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時刻は22時過ぎ。あゆみは庭で待っていた。由佳とランはすぐにやって来た。あゆみは由佳に、迷わなかった?と聞き、由佳はうんと頷いた。微かに笑顔も浮かべた。へえ、とランは興味深くそんな二人を見た。
「それで、こんな時間からすっ飛んで来たっていうことは…今から座るつもりですね?」
由佳はまた頷いた。どんな種類のものかはわからないが、その目の中には確かに必死さが見て取れた。だから、あゆみはそれ以上聞かなかった。では、お堂に行きましょう、と二人の先に立って歩きながら、付け足すように言った。
「ただし、これは途中で止められません。」
準備は整っていた。由佳さんは真ん中に、ランさんは右端に、とあゆみが指示する。あの、とランが口を挟む。
「私もやらなきゃ駄目なの?」
「嫌ですか?」
「いや、そうじゃなくて…私もともと蜘蛛でしょ。ひとつところでじっとしてるなんて修行でもなんでもないのよ。」
あゆみはにっこり笑った。
「だったら、なおさらやるべきですよ。きっと、そうしている間にいろいろなことを考えていたでしょう?その先にあるのが瞑想なんです。」
由佳は黙って座り、二人の話が終わるのを待っていた。ランも結局やってみることとなった。いいですか、と、あゆみは二人の横に座る。
「胡坐でも、正座でもいいです。疲れたら崩してもいいです。ただ、もちろん、正しい姿勢というものはあります。身体のバランスがもっともよく取れた状態。まずはそれを探してもらいます。ここだ、と思うポイントが見つかるまでは、揺れたり、座り直したりしてみて下さい。ただし、目は閉じたまま。自分の身体に集中して、変化を感じ取ってください。では、始めます。」
その段階は、二人にしてみればさほど難しいものではなかった。彼女らは普段から虫の能力を体内に秘めているイメージを持ち、必要に応じて臨機応変にそれを使い分けることが出来る。身体を意識する、という点においては、修行でそれを手に入れたあゆみ以上のものを持っているといってもよかった。
「いいですね。」
あゆみはいったん立ち上がり、二人の後ろをゆっくりと歩きながら、
「それでは目を閉じて…。目蓋がぴったりと閉じられて、全く光が入らない状態を作ってください。ただし、力は入れないように。自然にそう出来る感覚を掴んでください。それが出来たら大きく呼吸をしながら、その音に耳を澄ましてください。呼吸は一定に。ゆったりとしたリズムをキープして。」
目を閉じる、という行為について、はっきりと認識したことがあるだろうか?実は目をぴったりと閉じるという行為は、意識的にやってみないと理解出来ない。人間の目というのは眠るとき以外は瞬きをしているものである。意識的に閉じたまま思考し続ける、という行為を無意識に行えるようになる、それが瞑想の入口だ、とあゆみは教わった。きっちり閉じられた目の中でないと思考は深くならないのである。
二人がある程度感覚を掴んで、静物のようになり始めたころ、突然由佳が嘔吐した。ランは反射的に立ち上がろうとしたが、そのまま、とあゆみに制止されて座り直した。
「私がやります。二人は動かないで。集中して。いいわね、まだ入口よ。」
由佳は青褪めていたがそれでも目を閉じたまま頷いた。あゆみは雑巾を出して由佳の吐いたものを片付けた。そして、庭にある手洗いで雑巾を洗い、タオルを出して由佳の服を拭いた。そうされても由佳は微動だにしなかった。顔から余計な力が完全に抜けていた。あゆみはいい感じだわ、というようににっこりと笑った。
暑い夜だったが、風がよく吹いていた。目を閉じて風の音を聞いていると、それは大地の呼吸だという気がした。大地の呼吸と自分の呼吸を近づけることは出来るのか。由佳はそれを試みた。すると呼吸は自然と深くなっていった。入り始めた、とあゆみは由佳を見て頷いた。
人間というのは地球を裏返して包んだようなものだ、と、あゆみは瞑想の中で感じることがある。輪郭の線上ではなく、その内側に海だの大陸だのがある、というわけだ。動き続ける内臓は生物であり、骨は大陸である。脳が神であり、赤血球や白血球が人間だ。それはあゆみだけの感じ方かもしれない。でもそういうイメージを持つと、身体の無駄な力が抜ける。あゆみは由佳が、すべてが終わったあとに何を口にするのか楽しみにしていた。それは自分と共有出来るものではないかもしれない。百匹の虫がイメージとして存在している由佳の身体と魂もまた、日常的な瞑想の中にあるのかもしれない。もしもそれを導くことが出来たら、由佳は救われるどころかとんでもない精神を手に入れるかもしれない。実はあゆみにとってはそれは賭けでもあった。最終的には、由佳が見つけたものが由佳を飲み込むのか、それとも由佳が飲み込むのか…そういうことなのである。




