渡辺さんに家族ができますが?
渡辺が目を覚ますと、見知らぬ天井と、カーテンレールが目に映った。
あたりを見回してみるとそこは病室のようで、となりには随分とげっそりとしている陣が座っていた。
渡辺は起きようとしてみるもなかなかおきあがれず、いつのまにか着せられていた病院服をめくると、腹部に縫い跡があった。
とりあえず死ぬことはなかったのか、と渡辺は冷静な気持ちになった。
ふと、その時陣が目を覚ました。
「……ふぁ…。あ…。」
「おはようございます。随分とお疲れのようですが。」
「わ…渡辺さん…?ほんとに…?」
陣の目は涙を湛え、それは目の下のクマを印象付けるようだった。
「私以外に誰がいるんですか。」
渡辺は依然、冷静沈着だった。
そんな渡辺とは対照的に、陣は何かもの言いたげであった。
「…なんで、一人であんなことしたんですか。」
「それについては申し訳なく思っています。私が報連相をしっかりしていれば…」
「そうじゃなくてっ…。あなた…もう少しで死ぬところだったんですよ…。」
「大袈裟ですね。たかだか数発蹴られただけでは…」
「…内臓、破裂しかかってたらしいですよ…。」
「そうですか。子供の体ってそんなに弱いんですね。」
感慨深そうに渡辺は言ってのけた。
「…まぁ、死んでたら死んでたでしょうがなかったですよ。どうせ何回も捨てようと思ってた命ですし、陣さんが気にしなくてもいいですよ。それに、私が死んだら陣さんもソファじゃなくてベッドで寝られますよ?」
さも明るく楽しいことのように渡辺は語った。
「いい加減にしてくださいよ!!」
ベッドに備え付けてある柵を叩いて陣は怒鳴りつけた。
「どうしてあなたはいっつも抱え込んで、自分でどうにかしようとするんです!もう少し頼ってくださいよ!」
「頼ってますよ…?」
「いいえ!!あなたは何でもかんでも自分一人でやろうとする!!会社員の時もそうでしたよ!『手伝いますよ』って言わなかったら、ずっとひとりっきりで!」
「いや…仕事のお手伝いとか…お願いしてましたし…。」
「俺に言われなきゃやってなかったでしょう!!そんなに自分を大切にできないんですか!?そんなに俺は頼りないですか!?」
陣は悲しい顔をして訴える。
「…いいじゃないですか。」と渡辺は漏らした。
「どうでもいいじゃないですか!!私が死んでも陣さんには関係ないでしょ!!私はせめて生きている間だけはいい子でいたいだけ!!」
涙を堪えながら、渡辺は心中をぶちまけた。
「そもそも本当は!誰にも知られることなく死にたかった!命なんて要らなかった!それなのに…私は…!」
少女になって、生きてみたくなった。死ぬのが怖くなった。それがまた、図々しい。
「私の命なんてっ…どうでもいい!!私は死んで当然なんです!!私が死んでも誰も悲しまない!!死んじゃえばいいんです!!死んじゃえ!!死んじゃ…」
そんな言葉を遮るように、陣は渡辺を抱きしめた。
「もっと自分のこと…大切にしてくださいよ…。」
「い、痛いですよ…。離して…。なんでっ…」
「渡辺さんは俺の家族だからですよ…。」
「……はっ…?意味わか…わかんないですよ…。陣さんは…引き取ってくれただけで…友人関係で…。大体……もともと私には家族なんて…」
涙を流しながら渡辺は震えた声で反論をする。
「一緒に話して、一緒におんなじもの食べて、一緒に屋根の下で暮らしてる。家族っすよ。誰が何と言おうと。」
筋が通っていない、渡辺はそう言おうとしても言えなかった。
自分の命をここまで重く見てくれる人間に、初めて渡辺は出会った気がした。
渡辺は、泣いた。子供のように、なんの躊躇も配慮もなく、ただ、泣いた。
少し落ち着いたのち、両者は再びいつも通りの調子を見せた。
「すみません。少し取り乱しました。」
「いいっすよ。別に。」
「というか陣さん、お仕事は?」
「有給使ってたんすよ、たまってたんで。まぁ、五日間使い続けるとは思ってなかったですけど。」
「…五日も寝てたんですか。私。」
「いや、週末挟んでるんでまるまる一週間っすね。」
「…さすがに寝すぎですね。」
「まぁ、その間に各種手続き済ませられたので、
よかったっちゃよかったすけど。」
「手続き?」
「治療費で保険適用できないのはさすがにまずいんで、戸籍作っておきましたよ。ついでに養子縁組制度使って、これからは俺が保護者になります。」
「…なるほど。何はともあれ、ありがとうございます。」
二人が仲良く話していると、「渡辺さんのお父さーん、ジュース買ってきたよー。」と明るい声が聞こえた。
カーテンをくぐり抜けてきたのは、和田だった。
右手にはレジ袋を持っている。
「あっ!渡辺さん!!よかったぁ!目さめたぁ!!」
「はい。おかげさまで。」
和田は何事もなかったかのように元気にしていた。
「あ、渡辺さん!ジュース飲むっ!?」
と和田がジュースを勧めるのを
「当分は病院食以外禁止だろう。まぁ、お医者さんに聞いてみな。」
と陣はそれを止めた。
途端、陣の携帯が鳴り、陣はそれに対応するために病室を後にした。
病室には渡辺と和田の二人だけが残った。
渡辺は和田から寝ている間に起きた様々なことを聞いた。
あの後倒れた渡辺に代わり和田が通報をしたこと、和田の父親は逮捕され、現在取り調べ中であるということ、その間和田は保護施設に入れられていること、陣が毎日寝ることもなく渡辺のそばに居続けたこと、そして、和田自身の家庭事情についても話した。
和田は小さいころに父親と母親が離婚し、その直後に母親はホストと無理心中をした。
それ以降は父親、和田、そして和田の兄であった『ひなた』とともに生活をしていた。
しかしある日ひなたが病死し、父はひなたの幻を和田に重ねて視るようになったという。
和田は父親の前ではひなたであることを続けた。
男物の服を着て、髪を切り、スポーツ少年のように見せた。
それでも、和田の父親は「そんなのひなたじゃない、ひなたを返せ」と言って、いつも悲しい顔をしながら、和田に暴行をしつづけたという。
そんな父親が可哀想で、和田はずっと誰にも打ち明けられずにいた。
自分だけが苦しむだけで済むのなら、と我慢を続けた。
だから、初めて渡辺が傷に気づいてくれた時、嬉しいと思った。
そして、そんな状況から助けてくれたことも。
「まぁ、渡辺さんにけがさせちゃったし、これぐらいは話しておかないとね~。」
と和田は最後に付け加えた。
「…そうですか。とってもつらかったですね。」
「うーん、まぁね。ちょっとだけ。」
声はいつも通り明るかったが、目は涙ぐんでいた。
「…ねぇ、渡辺さんはなんで私のためにあそこまでしてくれたの?」
「うーん、そうですね…。私に似ていたから、ですかね。」
「え?なにそれ?」
「…せっかくですから、私の過去もお話ししましょう。」
渡辺は、これまでのすべてを語った。
自分は大人であったこと、会社を辞めて心を病んで自ら命を絶とうとしたこと、ある日突然子供になったこと。そのすべてを。
「夢物語に思えるかもしれませんが、すべて本当です。」
渡辺はすべてを語り終え、そう言った。
「マジ…?それじゃあさ………テストとか満点取り放題じゃん!なにそれずるい!!」
和田は相変わらずだった。
「…和田さんの傷を見て、きっと私と同じ傷だと思ったんです。自分を押し殺すための傷。自分の存在を消すための傷。傷のつき方は違っても、きっとこの子は私と同じなんだって。」
「…へぇ。」
「まぁ、自分が大人だから、どうにかしなくちゃって気持ちもありましたが。」
「今は子供だっていうのに、とんだことしたもんだね。」
「自分でも反省はしています。」
「十分にしたまえ。でも、なんかわかった気がするなぁ。初めて会ったとき、渡辺さんがスーツ着てるOLさんに見えたもん。」
そう言うと二人は顔を見合わせて笑いあった。
「はいはい、ただいま戻りましたよ。」
陣がさっそうと携帯電話を片手に戻ってきた。
「おかえりなさい。どうでしたか?」
「いやぁ、上司が『なんで有給五日間も使ってるんだ、納期間に合わないぞ』って。有給の理由聞くのって普通なしでしょ、なし。」
陣がこれでもかと愚痴を言う。
「私が手伝えればいいんですけど、もう外部の人間ですからね。」
「そこをなんとか頼みますよ~。バグ知らずの渡辺さーん。」
「その異名で呼ばないでください、恥ずかしいので。」
あれっ、と和田は、寸劇を行う二人に対して不思議に思う調子で言った。
「渡辺さんって大人でしょ?じゃあ渡辺さんのお父さんって…」
「あぁ、はい。もともとは会社の同僚で、引き取ってもらってたんですが、先ほど父親になりました。」
「複雑な家庭カンキョー!!いや私が言うのもなんだけどさっ!」
和田はおちゃらけた風に言ってのけた。
「っていうか、聞いてるんだ。事情。」
陣が意外そうにしながら、あっ、と何かをひらめいた。
「和田さん、うち来る?」
「きゅ、急だねっ!!随分と!!」
「陣さん!?大丈夫なんですか?」
「大丈夫っしょ。多分。ベッドも結構余裕あるだろうし。」
「まぁ、そうですが…。」
「お父さんが帰ってくるまでの長めのお泊り会だと思えば、ね?」
和田がすこしの逡巡を繰り返したのちに、
「じゃあ、ちょっとの間、お世話になります。」
と結論を出した。
渡辺には、この日、家族ができたのだった。




