6
その翌日から、由佳はこもりがちになった。精神の糸が途切れてしまったかのようにぼんやりとして、最低限仕事はこなすものの、虚ろな目をして、ぼんやりとしていることが多くなった。ランの励ましも冗談も届かなかった。生返事しかせず、食事も少ししか取らなかった。数日経ってもなんの進展も見られなかった。ランは、初めて自分が蜘蛛であることを忌々しく思った。人間ならこんなときどうするんだろう。そうだ…。ランは、携帯を持って外に出た。そして、あゆみに電話を掛けた。
「…というわけなのよ。」
「お祭りで何かあった、っていう感じではないみたいですね。多分ですけど…ああいう楽しい場所に身を置いたことで、自分がそこに居ないことを認識したっていう感じなんじゃないかなぁと思うんです。お母さんのことや、島田さんのこと、そのダメージを一瞬で自覚してしまうような思考の流れがあったんだと思います。ねえ、ランさん、私を迎えに来てくれませんか。私が由佳さんと話してみます。私も、自分の能力の為に普通の幸せを捨てた人間です。治せるとは言いませんが、楽にしてあげる手伝いくらいなら出来ると思います。」
「わかった、すぐに行くわ。」
ランは電話を切るが早いか、姿を消して空へと舞い上がり、一直線にあゆみの住む街へと飛んだ。
由佳はベッドの上でぼんやりとしていた。自分が起きているのか、眠って、夢を見ているのかよくわからなかった。母親と行ったお祭りの夜のことが思い出された。そして、由佳の前身である、千佳の行方を探して、昔よりも痩せた姿で由佳の事務所を訪れた母親のことが。あの小さな背中を見送った日からすべては始まっていたのだ。母さん、と由佳は呟いた。返事はなかった。私は、私は…由佳はベッドの上で、どこまでも続く奈落に落ちて行くような感覚を覚えた。母さん、島田さん、助けて、助けて…
「助けて。」
無意識に伸ばした手を掴んだのはあゆみだった。
「こんばんは、由佳さん。」
由佳はあゆみに抱きつき、子供のように泣いた。あゆみは、由佳が泣き止むまで優しく髪を撫でていた。
由佳はその日は泣き疲れて眠っただけだった。あゆみはまだ夕食を取っていなかったので、ランと、ランの住居スペースでともに食べることにした。
「母さん、島田さん、助けて。って言ってました。」
平気なはずはないのよね、と、ランも珍しくしんみりとした様子だった。
「ランさんと出会った時の由佳さんは、殺されて捨てられたんですよね。研究所?の廃墟のところに。」
ランは頷いた。
「五人の男に拉致されて、好き放題されて、殺されたのよ。」
あゆみはそれを自分の痛みのように受け止めた。
「でもそのことは、今のあの子に何の影響も与えていないと思う。それをした男たちは当の由佳に殺されたしね…。思えば、今の由佳の目を一度見たことがあったわ。島田さんが殺されたと聞いたとき、一瞬あんな目になっていた。」
ランは首を横に振って右手で髪をかきあげた。
「なんで気がつけなかったんだろう…。」
「ランさん。」
「あの子が傷ついてるかもしれないって、なんで考えられなかったんだろう?」
「ランさん!」
あゆみは少し大きな声を出した。
「あなたまで暗くなっちゃ駄目です。あなたは由佳さんの帰る家なんだから。」
ランは困ったように笑って、そうだね、ごめんね、と言った。
私にいい考えがあります、と、あゆみはにっこり笑って頷いた。
「お二人とも、修行しましょう。お寺に籠って、瞑想しましょう。いま、島田さんのお兄さんのお寺は売りに出されています。でもお寺なんで、なかなか買い手がつかないみたいです。それを扱っている不動産屋さんは、私と仕事上の付き合いがあります。私がお寺を少しの間借りられるようにしますから。」
ランは思ってもいなかった提案にぽかんとしたが、悪い考えではない気がした。今の由佳では仕事もそのうち続けられなくなるかもしれない。体調不良を理由にして、吉田にはしばらく休むと伝えよう。
「そうね、お世話になります。由佳はなんとしても私が連れて行くから、大丈夫。」
「では、私は明日不動産屋さんに掛け合ってみます。態勢が整ったら連絡しますね。」
「わかったわ。じゃあ、いまから帰るのね?」
「そのつもりです。」
「じゃあ、責任持って送ります。」
「いたみいります。」




