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女子高生は玲奈、と名乗った。駅前でヨタヨタ歩いているのを見かけて、気になったんで声をかけたんですよ、と吉田が補足する。
「脚を見せてもらってもいい?」
吉田に向こうむけ、という合図をしながら、由佳は玲奈の許可を待ってスカートを少し持ち上げる。腿上から膝下、スカートで隠れている部分はすべて傷だらけだった。由佳は表情を崩さず静かにスカートを元に戻した。
「誰に…お父さん?」
はい、と小さな声で答え、下を向く玲奈。
「暴力だけ?」
由佳は口にしてから、もう少し丁寧に聞くべきだったかなと後悔したが、玲奈はあまり間を置かずにはい、と答えた。
「いつから?」
思い出せない、と玲奈は答えた。
「いつから怖かったのか、いつから我慢してたのか。いつから悲しかったのか、もう、全然…」
玲奈はそう言いながら意識を失い、ソファーの上に力無く倒れた。
「彼女は預かるわ。あなたもう帰っていいわよ。」
はぁ、と吉田は返事はしたものの浮かない表情だった。吉田の目の中に玲奈と同じものを見て、由佳は、どうしたの?と吉田に聞いた。いえ、と、吉田は顔をしかめながらちょっと視線を外した。
「俺もそうだったんすよ。ガキの頃から親父のサンドバッグでした。毎日ぼこぼこに顔腫らしてたんで、学校へも行けずに親父の酒だの煙草だのの買物をさせられて。」
そうだったの、と由佳。
「お店の人は助けてくれなかったの?」
「いえ。皆は出来る限りのことをしてくれました。施設を手配してくれたり、警察に通報してくれたり。その度にいっとき楽になるんすけど、あっという間に元通りです。親父は芝居が上手くて、みんな騙されるんです。今度こそ心を入れ替えた、頼むから息子と一緒に居させてくれと、号泣しながら懇願するんです。だからいつも振り出しに戻るんです。」
吉田はそこまで話すと両の手をぐっと握りしめた。
「永遠に続くんだと思いました。それで俺は、ある夜、酔って寝ている親父の首を刺しました。何の躊躇いも無かった。ここで完全に殺さないといつまでも追いかけられる、それはわかっていましたから。それで…手と包丁を洗って、包丁は台所に戻し、服を着替えて家を出ました。捕まらなかったのは奇跡です。どこかの街でもと警官のホームレスに拾われて、19までその人のところで暮らしました。もしかしたらあの人は俺のことを知っていたかもしれません。あの人のテントの中にはラジオがありました。俺が居る時はつけなかったですけどね。必ず自分の目に届くところに俺を置いて居ました。俺が19の時、血を吐いて仰向けにぶっ倒れて…それっきりでした。俺はあの人の全財産数万円を持って、その金で行ける一番遠いところへ行きました。」
吉田はそこまで言うと、ひとつ息をついて、笑った。
「そこで、島田さんに拾われたんです。あの子みたいに駅前でなにも出来ずに突っ立っていたところをね。」
「吉田って苗字、もしかして…。」
「そうなんです。ホームレスのおっさんの苗字です。俺は、あの人が本当の親父だと思ってます。」
吉田は少し照れたような表情を浮かべ、ちょっと喋り過ぎました、と言った。
「これ以上居ると姉さんに抱きついて泣いちまいそうなんで、帰ります。」
私に抱きついたりしたら二度と泣けなくなるけどね、と由佳は笑って返した。そこは合わせてくださいよ、と吉田はいつもの調子を装い、頭を下げて帰って行った。
由佳は冷蔵庫のアイスコーヒーをグラスに注ぎ、時間をかけて飲みながら吉田の過去を反芻した。いろんな人生がある。いろんな不幸な人生が。不思議と幸せな人の話は聞けない。環境のせいかもしれない。でも、もしかしたら、幸せを自覚的に生きるのは難しいというだけの話かもしれない。グラスを空にするとさっと洗って干した。そんな人生の中で、誰もが自分の生きる意味を探しているのだ。それはきっと社会的地位とか、家族構成とか、そういうものとはまるで関係の無い、自分が自分である理由のようなものなのだ。寝支度を済まし、部屋の照明を落とした。ベッドに横になり、目を閉じる。今日や明日のことだけ一生懸命考えればいい。おのずと答えは見えて来るはず。その日最後に考えたのはそんなことだった。




