渡辺さんは事件に巻き込まれますが?その2
渡辺はクローゼットから出てきた和田をそっと抱きかかえる。
和田にまかれた結束バンドは和田の手足を強く締め付けていて、うっ血していた。
「大丈夫です。今外します。」と渡辺はバンドとタオルを丁寧に外しながら
和田に話しかける。
和田の意識は朦朧として、渡辺の存在だけは認識できているようだった。
「…なぜ…。」
和田の父親は、和田の場所が暴かれたことに多少の驚愕を示した。
「…ちゃぶ台についていた血の跡が新しかったので。あとは…私がとっさに隠すとしたらここだな、と思いまして。インターホンを鳴らしてもなかなか出られなかったのは、和田さんをとっさに隠すためだったのでしょう?…まぁ、ほとんど勘です。」
こともなげに渡辺は言った。
「虐待防止法…いや、ここまでくれば暴行・傷害罪、監禁罪の方でしょうか。いずれにせよ、あなたが和田さんに行っているのはれっきとした犯罪で…」
毅然とした態度で渡辺が言い終わる前に、和田の父親の回し蹴りが渡辺のわき腹に刺さる。
とっさに腕でガードをしたが、渡辺は衝撃を抑えきれず、ガラス張りのドアに衝突した。
「うっ…――――ぐっ…!」
腕と腹部に伝わる鈍い痛みから、声にならない声でもだえ苦しむ渡辺。
「ひよりがっ!ひなたにぃっ!ならねぇからっ!!だから!!ひなたをっ!!!」
和田の和田の父親は容赦なく、倒れた渡辺に追撃の蹴りを何発もいれながら、
泣き声交じりで叫んだ。
蹴られるたびに、渡辺は小さく呻いた。
「や、やめてっ!!父さんっ!」
和田が和田の父親を制止しようとするが、すぐにはねのけられてしまう。
「まったく…なんでこんな……ガキ相手にっ…!ひなたはっ…!!ひなたはぁっ!!!だからっ…俺が!!ひなたにして……!!」
和田の父親は嗚咽交じりの声で支離滅裂な言動を繰り返す。
和田の父親は渡辺から立ち返ると、
倒れている和田の頭髪をつかみ、無理やり立ち上がらせた後に、拳を振るった。
和田はもはや、声さえ出さずにゴミ袋の山へ倒れこむ。
部屋の中は、ハウスダストが雪のように舞い散っている。
その雪を見て、渡辺は腹部の激痛よりも強く無力感を痛感していた。
あぁ、私って、子供って、こんなに弱かったんだ、と。
大人の自分が和田を助けなくてはと渡辺は考えていた。
でも違った。
今はもう渡辺は大人じゃない。
ただの非力で、庇護されるべき、弱弱しい子供の一員。
「やだ……やめてよ…」と和田の悲痛な小さな嘆きが響く。
それでも渡辺は、ただ床にうずくまることしかできない。
「誰か……助けて…」
無理だ。誰も助けてくれやしない。
いくら泣いたって、状況が良くなりはしない。
いくら痛がったって、誰も同情の目を向けてはくれない。
昔からそうだった。誰も自分以外の人間に、見向きなんてするわけない。
渡辺は過去を回想しながらそう思った。
『ナオのこと、ずっと見ているからね。』
聞いたことのある声が、渡辺の脳裏をよぎった。
『つらくても、うまくいかなくても、どんなに格好がつかなくても、あきらめないで。』
誰の声だったか、そこまでは渡辺にはわからなかった。
だが、渡辺が再起するのには十分だった。
「…うん。……見てて。」
渡辺はなんとかして再び立ち上がり、和田をつかんでいる和田の父親へと立ち向かっていく。
「なんだよ、お前。」
「……渡辺…です。」
和田の父親は和田を投げ飛ばし、代わりに床に転がっていた出刃包丁を手にした。
「そうか。」と一言だけいうと、和田の父親は渡辺にむかって全力で突撃してきた。
それに対して、渡辺も全速力で突撃する。
渡辺に刃物が突き刺さろうかというその刹那、渡辺は身をかがめ、全身を使って和田の父親の足をすくった。
突撃の勢いそのままに、和田の父親は頭から床に激突する形となった。
「いっ――――!がぁっ…!」
和田の父親は顔面を覆い隠して痛がっている。
その隙に、渡辺は和田の手を引き、リビングを抜けて玄関から裸足で逃走することに成功した。
裸足でいる彼女らにとって、アスファルトの地面は走っていると足に食い込んで痛かったが、気にせずに走り続けた。
しばらく走り続けて、渡辺と和田は小さな公園にたどり着いた。
渡辺はベンチに座り込むと、ポケットから携帯電話を取り出し、余力を振り絞って110と打ち込み、発信ボタンを鳴らした。
「もしもし…。はい、事件です…。児童が暴行を受け……」
携帯電話を持っている腕がだらりと垂れさがり、手に持っていた電話は手から零れ落ちた。
もう渡辺は限界だった。
次第に渡辺の視界にぼんやりと霞がかかっていく。
全身の力が抜け、渡辺はベンチから転がり落ちるように倒れた。
「渡辺さん?渡辺さん!!渡辺さん!!!」
和田が渡辺を呼ぶ声がするが、もはやそれにすら応えられない。
渡辺の意識がどんどん闇へと沈んでいく。
渡辺は、気を失った。




