name of the shop?
(…では、そのお店のお名前は?)」
陣は機関銃のように交わされるイングリッシュトークを聞きながら、普通に渡辺さんってスペック高いんだよな、と尊敬の念を抱いていた。
「陣さん、ここらへんに『アキバや』ってお店ありました?」
「アキバやだったら、たしか昭和通りにあったはず…。駅から近いからすぐ見えるとは思うけど。」
「…つまり反対方向ってことですね…。」
渡辺は再び外国人観光客に振り返ると説明をし始めた。
「I'm sorry, but it's in the opposite direction. It's on the other side of the station.
(申し訳ありませんが、それは反対方向にあります。駅をまたいで向こう側です。)」
「OMG!If you hadn't told me, I'd have been wandering around here! Arigatou gozaimasu!
(まじか!言われてなかったら、ずっとここら辺をさまよってるところでしたよ。ありがとうございます!)」
「Not at all. Have a nice day.(とんでもありません。良い一日を。)」
その後、渡辺は静かに外国人観光客を見送った。
「渡辺さん、英語もできるんすね。すごいです。」
「…」
渡辺はずっと沈黙している。
「…渡辺さん?」
「…渡辺さん、どうしたの?」
陣と和田が渡辺を心配する。
数秒後、渡辺は息を吹き返したかのように、荒い息遣いをし始め、胸を押さえた。
「ハァッ…ハァッ…ぐっ…」
「わ、渡辺さん!?どうしたんですか!!」
「いや…すいません…。見ず知らずの人と話したので、神経使っちゃって…。」
「…どっかで休みましょうか。」
なんだかんだいって、この人も繊細だったな、と陣は渡辺の性格を再確認したのだった。
しばしの休息を挟んだ後、渡辺たちは再びパソコン探しの旅に立ち返った。
渡辺たちが秋葉原についてから約5時間が経過。これで24軒目になろうかという時だった。
「渡辺さん、いいの見つかった?」と陣が問いかける。
「ここまでいろいろとお店を回ってきましたが、CPUがすべて高性能なハイエンドユーザー向けですね…。メモリもここまでいりませんし。グラフィックボードも使わない以上、もっと値段は下げられると思うんですが…。」
推定小学二年生から出てくるとは思えない用語の羅列に、店員も唖然としてしまっている。
陣はそんな店員の様子を見て、どこか申し訳なく思えてきてしまっていた。
和田は店を回り始めてから「渡辺さん何言ってるかわかんねっ!」と繰り返すだけになっていた。
ふと、ひとつのパソコンの前で、渡辺は立ち止まった。
CPUはハイエンドだが、それ以外はほとんど普通に耐用できるものだった。
値段は12万8000円。
「惜しい…」と渡辺は漏らした。
これほどまでに2万8000円が憎たらしいと思ったことはなかった。
しょうがないが、また別の店を見るしかない。そう渡辺が踵を返そうとしたときだった。
「店員のお兄さーん。すいませーん。これ買いたいんですけど。」
陣が声を張り上げ、店の店員を呼んでいた。
「ちょっ!!なにやってるんですか陣さん!」と渡辺は陣の服を引っ張る。
「予算範囲外です!やめましょうよ!!」
「足りない分は俺が出しますって。」
「でも…」
申し訳なさそうな顔を見せる渡辺。それでも陣は、快気祝いなのだから、と譲る気はなかった。
「少しは頼ってもいいんですよ。渡辺さん。」
「……わかりました。ありがとうございます。」
渡辺は笑顔を陣に返した。
こうして、渡辺は念願の自前のパソコンを手に入れた。
夕日がさす電車の車窓に背を向けて、パソコンの入った袋を大事そうに抱えながら、渡辺は帰路に就いた。
二週間後、渡辺は陣に小さなプレゼントボックスを渡した。
「ん?なんすか?これ。」
「開けてみてください。」
その箱を開けてみると、中には高級そうなマウスが入っていた。
「これ、どうしたんですか?」
「ネットでちょっとしたお仕事を見つけまして。」
「仕事…?まさか…」
「危ない奴じゃないですよ?ソフトウェアを作る依頼をネットで見つけて、それで得たお金です。陣さん、マウスの反応悪くなってきてるって、言ってたじゃないですか。」
「これ、いくらしたんですか?」
「秘密です。まぁ、なんというか…。せっかく買ってくださったパソコンですので、それで恩返しができればなという思いで…。」
照れくさそうに渡辺は語る。
「ありがとうございます。大切にします。」
陣は笑顔で受け取ることにした。
パッケージの裏面に4万円の値札シールがついてあることに渡辺が気付くのはもうちょっと後のことで、それまでの間陣は、渡辺さんはかわいいなと思うのだった。




