渡辺さんは学校に行くことになりましたが?
自分の身の丈ほどのバッグを抱え、渡辺は陣とともに電車に揺られていた。
「いやぁ、渡辺さんがいると電車で座りやすくなっていいですね。
優先席とか使えちゃうし。」
「使わなくていいじゃないですか。子連れだとでも思われたいんですか?」
「まぁ、そうっすねー。そっちのほうが罪悪感がないというか。」
渡辺は陣の人間性を再確認しつつ、なつかしさを覚えた。
渡辺と陣は会社員時代の良き友人であり、ともに助け合える仲だった。
渡辺が処理不能なまでの量の仕事を自己解決しようとしているところを陣が手伝い、陣が苦手なシステム設計などを渡辺が代わる、というのがもっぱらだった。
しかし、渡辺の退職後は一切やりとりがなかったので、
二人とも、古い友人のような感覚に見舞われるのだった。
電車から下車し、駅から徒歩20分のところで陣は目的地の到着を告げた。
「ここっすね。」
「…大体、ここに来るまでの道で察してはいましたけど…。」
「ん?なんすか?」
「ここ社宅じゃないですかぁっ!!!!」
「そっすよ?」
「そっすよじゃないですよ!私入っちゃだめじゃないですか!」
「なんでです?」
「だってもう、会社員じゃないし…。」
「会社員じゃなくても、渡辺さんは家族なんでいいと思いますよ?」
「かっ、家族!?」
「まぁ、一緒に住むので、家族でしょ。多分。細かいことは気にしなぁい。」
渡辺は頬を赤くしながら、また陣の人間性を再確認した。
そうだ、この人はキザなセリフも難なく言うような人だった、と。
渡辺は陣の部屋に入ると荷ほどきを始めた。
荷物の大半は下着や服などで、あとは生活雑貨がすこし入っている程度だった。
「渡辺さん、大人用の服持ってきてどうするんですか?サイズ合わないですよ。」
「余分な丈を切って調整すれば何とかなるかなぁと。」
「なりませんよ。こっちで子供用の服買ってあるんで、こっちにしてください。」
陣はフリルのついたワンピースやチェック柄のスカートなど、いかにも少女用であるといった服をいくつか用意していた。
「すいません。助かります。お金は後でお支払いしますので。」
「…いや、いいですよ。子供なんですから子供らしくしてください。」
「子供らしくって…なにすればいいんですか。」
「そりゃあ、ゲームやったり、宿題やったり、友達とあそんだり…。あっ!」
「はい?」
「渡辺さん!学校!学校行きましょう!」
「ふぇっ?」
「子供は学校へ行くものですよ!それに、渡辺さんの今の年齢的には
小学3年生ぐらいなので、うまくいくと思いますよ!」
「いや、そんな…。お金稼がなきゃ…。」
「いいんですよ、そんなの俺にやらせとけば。
渡辺さんは子供のまま過ごして生きる理由を探すっていうのが第一目標ですから。」
「ありがたいですけど、そんなにうまくいくものでしょうか…。」
結局、渡辺は近場の小学校に2年生の3学期から、転校生という形で編入された。
普通ならば怪しまれるところだったが、陣の口先八丁と書類作成能力で
無事、うまくいった。
そんなこんなで、渡辺は小学生になった。
三日後、渡辺は学校へ登校した。
内心、渡辺は緊張していた。
小学生生活はこれが二度目とはいえ、
子供として自然体にふるまえるのかが心配であった。
渡辺は学校に到着後、職員室へと向かった。
担任の教師と顔合わせをする手はずになっていたからだ。
春先とはいえ、廊下を歩いていると寒さは健在で、
おもわずポケットに手を突っ込みたくなるようだった。
ふと廊下を徘徊していると、一人の背丈の高い男性と出会った。
「おはようございます。」
「はい、おはよう。」
挨拶を返したその男は年齢は50代ほどに見え、体系はやせ型で、
英国紳士風の出で立ちをしている。
「あっ、君はたしか転校生だったね。」
「はい。本日転入となりました、渡辺ナオといいます。」
「ちょうどよかった。すこし私の部屋まで一緒してくれるかい?」
「わかりました。」
男は渡辺を連れ歩き、校長室と書かれた看板の前で立ち止まった。
「あぁ、自己紹介がまだだったね。
私はこの学校の校長をしている町谷といいます。よろしく。」
校長は渡辺を部屋へと通した。
部屋の中はすこし薄暗く、シックな木目調の壁面が
飾られている数々の賞状やトロフィーを強調するようだった。
「ごめんね、お茶も菓子もないものだが、くつろいでね。」
「いえ、とんでもありません。」
渡辺はたまたま廊下で出会った人物がよもや校長は思わず、驚愕していたが、それを秘するに徹した。
「あぁ、座っていいよ。」
「それでは、失礼します。」
渡辺は促され、校長と対になる席に着席した。
座席の高さがすこし高く、校長と目線が合うようになっていた。
「さて、渡辺さん。よくうちの学校に来てくれたね。」
「恐縮です。こちらこそ、ありがとうございます。」
「…君とはまるで子供と話している感覚がしないな。」
「お耳障りでしたでしょうか。」
「そんなことはないが…。」
校長は勿体ぶった口調で続けた。
「いやなことを聞くようだが、なぜ前の学校で不登校に?
君みたいに物腰柔らかな人が不登校というのは珍しい。」
渡辺はなんのことかと疑問に思ったが、すぐに理解した。
陣が編入させるための方便としてそのようなことを校長に伝えたのだと。
渡辺はすこし苛つきを覚えながらも、口裏を合わせることにした。
「はい。私自身の気性が原因です。人と会話をしていると、疲れてしまうというか…。」
「今私と話していてもかな?」
「とんでもありません。」
咄嗟に出た社交辞令だったが、ほとんど渡辺の本音だった。
この人とは長く話していても疲れない。
気を遣っていないわけではなくて、ただ単純に、話していて落ち着く。
渡辺はそう感じていた。
「……君は、きっと他人への配慮が人一倍あるんだろうね。だから細かいところにまで神経を使って疲れてしまう。逆に、気を遣えなかったところでは自分の非を恥じすぎてしまう。」
渡辺は図星のことを言われてしまったような気がして、固まってしまった。
「ここでは気を遣いすぎる必要はないんだよ。君は君だ。君が思ったことを言えばいいし、君の感じたいように感じればいい。それが子供というものだよ。それでたとえトラブルが起きても気にするな。そのために、私たち大人というものがいるのだからね。」
校長は渡辺のすべてを見透かしているようだった。
「…ありがとうございます。」
渡辺はただひと言、それだけしか口にできなかった
渡辺はふと校長から目線を外し、校長の背後に飾ってある時計に注目をすると、
校長と話している間にすでにホームルームの時間となっていた。
「えっ…もうこんな時間…。」と渡辺は体感時間と実時間の差に驚愕し焦りを見せた。
「あぁ、私が長話をしすぎたせいだね。担任には私から話をつけておこう。」
「お手数をおかけします。」
「いいから。さ、行っておいで。」
渡辺は静かに席から降りると、丁寧に退室していった。
事前に知らされていた教室の前に、担任と思われる女教師が仁王立ちの構えで待っていた。
渡辺は早歩きをしながら、なるべく急ぐことに努めた。
「遅れてしまい申し訳ありません。本日転入となりました、渡辺ナオと申します。」
渡辺は教師の前に立つと、深々と礼をした。
「はい、初めまして。初日から遅刻とは災難でしたね。」
「すみません。さきほど校長先生とお話をしておりまして。」
「あー…」
担任教師は軽く状況を察したようで、「ではしょうがない」というような顔をした。
途中編入の生徒にはよくあることらしかった。
「あ、そうでした。私の名は根岸といいます。
よろしく。さっそくだけど、クラスで自己紹介をしてもらいたいんだけど…。」
「承知しました。よろしくお願いいたします。」
渡辺は根岸に促され、教室に入室しすると、
昔と相変わらずの教室の風景がそこにはあった。
黒板に、色とりどりのチョーク、黒板けしとクリーナー。
まさにこれぞ教室、と渡辺は懐古に浸った。
根岸は生徒たちに静粛を促し、渡辺を黒板正面のど真ん中にたたせた。
クラスの視線を渡辺は一身に浴びる。
「今日からクラスに入る、渡辺さんです。」
「本日よりお世話になります。渡辺ナオです。よろしくお願いします。」
こうして、渡辺の小学生生活が幕を開けた。




