渡辺さんは生活することにしましたが?
渡辺は、少女になっていた。
年齢にして約8歳ほどの女児に変身していたのである。
「えっ…これは…私…?」
鏡の前で自らの手足が意識と連動するのを確認しながら渡辺はつぶやいた。
長期間外出をしなかったゆえの黒髪の長髪が、身長の低さをより際立たせていた。
「…これは…まずい。」
渡辺は思いを巡らせた。
なぜなのかと理由を探したけれども、思い当たる節はなかった。
こんな小さな女の子が一人だけで部屋にいたら不法侵入か、
或いはネグレクトの類と思われて通報されかねないだろう。
もし仮にやり過ごせたとしても、今の手持ちは5万円しかない。
アパートの家賃は一か月4万円。貯金はまだ少しあれど、
幼い少女を雇ってくれる働き口などめったに無い以上、
生活が立ち行かなることは必至だ。
そう渡辺が思案をしていた時、
渡辺の家のドアをドンドンと叩く音がした。
「大家さん…今日集金の日…!」
もう一度家のドアがドンドンと叩かれる。
「渡辺さん!今日家賃の日だよ!!起きてこれるかい!!」
大家の重低音の効いた声が部屋に響き渡る。
「大丈夫か!!合鍵使うよ!!いいね!!?」
そうこうしているうちに大家はマスターキーを使い家の中にまで入ってきた。
渡辺の安否を心配してのことだったが、渡辺は内心厄介に思っていた。
しょうがないのでと、渡辺は隠れていた柱の陰から姿を見せた。
「君は…渡辺さんの子供…かい?」
大家は老爺らしい猫なで声で渡辺に問う。
「あぅ…えっと…引き…取られました。」
「そうかい。渡辺さんはいるかな?」
「お、お仕事で今はいません。でも家賃だけは預かっているので、お支払いします。」
「ああ、そうか。じゃあもらっておくよ。渡辺さんによろしく。」
渡辺から家賃を預かると、大家はそそくさと帰っていった。
渡辺は、朝起きると毒虫に変身していた青年の気持ちを理解した。
うまくしのげたはいいが、手元にはあと1万円しか残っていない。
口座に残っている金額も残りわずかだ。
「頼れる大人がいれば…。
やっぱり児童相談所しかないか…。あとは…」
渡辺は携帯電話から連絡先一覧を開き、ある一つの電話番号に目をつけた。
それはIT企業戦士時代からの戦友であった陣の電話番号である。
正直、渡辺は会社の仲間に助けを求めるのは御免だった。
もう渡辺は会社に属していない。要は元仲間だ。
そんな人間が今更助けを求めるなんて、どうかしている。
だが、そんなことを考えている間に、渡辺は発信ボタンを押していた。
それは無意識だった。いや、その行為をおこがましいとさえ思っていた。
発信音が鳴り、2コール目が鳴る前に発信音が途切れた。
「はい、もしもし。」
「…」
「もしもし?こちら陣ですが。」
「…あっ…。あのっ、えっと…。」
「はぁ…。用件だけ聞かせてもらっていいですか?子供の遊びには付き合えませんので。」
「…助けて。」
「…は?」
「わ、渡辺です。退職した…。」
「渡辺さん?いやしかし声が…。」
「家…わかりますよね…?お願いします…。」
陣が反論をする前に、渡辺は電話を切った。
「…わかるわけないよね。あんな電話で。はぁ…社会人失格だなぁ。内容が伴ってない上に
全部相手に丸投げとか…。っていうかもはや社会人でもないけど。」
それから時間が経過し、夜9時になって、渡辺の家のインターホンが鳴り、
ドンドンドンとノックする音が聞こえた。
「渡辺さん?陣ですけど。」
渡辺は飛び出すようにドアを開けた。
サイズの合わない、ぶかぶかのシャツを身にまとった幼い渡部の姿が陣の目に映った。
「陣さん…お久しぶりです。」
「わ、渡辺さん…?」
「はい。詳しいことは中で説明しますので、どうぞ。」
そういって、渡辺は陣を部屋に招き入れ、事のすべてを説明した。
陣も最初は疑いの目を向けていたが、渡辺の話し方や立ち居振る舞いから、
徐々に理解と納得の目にかわっていった。
「…ということで、これが現在の私の状況になります。」
「うん。やっぱり、渡辺さんなんだね。」
「はい。」
「それで、俺にどうすればいいかと聞くために連絡したと。」
「はい。自分勝手だとは思ったんですが…。」
「いや、こんなトンデモ展開じゃよんじゃいますって。誰でも。
今ぱっと思いついたのは保護施設に入れてもらうことだけど…。」
「施設だけは嫌です…。もう……。」
「あぁ、そういえば渡辺さんは施設育ちなんだっけ。」
「……」
「…あとは、渡辺さんが良ければでいいんだけど、一緒に住むとかかな。」
「…えっ?陣さんと?」
「それ以外にないでしょ、だって。それにその姿で働くのも無理だ。」
「まぁ…。」
「渡辺さんはどうしたい?」
「…わからないです。今、私は生きたいのかどうかさえわからなくて。
このまま飛び出して、野垂れ死んでも、それはそれで構わないですし…。」
「じゃあなんで助けてなんて言ったんです?」
「それは…無意識というか…。」
「渡辺さんが今、しなきゃいけないことは、小さい子供の姿で毎日を生きて、生きる理由を見つける。
それだけだと思います。」
「…」
「一緒に住みます?」
「…はいっ。」
渡辺は目に涙を浮かべながら、笑顔で返した。
決して子供のように大声で泣くことはなかった。
渡辺は、生きることを決めた。
後日、渡辺は大家にその月いっぱいで家を出ていくことを伝えた。
「今まで、お世話になりました。」
「うん。いいけど、なんで子供のお前さんに、渡辺さんは伝えさせるんだい。」
「それは…わかりません。」
「そうかい。まぁ、忘れ物がないように準備はしっかりしておけよ。」
「はい。ありがとうございました。」
「じゃあな。元気にしろよ。渡辺さん。」
そういって大家は、去り行く渡辺の背中を、心の中で押した。




